本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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引越しで忙しい毎日だ

妻がマンションを買いたいというので、買うことにした。子どもが自立することを期待してのことだ。我が家は居心地がよいのか、子どもが居座って出て行かないのだ。別のいてもよいのだが、私たちの老後を考えると、アパートかマンションかという選択をしたということだ。伊那に家があるのだから、伊那に行けばよいのだろうが、都会の過ごしやすさも魅力的なものだ。

伊那と名古屋に二つの家があるという選択をした。今のアパートから歩いて3分ほどのところにあるマンションなのだが、引越し業者を頼まずに夫婦で荷物を移動しようと計画した。業者を頼んでも、荷物の開封という仕事があるので、一ヶ月弱かかって移動をしようということだ。私の荷物は読みもしない本だ、妻の荷物はいつ着るか分からない服だ。引越し先には私は本を、妻は服を移動するのだ。

断舎利という言葉を実感した。捨てないと引越しができないのだ。長い間住んでいるので、ガラクタがたくさんあるのだが、これを捨てることがなかなかできないのだ。しかし捨てないと引越しができないことも事実なのだ。という事情でブログのアップがなかなかできないのだ。本の移動は完了した。妻の服の移動はまだまだのようだ。

古いマンションなのだが、改装がきれいにできているので、結構住みやすいと思う。しかし古いので、丈夫そうだが排気口に関する音が気になる。慣れればよいのだろうと思う。確かに何回か荷物を運んでいるうちに、その音に慣れてきた。引越し先に片付いたが、引越し元がまだまだだ。しばらくブログの更新は滞ることだろう。
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by qzr02421 | 2012-04-18 21:48 | 日常

ネット環境が悪かった

昼神温泉はとても良かったのだが、ネットの環境は良くなかった。イーモバイルを使っているのだが、都会ではサクサクとつながるのだが、温泉などはつながらないことが多い。以前、北海道の登別温泉に行ったときもつながりにくかった。つながりにくいというのはつながるということだから、それはそれでよいのだ。伊那でもつながりにくい状態が多い。アンケートなどの回答を何回も繰り返さないといけないこともある。それはそれなりのストレスとなる。

昼神温泉はつながりにくいのではなく、つながらないのだ。つながらないのでネットはあきらめるしかない。つながらないほうがあきらめもつくというものだ。イーモバイルは都会では調子がよいのだが、地方でのつながりが悪いのには困ったものだ。ケイタイがつながるのにどうしてネットがつながらないのか不思議なことだ。

名古屋に帰ってきて、ネット環境もよくなった。ネット環境がよくなったのがブログの書くことが思いつかない。本をよんだりしてはいるのだが、その本の内容を書く気にならないのだ。文章を書くというのは気分なのだから、書きたくないときには書かないのがよいと思う。最近は授業の準備でいろいろ考えてはいるのだが、それを言葉にすることができないのだ。感情を文章化したらその感情はおさまると言う。感情の言語化が重要な課題なのだ。

自分の感情というのを文章にすることができれば落ち着くということなのだ。それができればたいしたものなのだろうが、難しいからこそ感情の文章化という言葉があるのだろう。イライラしたら一度、そのイライラを文章にしてみたはどうだろうか。ウソだと思っても、試してみる価値はあると思う。
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by qzr02421 | 2012-04-10 20:32 | 旅行

温泉はよいものだ

昼神温泉に行った。いろいろと宿が多くなった。以前は昼神グランドホテルに泊まったり、昼神の森に泊まったりしたが、同じ宿に泊まるのは風情がないので、今回は伊那華、いなかと読む宿に宿泊することにした。じゃらんで予約したのだが、岩盤浴付きというプランだ。もちろん夕食、朝食付きだ。

爆弾低気圧が通過する日に出立したため、雨が激しいのでどこも見物しないで伊那華に到着した。1時チェックインなので、それは良かった。妻は岩盤浴を楽しんだ。私は温泉を楽しんだ。昼神温泉はアルカリ性ということで、ぬるぬるしている。美人になれそうな湯だ。伊那華は女性が楽しめる湯となっているようだ。男性は女性が使っているところは次の朝しか楽しむことできない。

