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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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暗記するのが社会科ではないのだ

歴史認識というのは簡単なようで実は難しいものなのだ。学校で日本史や世界史を学ぶときは、テストのための暗記という要素があるので、歴史的な事実については疑問を、本当かとか、どうしてそのようなことが分かるのかなどという疑問を持たずに、ともかく暗記しないといけないのだ。このテストのための暗記が歴史認識をゆがめていることには間違いがない。

過去のことが簡単に分かるはずがない、事実はある程度わかったとしても、なぜそのようなことをしようとしたのかを歴史上の人物の決意の事情などはわかるものではない。つまり因果関係は簡単には分からないということだ。現代史でも政治家の政策の決定のプロセスは分からないものだ。菅首相が何故辞めないのか、その辞めない事情にはどのようなものがあるのかは、同時代人でもわからないのだ。

同時代人でも分からないのに、過去の複雑な事情が分かるはずがないことは考えれば分かることなのだが、学校の歴史の授業の暗記という作業によって、過去のことは分かるものではないという認識が人々に共有されないのだ。過去のある時期、ある人物について調べようとする現代人がいて、調べようとする対象の史料があることが、そのことがわかるという前提なのだ。

鶴見裕輔という人物がいて、当然この人物の子孫がいるのだから、子孫からこの人物のことを聞くことができるだろうし、この人物の業績などの近代以降なら新聞などで調べることはできる。『広報外交の先駆者鶴見裕輔』上品和馬著によれば彼はアメリカでの演説、英語でも演説が素晴らしかったというのだ。空の活動をパブリックディプロマシーというらしい。パブリックディプロマシーというのは政治家や職業外交官によるオフィシャルな外交ではなく、広報や文化交流を通じて、民間とも連携しながら、外国の国民や世論に直接働きかける外交活動のことだそうだ。そういう人物がいたということを発見できたということが大切なことだと思う。
by qzr02421 | 2011-07-10 23:04 |