できることを淡々と・・・
2010年 02月 22日
調子が悪い時、あがく人がいる。あがいても上手くはいかないものだ。上手くいかないときは、できることを淡々と、一途にすることで、そのスランプを乗り越えることしかないような気がする。人間はいつも調子がよいとは限らないのだ。
調子が悪いとき、それを耐えて、いまできることのみをしている姿は、それはそれで感動を呼ぶのかもしれない。今、オリンピックだが、調子のよい選手もいれば、最悪の選手もいるだろう。どんな調子でも、くさらずに、ひとつのことに集中することしか、その不調を乗り切る方法はないと思う。
仕事がら、人前で話すことが多いが、今日は調子がでないな~というときがある。そういうときは、調子が悪いといいながら、話すしかないのだ。話すことしかとりえがないのだから、そのとりえにすがって、はなすしかないというのが現実だ。自分では、今日は最悪と思っても、今日はトツトツとした話で、味わいがありましたなどと言われたりもするのだ。日頃の立て板に水の話は、早すぎるということか?
話術の勉強のため、今池のガスビルにあるホールで「桂文我」独演会を聴いた。ほぼ満席だった。落語を話して30周年だそうだ。味わいのある話だった。桂枝雀の一番弟子だ。話し方も、枝雀にどこ似ているような気もした。「ちはやぶる」「天神山」など堪能した。話術は深いということを実感した2時間半だった。
調子が悪いとき、それを耐えて、いまできることのみをしている姿は、それはそれで感動を呼ぶのかもしれない。今、オリンピックだが、調子のよい選手もいれば、最悪の選手もいるだろう。どんな調子でも、くさらずに、ひとつのことに集中することしか、その不調を乗り切る方法はないと思う。
仕事がら、人前で話すことが多いが、今日は調子がでないな~というときがある。そういうときは、調子が悪いといいながら、話すしかないのだ。話すことしかとりえがないのだから、そのとりえにすがって、はなすしかないというのが現実だ。自分では、今日は最悪と思っても、今日はトツトツとした話で、味わいがありましたなどと言われたりもするのだ。日頃の立て板に水の話は、早すぎるということか?
話術の勉強のため、今池のガスビルにあるホールで「桂文我」独演会を聴いた。ほぼ満席だった。落語を話して30周年だそうだ。味わいのある話だった。桂枝雀の一番弟子だ。話し方も、枝雀にどこ似ているような気もした。「ちはやぶる」「天神山」など堪能した。話術は深いということを実感した2時間半だった。
by qzr02421
| 2010-02-22 14:10
| 劇,映画その他