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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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茶道は「ちゃどう」と読むのだ

町文化を教えようと、高校の日本史の授業でですが、茶道や能が始まったのはこの時代だという話をした。茶道を「さどう」と言おうとしたのだが、ふと教科書のその部分、つまり茶道のところだが、茶道にふり仮名がふってあった。そのふり仮名には「ちゃどう」とあった。以前の教科書に、あまり教科書をみないから覚えていないので、最近の変化なのか、昔からなのか分からない。

NHKの茶道関係の番組ではこれを何と発音するのか聞き耳をたてたら、なんと「茶の湯」と言っていた。「ちゃどう」と言っていた番組もあった。どういう訳なのか疑問になり、調べたら「裏千家はチャドウ、武者小路千家ではチャドウ、さらに表千家はさどう」と読むらしいことが分かった。なおNHKは公平公正がキャッチフレーズなので、どの流派のも属さないお茶の作法という意味で「茶の湯」と読むのだそうだ。

お茶には作法があり、その作法を知らないと無作法になるとのことだ。しかし作法も流派によって違っているのだから、何が正解ということはないはずだ。だから自分で流派を新たしく作れば、その飲み方でもよいということにもなる。普通抹茶の入った茶碗は主人が正面を決めて、茶碗に最初から正面などはないのだから、客はその正面で飲むことを避けるために、ぐるぐると茶碗をまわすこととなる。風流だといえば風流だ。阿吽の呼吸と行ってよいだろう。客を思い正面で茶碗を出し、客は正面を避け飲むという思いやりの文化なのだろう。

能の奥義を示す『風姿花伝』、奥義書だから当時の人は限られた人しか読むことがなかった本だろう、今では誰でも読むことができる。これには「秘すれば花」という言葉がある。要するに大したことでないことも秘密にすることに芸術性が高まるというような意味だろう。茶碗をまわすなどということは大したことでないのだが、別に正面で飲んでもよのだろうが、このような作法を流派の秘密として、価値を高めるということが文化というもののようだ。そのような文化を気にしないという文化があってもよいとおもう。
by qzr02421 | 2013-02-06 08:32 | 日常