4年ほど前に入学した時は、学生証を出すと、「え~」という感じで見られたが、最近は同類の人が多いためだろうか、不思議な顔をされることはなくなった。ありがたいことだ。名演会館では5月まで会員を募集している。一般は2500円で、土日以外は1000円で映画を見ることができる。一回観ると「印」が押され、6つたまると、1回無料招待というシステムだ。昨年は、学生証が手元になく、一般で入会した。
今年は『今度の日曜日に』を見るときに入会した。しかも学生という資格で。学生は1500円で、土日を含め1000円で映画を見ることができる。これもありがたいことだ。もちろん6回で無料招待は同じ、入会すると1回分の無料招待券がいただけるのも同じだ。映画を普通に見ると1800円(学生は1500円かな)だから、一回分の映画料金で、会員になることが出来るということだ。学生は優遇されているね!
シルバーと呼ばれる人々も劇なんなでは、シルバー料金などがある場合があるので、少しが優遇されているようだ。働きザ盛りの人は、映画や劇を観る時間もなく、優遇もされていないということになる。まあ、使えるものは使うということでよいのだろう。
ところで、昨年は実習(一)を終了しただけだ。今年は頑張って博物館概論と各論のレポートを完成し、テストに合格し、履修を目指すのだ。実はレポートは完成しているのだが、まだ送っていないのだ。手元で温めているということだが、読めば読むほど直すところが発見されるのだ。このブログも同じだろが、字の間違いがあるのだ。ともかく4月の終わりまでには送りたいものだ。レポートが合格したら、夏のスクーリングのころに奈良大学に行くということを計画しているのだが、実現するだろうか。
レポートを書いているときは、やるぞ!という思いが強くなったのだが、レポートを完成すると、これでよいのかという思いが強くなるものだ。やる気の持続というのは難しいものだ。やる気のないときには、ともかく、些細なことをやってみるというのが最良のことだろう。また、迷ったら楽な方を選択するというもの良い戦略だ。迷ったら困難な方を選ぶという生き方をすると、困難がより強くなる可能性が強いのだ。
迷ったら楽な方を選ぶ、やったことは後悔しない、やらなかったことを後悔する、楽に格好よく美しく生きるということが、案外、生きやすいやり方ではないのだろうか。われに七難八苦を与えたまえという生き方もあるだろうが、それは一部の人の理想のように思うのだ。楽な生き方の方が長続きすると思う。長続きするというのが重要なことだと思うのだ。
行政のホームページを見ると「生涯学習とは何か」ということから始まるのが多い。つまり、説明が必要であるということは現実がないということである。生涯学習ということ言葉は比較的新しいので、国民一般に定着していないということだろう。また、日本で派学習ではなく勉強という言葉を使用してきた。強いて勉めてやらされるという意識もつようように思う。
新しいことばを受容するためには,何かの手段が必要となる。学ぶことは楽しいことだということが広まることが必要なのだ。その手段は簡単には見つからないようだ。大学までの生徒・学生は何らかの形で学んでいるので、その生徒・学生に、まず学びの楽しさを示すことが将来にわっては重要なことだ。これはそれぞれの教育機関の教師の責任となる。教員免許状更新制度が生まれた。その更新制度の是非はあるが、この更新の講義を利用して、学びの重要性をアピールすることが第一歩としてできることだろう。
生涯学習というのは、学校教育だけでなく、生涯にわたり、自発的に学ぼうとすることである。また、生涯学習というと高齢者が学ぶというイメージがあるが、そうではなく、小さな子ども、少年、青年、成人そして高齢者にいたるまで、ありとあらゆる人が自発的に学ぶということである。博物館はその生涯学習を支援する社会教育機関とし存在するのだ。自分探しをするのではなく、博物館や美術館や図書館に行けばよいということだ。なんでもよいから、まず一歩踏み出すことが大切だということなのだ。
自分探しという言葉も嫌いだ。自分なんか探さなくてもよいではないか、今ここにいる自分以外の本当の自分がいてたまるか!今いる自分を愛せなくて、どの自分を愛せるのだ。何が自分探しだ、自分を探しているうちの死んでしまうぞ!ブッダにある弟子が、「修行をしたら悟りを拓けるのですか」などとバカな質問をしたそうだ。
