本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

未来に向かって歩こう

2・11「建国記念の日」不承認の集会というのがある。日本の建国を祝うのはよいことだろうが、日本の建国の日とはいつなのだろか。日本ができたのはいつかということだ。近代日本ができたのは明治維新だとすれば、王政復古の大号令だろうから1月3日ということだろう。明治維新はいつからいつまでかはいろいろ意見がある。以前は天保の改革以後で、江戸幕府が衰退し始めたこと始まりをとしていた。最近は江戸幕府は衰退はしていないので、ペリー来航以後ということになっている。

明治政府の官僚の多くは江戸幕府の役人だったらしいので、江戸幕府は崩壊したのではなく、薩長だけでは政治をすることはできないので、薩長ととともに明治政府を運営したということになっている。明治維新の終わりは西南戦争の終了ということになっているようだ。歴史はある日を境に変化するわけではない。ある程度の年数が必要となるのだ。この日から新しい時代と思いたいのだろうが、そんなに簡単に時代は変わらないのだ。

資本主義が生まれ変化しているのだろうが、いつ生まれいつ変化し、いつ崩壊するのかは誰もわからない。資本主義は成長を基本にしているのだが、いつまでも成長ができるとは思われない。成長が止まるとこがあるはずだ。人は今が永遠に続くように思うようだが、今は永遠に続くことはない、成長を続けていた資本主義が成長をやめるときがくるのだ。人はそれを信じようとはしないのだ。知らないうちに変化して、知らないうちの時代は変わっていくのだ。それは高校で習う歴史で明白だ。鎌倉幕府は滅亡し、建武の新政も崩壊し、室町幕府は応仁の乱後戦国時代となるのだ。織田信長は暗殺され、朝鮮出兵は失敗し、石田三成は敗北するのだ。

建国記念の日を祝うことのどれほどの意味があるのだろうか。意味はないと思う。過去を知ることは大切だが、過去を賛美しても意味はない。未来に向かった歩くことが大切なことなのだ。建国記念に日を祝おうという精神はどこから生まれるのだろうか。なぜ過去を祝う必要があるのか。過去のすがりつきたい勢力の陰謀ではないのか。ともかく未来を信じ未来の向かった生きることが大切だとすれば、過去の日本がいつできてもそれを祝う必要はないような気がする。
[PR]
# by qzr02421 | 2013-02-11 21:37 | 日常
ヨーロッパの中世とは、日本の中世を同じだろうが、多様がということが特徴だ。近代は中央集権的なのだ、理解がしやすい。しかす多様というのはバラバラということだから、理解は容易ではない。ヨーロッパ中世といっても4世紀、つまりゲルマン人の大移動からルネッサンス、つまり14世紀から16世紀までだから1000年以上の時代のことだ。1000年を同じような性格を持った時代だということはできない。

中世はゲルマン人の移動で混乱した時代、フランク王国の時代、フランクの分裂の時代、十字軍の時代。十字軍以後の王権が延びる時代、近代の始まりの時代と6つの時代の分けることができるのだが、この歴史観だが絶対王政の時代はどのような時代がよく分からなくない。中世は多様ということだから、一筋縄ではいかないこということでもある。

フランス革命において倒すべき対象はアンシャンレジームということになっているが。アンシャンレジームと中世はどのような関係にあるのだろうか。アンシャンレジームとは専制的な政治をしている人を意味していると思われる。中世は多様性という定義なのだから、いつからアンシャンレジームはできたのかという疑問が生じる。歴史というのは分かってるようで、実は何も分かったいない例でもある。

