本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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迷信はウソなのか

寒くなったり暖かくなったり、いわゆる三寒四温という状態で春になっていくのだ。散歩では春の気配を感じてはいるのだが、冬という感じもしている。冬と春の境目で体調管理が難しいときでもある。灯油を買うのをいつやめたらよいのか迷うときでもある。暖かくなったときの石油ストーブは惨めなものだ。必要とされなくなったストーブを見ているのは寂しいものだ。

今年はうるう年なので29日がある。29日を過ぎれば3月だ。お雛様を出さなくてはと思いながら、いつのぎりぎりで出すこととなる。しまうときには、婚期がとか言いながら、あっという間にしまうのだ。それでも婚期とは関係がないとは思う。2月中にお雛様は出したいものだ。天気が良くないときにはお雛様の出し入れがダメとなると、困ったことになる。迷信を忘れて、出したいときに出して、しまいたいときにしまえばよいとは思うのだが・・・

迷信というのは合理性があるのかどうかは分からないが、過去の人が語ったことを無視するのもどうかと思う。合理的ではないことが、間違っているということでもない。人は合理的だけで生きているわけではない。どうしてそういうことなのというような不合理な世界で生きているのが人間なのだ。説明できないことの中に真実がかくれているのかもしれない。合理性だけを追い求めるのはよくないと思う。

季節の変わり目は体調を崩しやすいものだ。そういう時期こそ雛祭りなどの行事で節目を感じ、体調を管理する、つまり過去を思い出し、未来を考える時期なのだと思う。年中行事を馬鹿にしてはいけないのだ。正月も節分をきちんと行なうことにより、健康は維持できるのだと思う今日この頃なのだ。
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by qzr02421 | 2012-02-29 18:55 | 日常

春は片付けの季節だ

春になるので、春とはあまり関係はないのだが、モノが少なくなったほうがよいと思うので、部屋の片づけをはじめた。モノに囲まれた生活もそれなりに楽しいものだが、モノがないものそれはそれでよいものだ。リサイクルできるものはリサイクル使用とは思うが、男性の服は中古でも売れないらしい。女性の服のリサイクルはあるのだが、男性は服に興味がないものなのだろう。

まず昔着ていた服で、おそらくもう着ないだろうと思われる服を処分し始めたが、なかなか捨てることが難しい、心を鬼にして分別した。結構な量にはなったが、まだまだだ。服のサイズがここ30年変わっていないので、古くなってはいるが着ることができるので捨てがたいのだ。それでも服はひと段落ついた。

次はビデオテープだ。いつか見ようと思ってダビングしたテープだ。題名を見ると懐かしい思いがあるのだが、これも捨てるのだ。テープは以前は不燃ごみだったのだが、最近は燃やせるゴミに変わった。ゴミ袋に直接入れると袋が破けると思ったので、ビニールの袋に入れたのだが、テープが多いのか、テープが角張っているのか、袋が破けてしまった。一本は軽いのだが、40本近いと結構な重さになるのだ。

本はブックオフのようなところで売ることにした、最近はネットで依頼すると宅急便で取りにくるので、楽になった。それでもダンボールの詰めることが必要だ。本の仕分けにも結構時間がかかる。一度読んだ本をもう一度読むことはほとんどないのだが、何故か処分がしにくい。読んだのか読まないのか分からない本もあったりする。本の処分にはもう少し時間がかかりそうだ。
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by qzr02421 | 2012-02-28 19:53 | 日常

国語のテストの本質

テストが終わり採点をしなくてはという時期だ。学年末テストがどこの高校でも行なわれ、三年生は卒業する時期でもある。高校では成績が悪いと留年という制度がある。しかし、留年することは本人の負担も大きいので何とか留年しないような指導が行なわれるのが普通だ。高校生でも留年ということは精神的な負担が大きいのに、それを小学生で実施することはどういう意味を持つのだろうか。留年ということがないように教師のフォローが必要だと思う。