次の朝、女性が楽しんだ湯に入ったのだが、露天風呂が充実しているのだ。男性の湯は露天風呂がひとつしかないのに、女性の湯は4つもあるのだ。これは差別だ。この伊那華は夕食のバイキングが有名なのだそうだ。それが目当てで予約をしたのだが、期待はずれではなかった。それぞれ美味しい料理が並んでいた。

今回は蟹祭りプランだったようで、蟹を食べている人が多かった。それが目当で来たのだろう。私はそれほど蟹が好きというわけではないので、蟹以外のものを食べた。天婦羅や寿司、サラダなど美味だった。私たちの隣のカップルは蟹三昧だった。蟹が好きな人だったら最高の夕食だろう。寿司も美味しかった。次の日の朝食の結構美味しかった。もう一度行きたいと思う宿だった。
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by qzr02421 | 2012-04-09 20:10 | 旅行

春は花見だ

名古屋は桜が満開になりつつある。長野に行ったのだが、長野の冬だった。晴れているかと思うと雪になった。4月なので積もることはないのだが、4月の雪というのも風流なものだ。サクラ吹雪ではなく雪の吹雪となった。名古屋の名城公園では花見真っ盛りだった。黒川上流の御用水でもサクラを楽しみ事ができる。

妻と花見に行った。片手に酒、片手には串かつをもってだ。御用水はマイナーなところなのか人手は多くはなかった。ライトアップされているので、それなりの風情はある。酒をちびりちびり飲みながら散策した。日本人なのだと思う瞬間だ。中国の人も最近は花見に日本に来るそうだ。上野あたりのサクラを見て楽しむとのことだ。中国ではサクラを見るという習慣がないというか、サクラがないとのことだ。

3月末に「歌わせたい男たち」の音響をしたりして緊張した日々を過ごし、今はサクラを楽しむなど、風流な日々を送っていたら、罰があったったようでぎっくり腰になってしまった。歩くのはできるのだが、座るのが苦痛だ。最初は寝るのも苦痛だったが、寝ることだけはできるようになった。良いことが続かないものだ。楽あれば苦ありというということのようだ。

寒かった冬も終わってこれからは暖かくなるという天気予報だ。新聞を読むと地震の話題、オリンピック選考会の話題などが掲載されている。地震があるかもしれないと思いつつオリンピックを楽しむことができるのが人間というものなのだろう。未来を心配しながら現在を楽しむことができるのは人間の特性のようだ。心配と楽しみ、それが人生というものなのだ。
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by qzr02421 | 2012-04-08 19:52 | 日常

孤独と世間の関係

4月に入っていろいろ変化がある人が多いようだ。日本は1月と4月と二回新しい年度が始まるのだが、最近東京大学を中心として新しく10月という年度を創設しようとしている。明治時代に大学を創設したときには学校の始まりは10月だったそうだが、いつのまにか4月になったのだ。桜の咲くころに新学期というのが日本人にはあっているのか、ソメイヨシノは明治になって植えられたということなら、サクラが先で4月が新しい年度になったのか。

日本人は世間という中で生きているはずだから、みんなが4月なら4月から始めるのが適当だろう。みんなが10月なら10月でよいのだ。みんなというのが大切なのだ。東京大学だけ先行しても上手くはいかないと思う。日本人のキーワードはみんなということなのだ。人様に迷惑をかけないという教育が骨身に沁みているのが日本人なのだ。昼食もみんな、飲み会もみんなということなのだ。

みんなという世間がいやで、それを壊してきた歴史もあるのだ。現代ではみんなと個人がせめぎあっているように見える。孤独死などとマスコミは騒いでいるが、個の確立があるとすれば、死は個の問題なのだ。死ぬときは一人なのだ。孤独死をして何が悪いのかという考えが個の思想のはずだ。孤独を防ごうということマスコミは言っているのだが、それはおかしいと思う。

みんなという世間を大切のしつつ、孤独を求めるのが現代の人間なのだ。みんなと孤独とを両方いっぺんに手に入れることが無理なことだ。みんなを欲すれば孤独はないのだ、また孤独を欲すればみんなはないのだ。4月の今、花見をしながら、孤独とみんなということを考えながらお酒を飲むのも粋なものなのだと思う今日この頃なのだ。
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by qzr02421 | 2012-04-02 20:26 | 日常