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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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「キサラギ」と同じような設定

『猫と針』を読み終わる。恩田さんが、始めた戯曲を書いたということだ。鴻上さんが、作家らしい戯曲ですねということを言ったということだ。一場を書いた段階では、その後の展開が予想できないということが書かれていた。盛り上がって書いてしまったけれど、二場はどうなるのかという不安があったそうだ。

男性5人が喪服で登場する密室劇である「キサラギ」と同じような設定だが、内容はかぶっていないということだ。第3場まで書いて、4場がというところで、4場をエチュードでやってみせてくれたそうだ。エチュードといのは、戯曲なしで、役者がその役になりきって、即興で作り上げる芝居のことだ。

役者さんは修羅場をくぐっているので、柔軟に役になりきり、その役を台本なしに演じたとうことだ。台本なしに、演技するということの凄さというのは、すごいの一言だ。台本がなかなか出来上がらないので、キャラメルの岡田さんは、「どんどん直していいんです、とにかくできたものを下さい。一回覚えたものを捨てて、もう一度覚え直すのには慣れてますから」と言ったそうだ。

劇は上演時間が書かれていない事が多い。それは、役者の演技で、時間が変るということがある。転換のところでも、また時間が変るのだ。「三つの物語の朗読会」は幕間を含め90分を予定していたのだが、幕間が早く、役者の演技がスムーズになり、三回公演したのだが、だんだん早くなっていった。最終的には80分ほどでだった。10分も短くなったのだ。「猫と針」は90分の上演時間を目指したということだ。

通し稽古で100分、様々の工夫で90分に近づけていくのだろう。芝居は映画と違い、生身の人間が演じている。セリフを飛ばせば、短くなり、それぞれの役者がねちっこく喋れば、長くなるのだ。ネタバレになるのでストーリは書かないが、面白い戯曲だった。ところで、作者が分からないという針というのは、人生の体験の中で、心に刺さっている、思い出という針ではないのかという感想を持ったのだ。
by qzr02421 | 2009-01-29 19:30 |