勉強しないと留年させるぞという脅しはあるのだろうが、そのような学習に意味があるとは思えない。何のために勉強するのかということをハッキリさせることからはじめないと、勉強が嫌いな生徒を生み出すだけのような気もする。何のためにテストをしているのかも問い直されないといけない。

ところで、国語がテストに採用されたのは昭和初期のことだという。最初に国語をテストに採用したのは東京大学だそうだ。国語というのは古文のことだったそうだ。現代文をテストに、つまり入試だろか、採用したのは地方の国立大学だったとのことで、国語をテストに採用した理由は思想統制の意味もあったらしい。テストに出て、それを答えるということは、テストの内容が正しいということだ。覚えたことがテストに出て、その覚えたことが正しいことでなければ、覚えることに意味がなくなってします。

国語のテストで「日本が戦争することは自衛のためだ」という文章が正解なら、日本の戦争を肯定する生徒が出現するのだ。戦後になって「民主主義は素晴らしいもの」だという文章を正解とするようなテストがあれば、民主主義は素晴らしいと思う国民を生み出すのだ。国語のテストは思想統制になるということはそのような意味なのだ。恐るべきはテストということだ。
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by qzr02421 | 2012-02-27 18:14 | 日常
立川談志がなくなって弟子の立川志の輔が「悲しみがいつまで続くのか、師匠だったらこういう時何と言うのだろか」と考えてしまうと言っている。それだけ談志は大きい存在だったのだろう。わたしが教師としていつも思っていることは、生徒が何か問題を持った時に、「あの先生だったらこういう時どうするだろうか、どのように考えるだろうか」と思い出してもらえる存在になりたいということだ。

人生には悩みを抱えるとき、壁のぶつかるときがある、そのような時のその悩みや問題を解決するときのヒントとなるような存在となるような話をしたいものだ。いつも言っていることは「笑いを忘れてはいけない」ということだ。困難なときにこそ、その場面を笑うことで状況を打開することが出来ると思っている。一人でも信じることが出来る人がいるだけで人生は幸せなものだと思う。

志の輔が高座のあと師匠から「今の落語で何が言いたかったんだ」と言われてそうだ。それまでは過去の名人の真似をすればよいと思っていたのだが、その師匠の言葉で「お前は何者だ」、「何を伝えようとしているのか」ということを考えないような芸はダメだといわれたような気がしたと語っている。そのような芸風でないと客はついてきてくれないということ教えてもらったというのだ。

授業でいろいろ話しをするのだが、それで先生は何を言いたいのだと問われたとき、うろたえることなく、俺はこれを言いたいのだといえないとダメということだ。歴史を通して何を伝えたいのかということだ。人はどのように生きているのか、どのように生きていけばよいのかのヒントを生徒の提示できればよいのだろうか。「それでお前は何を言いたいのか」という問いを忘れてはいけないのだ。
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by qzr02421 | 2012-02-24 19:51 | 日常
毎朝散歩をしている、朝6時から1時間ほどだ、距離にすると6キロくらい歩くのだろうか。歩いているといろいろなことに気がつく。日の出がだんだん早くなって来ているし、大地の春を感じる。黒川つまり堀川の上流にあたるのだが、さらに上流は後用水などと呼ばれるのだが、千曲川や信濃川と同じように同じ川でも名前が変わるということだ。この川岸の土手なでの草木に十分春を感じる。

三寒四温ということでこれからも暖かくなったり寒くなりつつ、だんだん春になるのだろう。名古屋では梅が開花してとのこと、例年よりずいぶん遅いとのことだ。温暖化といっても、急に暖かくなるのではなく、異常気象を伴いながら暑くなるのだろうか。自然と人間を比べれば人間などはたいした存在ではないのだろう。天気予報の例年という言葉があるが、これだった歴史的には最近の100年ほどのことを示しているに過ぎないのだ。