高校の世界史で習うことは、疑問を持てば、違う世界を見ることができるのだ。疑うことが大切なのだ。孔子は質問しないと答えてくれないのだ。歴史もそのようなものだと思えばそのような歴史が現れてくるのすぎないのだ。疑問を持った過去の対峙しなけらば、過去は姿を現してはくれないのだ。これは簡単そうで難しいことだ。疑問を持つということはとても難しいことなのだ。
[PR]
# by qzr02421 | 2013-02-10 20:23 | 歴史
難しい哲学書を読むのは好きでないのだが、授業で話さなくてはいけないので読むのだ。朱子学について語る必要があるので、朱子学と陽明学の本を何冊が読んだ。朱子学は難しい。理気二元論、世の中は気で出てているという。気の集散で物体などができるというのだ。これはアトムのことか。アリストテレスの質料かなのか。昔は朱子学の理と気を質料と形相になぞらえたが、最近はそのようなことはしないようだ。

気の背後には理が控えているのだ、気の秩序を与えているのは理なのだという。分かったようで分からない話だ。哲学とか宗教というものは信じることが大切なような気がする。理や気は見ることができないのだ。朱子学で気は見ることができるという。気が行動の表れるからだそうだ。基本的に儒学は性善説を取っているので、仁義礼智は人間の本性らしい。気と理がシンクロしていれば、人間は本当の生き方、朱子学風にいえば本性の生き方ができるのだ。シンクロといえばエバンゲリオンのようだ。性即理となるのだ。

シンクロというのはキーワードになるような気がする。人と人もシンクロすることが大切だ。人とモノとはシンクロすることも大切なことだろう。出会いとか相性とか赤い糸というものもシンクロの結果のような気がする。シンクロという言葉を大切にしたいものだ。朱子学では人間は知ることができれば変わることができるという。シンクロということが納得できれば人生が変わるのだ。朱子学の場合はまず学習が大切なのだ。

陽明学の場合は知ることが行動が一致することが大切だととく。学習して時間をかけて納得して行動をおこすのは遅いらしい。教員は学習が好きだ。課題があるとまず学習という意見がでる。まるで行動することを嫌がっているようにも見える。陽明学は学習して行動しろというのだ。学習イコール行動、これを知行合一という。江戸時代後半の大塩平八郎がどの代表だ。原発は危険だと知れば、原発即時廃止というようなものだろうか。知行合一というのは正しいように感じるが、世の中そんなに簡単に変わるものなのだろう。変わるためには時間がかかるような気がするのだが・・・
[PR]
# by qzr02421 | 2013-02-09 18:16 | 日常
立川談志の『人生、成り行きー談志一代記』を読んだ。立川さんの生き様が分かる本だった。高校を中退して落語家になろうとし、小さんに入門したが、入門したとたん後悔をしたという。落語家になって「しまった」と思ったというのだ。その理由は落語家の世界が理不尽な世界だったからだという。つまり世間の常識が通じないのだ。落語家の世界は裏ばっかりの世界で面食らったからという。

世間は「正しく生きなさい」とか「人には親切に」という価値観があるのだが。それが落語家の世界は逆転しているという。「八時の来なさい」といって八時に行くと「なぜ七時半にこないのか」と怒られるのだ。何か言おうとすると「言い訳をする前にまず謝れ」といわれ、謝ると「謝るならなぜそんなことをしなのだ」と怒られるのだ。

談志の妻は変わった人だという。彼も変わったいるのだから変わった夫婦ということでもある。彼の妻の言ったことがメモされている。「談志の十八番の野ざらしをあざらしが出てくる話だった思っていた」「競馬の八百長事件を知って馬がどうして八百長できるのと聞いたという、談志は旗手がやると答えたという」「私はペットなの、でもいいペットでしょ、トイレも自分で行けるし、ラーメンも自分で作れるし」ということだ。