ブッダはさすがに偉い、「そんなことを考えていると、考えているうちに死んでしまいますよ、いまは修行をすることだけを考えなさい」と言ったそうだ。自分を探す時間があるのなら、本でも読めばよいのだ。レンブラントにある人が「絵をどのように描けばよいのか」と質問したそうだ。レンブラントも偉い!「まず絵筆を取りなさい」と言ったということだ。ともかく、今を生きることが大切ということだ。
ところで、生涯学習は社会教育に過ぎないという考えがある。人がよりよく生きようとする営みは学習活動から始まるという生涯学習の基本理念が理解されていない結果このような考えが出現するようだ。いろいろな自治体で生涯学習の推進しようとしているが、なかなか上手くいっていなのが現実のようだ。
奈良大学通信教育文化財歴史学科を四年で卒業するという計画だったが、学費の負担が原因?で3年で卒業した。卒論が合格すれば、あとは単位あたりの受講費でよいということを知っていれば、卒論を早く終わらせたものを、卒論以外は履修し修得してしまった。3年編入は5年間在籍できるのだ。
大学生というステータスはなかなかよいものだ。なんとケイタイの契約が学割になったりするのだ。博物館なども学生料金、劇芝居なども学生料金でよいのだ。最近はセコイ施設もあり、年配の学生は大人料金などというころもあるように聞く。
早く卒業しても、何がどう変るというわけではないのだ。新卒で入社試験をうけるわけではないのだから、5年間在籍という計画もあったが、たった卒論だけのために、何十万円の支出はね・・・卒論を合格すれば、あとは科目の受講料で在籍できたのに、その情報をしらなかったのが、とても残念なことだ。
おそらく、「開けた時に違和感がない」ということが重要なことのような気がした。「結果を気にした行為」ということが重要なことということだろう。やればよいというものではない。どのような結果をもたらすかということを考えた行動が求められているということだろう。
午後は、「綿枕」というものを作る実習と、それらを使い壷などを梱包するという実習をした。「美術品は値段ではない」というと、所有者にとっては、贋作でもそれは宝なのだ。実習をするとき、これは模造品だから、気軽にできるという思いがあるが、それは大きな間違いだということだ。
模造品でも、1億円の物でも、そのどちらでも、それなりに重要なものだ。値段ではなく、「それは世界で一つしかない物」だという思いで、物を扱うことが大切なことなのだ。それは、人間でも同じだ。同じようの見えても、その人や物は世界で一つしかないということは真実だろう。
土器の写真を切り抜いて、それをB5の用紙で、報告書のレイアウトを作成するというものだ。切り貼りは得意だが、出土した土器の関係を考えて、位置を決めるとなると、また難しいものがある。ともかく、時間内には仕上がった。
仕事は「雑だけど早い」をモットーにしているのだが、早くできたので、周りの人の作品をながめた。丁寧な作業人は、なかなか完成まで・・・という感じだった。「丁寧だけど遅い」と「雑だけど早い」とはどっちがよいのだろうか。一番良いのは「丁寧で早い」で、一番悪いのは「遅くて雑」には違いないだろうが・・・
午後は拓本の実習だ。拓本は魚拓とは違い、文化財に直接墨をぬるわけではない。魚拓は魚に直接墨をぬるので、完成品は左右が逆転する。拓本は文化財に上に和紙を置いて、その和紙を水にぬらして、その後、和紙の上からタンポで墨をポンポンと叩いていくという作業をするのだ。
やり方を知っていたが、実際にやるのははじめてだ。少々緊張して、取り組んだ。これも丁寧にゆっくりというのがポイントのようだ。こうような、丁寧でゆっくりというのが一番苦手なのだ。和紙を霧吹きで濡らし、乾いてから、作業なのだが、乾くのが待ちきれないのだ。落ち着いていると思っていたが、やはりせっかちということが自分でも分かったというのが感想だ。
学芸員の実習については、古文書と美術資料の実習だ。古文書の実習は和本の綴りを体験するものだ。朝鮮綴じという綴じ穴が5つのものだった。レポートなどは綴じるほうをきちんと揃えるが、和本の場合は袋の部分(綴じないほう)と地を揃えるのだ。聞けばなるほどと思うが、レポートなでをホッチキスでとめるのに慣れているので新鮮な感じがした。
和本自体は、中学の時は高校の時かは記憶が定かではないが、やったことがあるので、簡単に出来た。出来たといっても、早いだけがとりえなので、綺麗に出来たというわけではない。早くて綺麗がよいが、私の場合はだだ早いだけだ。遅くて汚いが一番だめだが、早くてきたいなと、遅くて綺麗とどっちが二番目だろうか?
