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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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妻は洗濯を気にして、しりとりをしようと言う

次は、庄野潤三の『蟹』で家族の形態について考える。夫婦の数だけ夫婦の関係はあるならば、家族の数だけ家族の形態はあるはずだ。この作品の旅館の部屋はヨーロッパの芸術家の名前がついている。その洒落た旅館に泊まっている4組の家族を描いている。

誰かが「幸せな家族は1種類しかないが、不幸な家族は多くの種類がある」というようなことを言っている。この四種類の家族は表面的には幸せそうだ。そのため、同じよう性格の家族のように感じる。幸せな家族の家風は同じように感じる。この家族がトラブルに巻き込まれたとき、家風は大きな渦巻きのように出現するように思う。家族というものは「家風」を感じさせないような幸せなで平凡の時が一番よい時だと思う。

人間の生活は、たいくつかもしれないが、平凡が一番だ。「家風」がうっすら感じるというのが一番よい。この作品はうっすら感じる「家風」を描いているのだろう。

黒井千次の『隠れ鬼』では「平凡で退屈な家族がよい」という結論になる。その平凡が嫌になることがある。離婚や子供の非行などのようなトラブルに巻き込まれるのは嫌だが、この平凡は嫌だと感じることが誰しもあるはずだ。

この作品に母は平凡が嫌になったようだ。「夫は妻の心の中に生まれた倦怠感に気づいているのだが、どうしてやることも出来ない」とある。夫婦は理解出来ないことからスタートするしかないとも書いてある。平凡に対する嫌悪というものは誰しも感じることだが、その解決は時間しかないと思う。解決できずに不倫や家出という形をとるかもしれない。

しかし、倦怠を感じ、そのような行動を取ろうとするとき誰も止めることが出来ないと思う。待つしかないのだ。人は一人でも生きていくことはできるのだ。縁あって夫婦でいるが、縁がなくなることがあれば、それはそれでその状況を受け入れるしかないのだろう。妻は洗濯を気にして、しりとりをしようと言う。まだ縁が残っているのだろうか。
by qzr02421 | 2008-06-05 13:54 |