この本の最後は談志と志の輔の対談で終わっている。志の輔は「師匠を見ていると凄いなと思うことは高座で言っていることとプライベートの時に仰ることや行動に違いがない、つまりブレないことで、それが素敵だし凄いことだと」思うと言っている。高座と私生活の一致、人生と落語の一致をしている。「一致できない芸人はニセモノだ」というのだ。談志は「落語の登場人物のように生きている」ということなのだ。それはすさまじいことだとは思った。談志は「おれが偉いのは正直なところ」だといっているのだが、それが彼の人生というなのだろう。55年体制について談志は「多勢にあぐらに自民党、何でも反対社会党、力の足りない民社党、みんなロボット公明党、日本にゃ向かない共産党」と言ったそうだ。そうすると石原慎太郎が、「あるかないのか社民連」を付け加えろといったということだ。よくできた話だと思った。
[PR]
# by qzr02421 | 2013-02-08 21:36 |
町文化を教えようと、高校の日本史の授業でですが、茶道や能が始まったのはこの時代だという話をした。茶道を「さどう」と言おうとしたのだが、ふと教科書のその部分、つまり茶道のところだが、茶道にふり仮名がふってあった。そのふり仮名には「ちゃどう」とあった。以前の教科書に、あまり教科書をみないから覚えていないので、最近の変化なのか、昔からなのか分からない。

NHKの茶道関係の番組ではこれを何と発音するのか聞き耳をたてたら、なんと「茶の湯」と言っていた。「ちゃどう」と言っていた番組もあった。どういう訳なのか疑問になり、調べたら「裏千家はチャドウ、武者小路千家ではチャドウ、さらに表千家はさどう」と読むらしいことが分かった。なおNHKは公平公正がキャッチフレーズなので、どの流派のも属さないお茶の作法という意味で「茶の湯」と読むのだそうだ。

お茶には作法があり、その作法を知らないと無作法になるとのことだ。しかし作法も流派によって違っているのだから、何が正解ということはないはずだ。だから自分で流派を新たしく作れば、その飲み方でもよいということにもなる。普通抹茶の入った茶碗は主人が正面を決めて、茶碗に最初から正面などはないのだから、客はその正面で飲むことを避けるために、ぐるぐると茶碗をまわすこととなる。風流だといえば風流だ。阿吽の呼吸と行ってよいだろう。客を思い正面で茶碗を出し、客は正面を避け飲むという思いやりの文化なのだろう。

能の奥義を示す『風姿花伝』、奥義書だから当時の人は限られた人しか読むことがなかった本だろう、今では誰でも読むことができる。これには「秘すれば花」という言葉がある。要するに大したことでないことも秘密にすることに芸術性が高まるというような意味だろう。茶碗をまわすなどということは大したことでないのだが、別に正面で飲んでもよのだろうが、このような作法を流派の秘密として、価値を高めるということが文化というもののようだ。そのような文化を気にしないという文化があってもよいとおもう。
[PR]
# by qzr02421 | 2013-02-06 08:32 | 日常
長野では氷点下10度になったという。昨夜は水道管が破裂した夢を見たので、長野にある家は大丈夫だろうかと心配した。心配が実際になった。長野に家の隣にある人から、水道管が破裂したようなので元栓を締めたという電話があった。予想が当たったのだ。くじはあたらないのだが不幸があたるのだ。妻のそのことを言ったら、交通事故で死ななかったのだから、その程度で済んだことに感謝しましょうといわれた。太っ腹な妻に感謝しなくては・・・

早速水道を治そうと水道屋さんに電話したら、すぐに修理にいってくれた、ありがたいことだ。隣の人は破裂して水浸しになった部屋を雑巾などで拭いてくれた。これもありがたいことだ。自分自身もそのようにしなくてはという思う。明日は長野に行こうと思い、車の様子を見に行った。見に行かなくてもよのだが、これもいやな予感があったのだが、なんとパンクしていた。

これもすぐに修理のために電話をしたのだが、今のスタッドレスは古いのでこれを機会に買い換えようと思って、相談したら、4本で10万円を超すとのことだ。水道は破裂して水道代を払い、配管と蛇口を修理をして、さらには水浸しの床の修理、長野への往復など年末の多大の出費となった。妻に言わせれば、その程度で済んだのでよいのだという。