古文書の二コマ目は実際に古文書の触れ、気がついたことを各班ごとに発表するというものだった。天井村の古文書、典籍、台帳などを見ながら、班ごとの話をするのも楽しいものだ。これで午前中は終了した。午後は仏像の計測とその特徴を考察するというものと、掛け軸の掛け方、巻子の扱い方、箱の紐の処理の仕方などの実習があった。楽しく、また有意義な一日だった。
胡錦涛(涛の字はテレビのまま)が唐招提寺と平城宮跡に来ていたのだ。チベット問題があるのか、道々に警察官の姿が見えた。奈良は終日雨のため、警察官も大変だっただろう。
奈良に来た目的は「学芸員の講習会」出席のためだ。今日のテーマは「美術資料の扱い方」だ。鑑賞という観点ではなく、どのようの文化財を扱うかという観点の講義だった。掛け軸や屏風を扱うためには、構造や性質を把握する必要があるのだ。
秋には、掛け軸の展示の仕方や巻き方の実習もあるようだ。巻くという作業は簡単に見えて難しい。筍(たけのこ)のようのなってしまうのだ。紙を巻いたとき、上手く巻くことが出来る人はすごいということだ。
仏像をどのように持って移動させるのかという話もあった。学芸員の基本は文化財を「なくさない」「壊さない」ことだという。大切な物を借りて展示をするのが商売らしい。他人のフンドシで相撲を取るのが学芸員だという。
展示をするという観点で博物館を見る。どうやって、どういう順番で見せるか。光の当て方、地震の時の対応、どの部分を強調するのかなど、勉強になった。内容ではなく、展示の仕方で博物館を回るということだ。
優待券は途中下車できないのが不便だ。近鉄からは「近鉄週末フリーパス」という企画乗車券が発売されている。金土日か土日月の三日間、近鉄全線フリーで4000円という切符だ。これは、上手に利用すると、切符をいちいち買わなくてよいので、便利だ。
ただ、この切符は大きいのだ。A4版の大きさで2枚ある。有人の改札しか通りことができない。付録で葛城山ロープウェイの割引券(半額になる)が付いている。京都に行ったり、吉野に行ったり、さらには難波、賢島まで行くことができるのだ。
特急券は別売りだ。近鉄の特急は乗り継ぎがよく出来ている。近鉄名古屋から特急を乗り継いで吉野へ行ったことがあるが、短時間で順調に乗り継ぎ吉野まで行くことができた。ただ、急行や普通の列車で行こうとすると、特急の通過などで、駅に停車することが多く、うんざりする。
旅は特急で早く行くだけが、よいのではない。普通に乗って、のんびり行くのも楽しいものだ。普通では食べ物が食べるのが出来ない雰囲気なのがつらいし、トイレが・・・二人以上での旅なら、荷持を頼んでいけばよいが、一人だと、荷持をもっていくと席がなくなるかもしらないし、荷物を置いていくと、荷物がなくなるかもしれない。ちょっと不便なこともある。
車窓に映る景色を眺める旅は本当によいものだ。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」ということで、旅に出よう。