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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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王道にのっとった戦いぶり

光明皇后の手になる「楽毅論」はとても有名なもので、一度見て見たいとは思っていたので、実際に見ることが出来て、とても感動した。楽毅はすごい勢いで斉の70あまりの都市を征服し、楽毅が来るというだけで門を開いた城もあったそうだ。結局最後には、即墨と莒の2つの城のみが残った。楽毅はその2つの城を攻めることをやめた。

やめたことにより、結局楽毅に対する評価があがり、他の諸国も降伏し、中国に安定がもたらされたということが、しかし、その一方で陰謀があった。即墨と莒は今すぐにでも落とすことが出来るのに楽毅がそれをしないのは斉の人民を手なずけて自ら斉王になる望みがあるからだという流言が流されたのだ。結局、楽毅は、趙へ亡命したのだ。

『楽毅論』は中国の王羲之が書いたと伝える法帖で、内容は将軍楽毅は王道にのっとった戦いぶりをしただけであって、それ以外のものではないと楽毅擁護した内容だ。日本では今回展示されている正倉院宝物の光明皇后の臨模本が有名なのだ。東大寺献物帳つまり国家珍宝帳に「楽毅論一巻、白麻紙、瑪瑙軸、紫紙、綺帯、右皇太后御書」と掲げるものにあたる。藤三娘つまり藤原氏の第三女とあるのが特徴だ。

この光明皇后の作品は白麻紙3帳を継ぎ、紙背よりへらのようなもので界を引いた縦簾紙を使用し、中国より舶載された王羲之の法帖を臨書し、筆力が強く、格調の高い筆致を示しているといわれている。奈良時代の書が、中国の王羲之尊重の風潮をそのままに受け継ぐものであるという素晴らしいことは分かる作品なのだ。
by qzr02421 | 2009-11-01 14:43 | 歴史