人間万事塞翁が馬という、今日の不幸が明日の幸になるのかもしらないし、そのように思わないと生きていけないということかもしれない。その程度で済んだのだと思う妻に感謝しなくていけないと思うのだ。その程度、実にすばらしい言い方だと思った。それにしても年末どうしてこのような目にあうのか、僧思ってはいけないということが分かっていても、やはり思ってしまう。これが人間の業ということなのだろう。
[PR]
# by qzr02421 | 2012-12-29 19:04 | 日常
カレンダーもあと一枚となり、さらには今年もあとわずかとなった。この一枚が終われば、来年となるのだが、日常は続くし、年度はあと3月あるのだ。それにしても年末というのはいくつになっても年の瀬ということで、それなりの思いがある。紅白歌合戦を見るわけではないのだが、大晦日という言葉に対してはある種の感慨を持ってしまうのだ。今年も終わりですねと言われれば、そうなんだ今年も終わってしまうのだと思ってしまう。

時間や暦が実際に存在しているわけではない。時間経過というのは人間が考えた幻想のようなものだろう。人間はいろいろなものに頼らないと生きていきない存在なのだ。時間などというものは存在していない。時間は人類の滅亡とともに消滅する運命のものなのだ。暦というものも支配者が住民に与えたものだ。明治時代の太陽暦とした民衆に与えたのだが、民衆は月との生活を優先した時代が続いていたようだ。それが大安とか先勝とか言うものがその名残となっている。

人間の生活にとって一番大切なものは人間関係に決まっているのだ。人間関係の基本は人を知るということだ。人を知るためには他人の考えを知ることだ。他人の考えを知るためには、他人の会話をしっかり聞くことが必要となる。ということで、電車がなどでは他人の会話を聞くことにしている、人はこれを盗み聞きというのだが、盗んでいるのではなく、聞こえてくる会話をただ聞いているだけのことなのだ。

聞こえてくる会話はそれなりの面白いものがある。話している人たちは、聞かせようとしているわけではないのだろうが、聞かれてもかまわないという意識はあるようだ。最近多い会話形式は、会話になっていないというもんだ。それぞれが自分の意見を言っているだけというものだ。聞いているとこれは会話ではないと思うのだが、それをその人たちの言うわけにもいかないので、結構ストレスがたまったりするのだ。これが現代の特徴かもしれないと思う。
[PR]
# by qzr02421 | 2012-12-27 11:49 | 日常
冬型の気圧配置で寒く、風も冷たく強い、歩いていても風で飛ばされそうだ。というのが大げさでないほど風が強く吹いている。風が強いと体感温度も下がるのでよけいに寒く感じる。年末から年始は今年一番の寒気が南下するそうだ。どのような寒さになるのか。ロシアは氷点下25度まで下がり、シベリアでは氷点下50度だそうだが、シベリアの氷点下50度の一部が日本にくるということか。

一方では地中海では24度の気温だそうだ。これを異常気象とよんでいるのだが、短い人類の歴史で、人間が体験していることなどは、たいしたことがないのだろうが、大げさな言い方だ。人類が文明化してから気温が上がったり下がったりしている。下がったときには北方の人々が南下して混乱を招いた。ゲルマン民族移動や匈奴の南下も気温の低下が原因とされている。現在は国境があるので簡単に南下してこないが、南下したい気持ちはあるのだろうと思う。

気温が上がったときには農業生産が増大して、それとともに人口が増加する。人口が増加すると、その地域ではその人口を養うことができないので、増加した分は、また移動をすることとなる。気温が上昇しても下降しても、結局人間は移動するものだ。11世紀から12世紀にかけた気温が上昇して人口が増加してので人々の移動が激化したと考えられる。それが十字軍であり、日本の関東を中心とする鎌倉幕府の発展なのだろう。

14世紀になると寒冷化してくる、増加して人口が邪魔になって、人口を減らすために戦争が起こるようだ。これがヨーロッパでは百年戦争、日本では南北朝の動乱となっている。16世紀に入ると気候も安定化してくる、ヨーロッパでは絶対主義国家が、日本では江戸幕府が成立する。17世紀後半また寒くなるとまた戦争や一揆がおこることとなる。結局人間も動物なので、気温の影響されて安定したり不安定のなったりするようだ。
[PR]
# by qzr02421 | 2012-12-26 16:21 | 歴史

