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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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縄文時代が行き詰まったから、弥生時代が始まったという歴史観

考古学では年代は決定できない。発掘された遺物に年号があれば、それは参考にはなる。「景初三年」銘があれば、それは、それが真実ならば239年のものということが分かる。そうでなければ、古いか新しいかということが分かるだけだ。それが考古学の年代というものだ。

ところで、縄文時代と弥生時代とはどのような関係にあるのか。縄文時代が遅れていて、弥生時代が進んでいるという認識でよいのか。通説では「紀元前5世紀頃九州北部に水田稲作をもたらし、もたらしたのは渡来人で、この文化が縄文人と融合して弥生文化をつくり、100年ほどで西日本に拡大した」というものだ。

しかし弥生時代の始まりが、紀元前10世紀にさかのぼるということは、水田稲作の拡大力があまり強力ではないということになる。さらに縄文時代が1万年続いたということは、それなりに存在するパワーがあったということにもなる。もし縄文文化が、弥生文化と出会うことがなければ、もっと続いたという可能性もある。

つまり、縄文時代が行き詰まったから、弥生時代が始まったという歴史観は間違っている可能性があるということだ。歴史は限りなく発展するという歴史観があるが、その歴史観が今問われているということかもしれない。つまり縄文時代から弥生時代への移行は歴史的な必然性がないということでもある。縄文時代のあとは、三つの文化に変化する。北から続縄文文化(後にオホーツク文化などになる)、弥生文化そして貝塚後期文化である。
by qzr02421 | 2009-01-12 16:38 | 歴史