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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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中東の歴史は諸民族の去来する地

『中東人国記』を読む。中東といって思い浮かぶのは、砂漠、イスラム、アラビアンナイト、ピラミッド、スフィンクス、古代オリエント文明などだろうか。中東は西欧より日本から近いのだが、そこを素通りしていたのか?現代は石油でつながっている。

現代日本と中東の関係は、石油ショック、湾岸戦争、パレスティナ問題などだ。中東とはどこからどこまでか?アフガニスタンからモロッコにいたる地域といってよい。中東ということばは20世紀の生まれた、1902年9月のナショナルトレヴュー誌が初出だ。イギリスにとって重要なインドを防衛のための海軍戦略上の要点としてペルシア湾を中心とする地域を中東と名付けたのだ。

それ以前にあった言葉としては極東、近東があった、西欧の関心で単語が出現していような印象を持つ。それ以前にあった言葉は東方がある。東アジアと西欧の関係ができることによって、極東という単語が生まれる。オスマントルコとの関係で近東が生まれるのだろう。インド問題で中東がうまれるというわけだ。近東問題イコール東方問題ということだ。

近東より東が中東というのが最初の概念ということだ。第二次大戦がおわるころには、近東ということばが使われなくなり、現在の中東という概念が出来たということだ。

中東は民族構成がいりくんだ地域だ。中東の歴史は諸民族の去来する地というのが原因となっている。それはメソポタミア文明の民族の興亡が証明している。シュメール以降の歴史である。中東の地はアジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸を結ぶ大回廊の交差点という位置にある。これが民族的多様性の最大の原因だ。
by qzr02421 | 2008-08-17 16:58 |