長野は雪だった

20日から長野へ行っていた。20日の夜の長野は寒いなという感じだったが、21日の朝はマイナス5度くらいだろか、布団の中にいても寒さを感じた。25日に最低気温がマイナス9度らしいので、それよりは暖かかったのだ。長野から名古屋に帰ってきたら、名古屋がとても暖かく感じた。以前北海道のニセコに行ったとき、ニセコスキー場の上のほうはマイナス10度という表示があった。12月からこれほど寒いというのは、久しぶりのことだろうか。

21日は終日曇りで今にも雪が降りそうな一日だった。雪が降らないのでよかったと思いながら、温泉に入りのんびり過ごしした。お酒も飲み、本当にのんびりした12月の暮れを過ごすことできた。夜中にトイレのおきて、トイレの窓から外を見たら、雪だった、3センチほど積もっていた。朝起きて外を見れば見渡す限り雪景色となっていた。10センチ以上積もっている感じだった。土曜日なので通勤の車もなく、静かな午前中だった。

昼前には除雪車が通り、道の雪はなくなったが、駐車場は雪、車も雪に覆われている。駐車場の除雪をしていたら、腕は痛いし汗びっしょりとなった。たった10センチほどの雪で、しかも雪の少ない南信なのにと思った。雪の多い地方の除雪は大変だということが少し分かった。雪はやんで雨になった。そこいらを散歩して、また温泉につかり、雪景色を眺めた。眺めるだけに雪なら、それはそれで風流なものだ。

「香爐峰の雪はどのように見るのか」と問われたのは清少納言だった。清少納言は白居易の『白氏文集』にならって「簾をかかげてみる」ということで、御簾をあげたというのだが、何だが教養を鼻にかけたいやな話だ。それを『枕草子』に書いているというところももっといやな話だ。紫式部の清少納言のことをいやなやつと書いているので、やっぱり教養をひけらかすいやなやつだったのだろう。
[PR]
# by qzr02421 | 2012-12-25 13:53 | 旅行
朝鮮人参の話の続きなのだが、朝鮮人参の栽培は日本でおこなわれ、それが朝鮮の輸出されたらしい。もちろん苗か種は朝鮮からきたものだが、それを江戸幕府が栽培して独占したとのことだ。各藩もそれが欲しいのでスパイつまり隠密か忍びを使わした種か苗を盗みこっそりと各藩も栽培し、それを朝鮮に輸出して儲けたということなのだ。秘密にされたことなので日本史の教科書には出てこないことになったのだ。

各藩が盗んだのか、あるいは松平一族には分け与えたのか、詳しいことは分からないが、「八代将軍徳川吉宗が対馬藩に命じて朝鮮半島で種と苗を入手させ、試植の後各地の大名に「御種」を分け与えて栽培を奨励した」という記録もあるらしい。だから松平不昧公は松江で朝鮮人参など栽培した財政再建を試みたという記録もある。

朝鮮人参と皮をむいてしまったので白い根があるのだが、本来の朝鮮人参とは皮があり黒っぽいものだという。皮に栄養があるとのことで、栄養のある皮を向いて白っぽくして効能があるように見せかけるという手法を朝鮮の誰かが発明して今日に至ったというのだ。朝鮮人参というネーミングで効能があるように見せかけただけで、朝鮮人参は日本を多く栽培されているそうだ。7割は日本で栽培され朝鮮の輸出され、朝鮮で加工され。つまり栄養のある皮をむかれ、薬らしくなり日本に輸入され、それをありがたく頂戴したのが江戸時代の人々だったのだ。

世の中、それらしく広まっていることは嘘が混じっているということでもある。朝鮮人参の皮からできたエキスが一番効能があるのだ。薬などの人工的なもので健康を維持しようすると、人間が本来持っている健康を維持しようとする機能が衰えるそうだ。人間は自然に、それほど自然に生きることができないが、それでも自分の力で自分の健康を維持しようとする機能を大切のしながら生きたほうがよいように思えるのだ
[PR]
# by qzr02421 | 2012-12-20 10:40 | 日常