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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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考えることより見ることの方が重要なのだ

『思考のケミストリー』大澤真幸著を読んだ。社会学者の大澤さんが文学を分析するというものだ。夏目漱石や宮沢賢治などの作品をとりあげ、作品を分析しながら、その作品とその時代を分析しようとする試みのようだ。文学は文学として楽しんだほうが良いとは思うが、社会学という学問は大変な学問のようだ。

社会学という学問は大衆の発生とも生まれたようだ。19世紀に国民国家が生まれ、市民という存在が生まれ、時代の支配者として君臨しようとしたが、20世紀になると、大衆というものが生まれた。この大衆をどのように扱うか問題となったのだ。大衆を研究する学問が社会学ということらしい。

社会学とは、世の中をどのように見るかを考える学問なのだ。社会学とは考えるより見ることが大切なのだそうだ。見るということは、見えないものを見るということだ。見えるものが全てではないのだ。見ているようで人が見えていないということでもある。考えるより見ろということは大切なことだと思う。遠野物語、柳田国男の話で、遠野のある村で、馬頭観音を寺から持ち出し、子どもたちが投げたり、そりすべりをした、これを見た別当(地主か、庄屋か?)が子どもたちを叱ったそうだ。そうすると別当は思い病気のなったそうな。

巫女らしい人が何故病気のなったのかを問うたら、馬頭観音は子どもたちと楽しく遊ぼうとしたのを邪魔したからだという。馬頭観音の意向を無視した別当が本当は馬頭観音が子どもたちを遊びたいということを知りながら、世間体で馬頭観音で遊ぶ子どもたちを叱ったことが原因だというのだ。大人は実は子どもの心が分かっていながら、その心を無視するところに、観音が怒る原因があるというのだ。分かったようで分からない話だった。
by qzr02421 | 2011-11-21 18:40 |