自然と人間と比べれば人間などたいしたことのない存在であり、地震などの予知をするなどおこがましいことに違いない。未来を予想するなどということは人間の能力を超えたことだと思う。日本は古来より自然災害を闘って生き延びてきた国なのだ。地震で死ぬ人もいるし、戦争などで死ぬ人もいるだろうが、誰かは生き残りまた新しい時代を造っていくのだ。

TPP参加で農業は滅びるというのだが、滅びるかもしれないが、明治維新後の激動期に日本の産業が壊滅的な被害を受けただろうが、それでもそれを克服していくのだ。克服して日清日露戦争に勝利し、世界の大国になっていく。大国になったと思ったら第二次世界大戦で敗北したが、高度成長し復活したのだ。バブル崩壊で日本の調子もいまひとつだが、また羽ばたく日が来るに違いないのだ。
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by qzr02421 | 2012-02-23 20:17 | 日常
日銀がインフレターゲットを1パーセントに設定した。インフレがよいのかデフレがよいのかは議論があるところだ。年金生活者にとってはデフレが良いとは思う。デフレというのは物の価値が下がるということだから、物の価値が下がるということはお金の価値が上がることなのだ。年金生活者は年金というお金で生活しているのだから、お金の価値が上がるほうがよいということだ。

給料で生活している人は、企業の業績で賃金が決まるのだから、企業の業績が上がるためにはインフレがよいはずだ。一般的には景気が良いということインフレという理解なのだ。一方では、高齢化が進めば、しかも高齢者は投票に行く存在なのだ、ということは政治家は高齢者の票を目当てに高齢者向けの政策をすることとなる。そうするとデフレ政策が良いということになる。しかし、インフレ政策とデフレ政策で揺れていた日銀がインフレ政策に舵をきったところに重大な意味がある。

日本全体ではインフレが良いには違いない。日銀の政策と世界景気の回復傾向ということで、株の値段も上がり、円安になっている。この状態がいつまで続くか分からないが、日銀の政策を支持したいものだ。1パーセントなどという数値が問題ではなく、数値が問題なら1パーセントは少なすぎると思うのだが、日銀のデフレ脱却の姿勢を評価してよいのだと思う。

世界経済は、世界というのは先進国、歴史用語では列強というのだろうが、あるいは帝国主義諸国と言ってもよいだろう、そのような国で形成されている世界なのだ。その世界の経済がこのまま順調になるとは考えることはできない。中国の動向、インドなどの動向によってまだまだ変動があるはずだ。グローバル化などという言葉があるが、実態が分からない世の中のなっているということだ。
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by qzr02421 | 2012-02-22 19:33 | 日常

因果関係の説明は難しい

握力が強いほど長生きというニュースがあった。循環器においても握力が強いほうが健康的だということだ。こういうニュースは結果論だから、因果関係が分からない。握力を強くするような運動をすれば、長生きになるかどうかが分からない。調査結果では握力と長生きの因果関係があることは分かるのだが、握力が強くなった理由があるはずだ。遺伝なのか、生活の結果なのかが問題となる。遺伝なら握力を強くする努力は無駄になる。

タバコと肺がんの因果関係もはっきり分かっているわけでないという話もある。肺がんになるのは大気中の汚染が主な原因だとすればタバコの影響がどれだけあるのかは分からない。ダイオキシンと発がん性の問題も過去には指摘されていたが、この問題もうやむやとなっている。放射線障害も分からないことが多い。低レベルの放射線にあたると長生きする?という実験結果もあるそうだ。高レベルの放射線は人体の危害を与えることは分かっているのだが、低レベルについては分かっていないのが現実なのだ。

健康の方がよいのだが、健康すぎると不健康になる可能性があるもあるかもしれない。健康とは何という気もする。本当に健康な人が世の中の存在するのだろうかという疑問もある。不健康でありながら、自分の体をだましだまし生きるのが本当のような気がする。命と健康とどっちが大切なのかといえば、命に決まっているのだが、なぜか健康を第一の考える人が多いような気がする。不健康で長生きというのがベストチョイスだと思う。

