本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

朗読と演劇は何がちがうのか

新劇100年を記念して俳優館が朗読・リーディングのよる連続公演をしている。朗読と劇のちがいとは何かということがいつも頭から離れない。演劇の基本が朗読だという人がいるが、別なものとしか思えない。何か基本かということはいえないジャンルのような気がする。発声は同じかもしれないが、体を動かす劇と、体を動かさない朗読とは、どう考えても別ものとしか思えない。

朗読の場合は体を動かさないということで、演劇とはちがう工夫が出来るという意見もある。それはそうだろう。役ということをある意味考えなくてもよいということだ。13日、秋田雨雀原作の「国境の夜」の朗読・リーディングを見に行った。名古屋舞台芸術協会スタジオでの公演だ。地下鉄伏見駅から南へ行ったところにある、小さいスタジオだ。小さいスタジオは臨場感があって、それはそれで雰囲気はよい。

「国境の夜」の舞台は北海道の十勝平野だ。時代は大正時代。葛湯を飲むシーンから始まる。葛湯とは懐かしい飲み物だ。体が温まる飲み物だ。冬の夜、雪が嵐のように吹く、音響はMDを使用しないで、生音を使っていた。こだわりを感じた。大正時代は男は乱雑な言葉を使用するが、女は男に対して敬語を使う時代だ。男尊女卑そのものの会話が続く。明治から大正は家制度があった時代なので、そういう会話が普通なのだ。この会話は現代の女性から見ると、封建的の見えるようだ。

雪の夜、旅人が一軒の家に近寄り、一晩泊めてくれと頼むのだ。一家の主人はその旅人を家に入れようとはしない。盗賊の恐れがあるからだ。主人の妻と子は、家の中に入れてあげればというが、主人は頑として入れない。結局旅人は雪の中で死んでしまうことになる。朗読を聞いていると、家に入れればよいと思うが、この旅人が盗賊の可能性は
あるのだ。宅急便を装った強盗が現代ではあるのだ。道徳と現実の間の国境ということのようだ。理想は美しいが、現実はそれほど美しくないということでもある。
[PR]
by qzr02421 | 2011-02-15 19:26 | 劇,映画その他