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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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信長の野望

織田信長はあらゆる宗教を信じていなかったようだ。一向宗を弾圧、比叡山を焼き討ちというように、自分に反抗するものは容赦なく弾圧した。しかし、自分の有利なものは保護したようだ。そういう意味でキリスト教は存在を許されたのだろ。南蛮貿易の利益という意味で。民衆も、かつて異国の仏教を受け入れたように、キリスト教を受け入れたのだろう。

織田信長の利用できるものは何でも利用し、異国の文化に理解をしめすというプラグマティックな思想に対して、本能寺の変以後政権を握った秀吉は、南蛮という文化に好意を持っていなかったようだ。貿易の利益には深い関心を持ったが、彼の本来持っている古い価値観が西洋文明の理解をすることを阻害したようだ。ところで当時のポルトガルの人口は250万人くらで、日本の人口は1800万人くらいで、国力ははるかに日本上位であった。ポルトガルが優位なのは航海術とガリオン船という優秀な船を持っているだけだったのだ。

ポルトガルからもたらされた知識と、かつてからある知識で秀吉は朝鮮出兵を企てたのだろう。戦国時代を続くかぎり領土的要求があるだろうから、征服戦争は止まることはないだろう。止めるためには徳川幕府のような鎖国政策が必要となるのだ。秀吉は朝鮮出兵という政策を通して、中華思想によって周囲の国々に朝貢を要求し、かつ西洋風の植民地支配という指向も持っていたらしい。

このころスペインがアジア進出を開始した。ポルトガルとちがって、スペインは領土的な野心を大きいと考えられる。キリスト教を布教しながら、現地の政権を征服するという手法はラテンアメリカでおこなわれている。日本とっては危険な存在なのがスペインなのだ。西洋の文物は魅力的で欲しいが、植民地になるのはいやだというのが当時の現実だったのだ。以上さらに『日本を動かした外国人』(武光誠著、青春新書)を読んで。
by qzr02421 | 2010-09-01 19:34 |