握力が強い人が長生きだけでは、長生きの秘訣は分からない。握力を強くすれば長生きできるのなら簡単なことのようだが、訓練して握力が強くなるのだろうか。それにしても体をある程度鍛えることが大切なことだとは思う。歩くとともに筋力と瞬発力を鍛えることも大切だろう。反復横跳びなど昔はできたのだが最近は動きが緩慢になったような気がする。体力の維持が健康の秘訣だとすれば、それば握力とつながるということかもしれない。
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by qzr02421 | 2012-02-21 20:02 | 日常
『女子学生、渡辺京二に会いに行く』を読んだ。はじめに渡辺さんの「自分を輝かせようとする必要はない。自分の中に未知の何かが眠っているなんて考えなくていい。自分らしく生きればいい。やりたいことをやればよい。人間って平凡なものだと思う。本を読みたければ読めばいい。女優をやりたければやればいい。誰がなんと言おうとも。人生は無名に埋没するのがよい」という言葉を紹介している。人間の大多数は無名に没することには間違いがないのだから、当然の言葉だが、名をあげよという明治以来の徳目と否定しているところが素晴らしいのだ。

対談をする側の女学生の指導教官は「学びというのは予測がつかない。そしてそれは思いがけない喜びの連続でもある。学びの先には未知の世界があり、それは心弾むものであり、生きる力をくれるものであり、そしてそれは自分をこえて他を励ますものとなっている。ひとりの学びへの意志がそういうものにつながっていく。それはすばらしいことではないだろうか」と書いている。

内容は多岐にわたるのだが、印象の残ったことは「戦前の教育というのは完全に国家の必要のあわせて編成され・・・エリートはエリートの進路があり、農民には農民の進路があった。しかし学徒出陣でエリートが何も出来ないことが農民のばれてしまった。エリートがアホであることを農民が知ってまったことが戦後世界を作るのに影響をした」というような文章があった。なるほどと思わせる文章だった。

「学校などというものは卒業すればいいだけのもの、そこで何か得ようとかなどという大げさなことを言う必要はない。」、「社会に役立つ人間になる必要はない、それが国家主義のつながる、人間は生まれてきた以上生き通す責任がある、それは自分のため、自分が生きていくことが一番大事」、「楽しむという気持ちが大切、楽しむことができれば自己実現などということは考えなくていい」、「人の惚れ込むことが大切、人間がそれぞれに存在しているおもしろさというものを感じること、その心の広さがあればそれだけで人間は豊かになる」、「知という世界に入ると考えなくてもよい課題を抱えることになる、この世がどうなるのか、人類はどういう歩みをしてきたのか、人間はどうあるべきかなどという疑問を持ってしまった。本当はそのようなことは考えなくてよいことだったのだ。人間は正直に生きて楽しかったらそれでよいのだ。」「自分のために生きる、それでいい」など示唆に富む本だった。
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by qzr02421 | 2012-02-20 20:40 |

シングルマザーの苦労

永井愛原作のシングルマザーを見た。場所は名演小劇場の地下のアトリエだ。靴を脱いで上がるというようなこじんまりとした劇場だ。舞台と客席の近さがなかなか良いものだ。臨場感を感じるということでもある。アパートの一室にあるシングルマザーのフォーラムの事務所が舞台である。ここでくり広げられるシングルマザーの生き様がなかなかよくできている。離婚や不倫などで女性が子どもを抱えて暮らすしんどさがよく分かる。

そのフォーラムの会長である高坂、事務局長が上村という二人がここでシングルマザーの相談や児童扶養手当とかシングルマザー関連法案への国会審議の傍聴や議員へのロビー活動をやっている。むろん二人とも離婚したシングルマザーである。そこへキャバクラ務めでしかも不倫で産んだ子持ち女や、合コンを重ねてやっと射止めた三高の夫が、それがあだになって女を作って、子供3人を抱えて離婚する破目になった女が飛び込んでくる。上村も女たちも派遣で生活し、パートを掛け持ちして子育てに懸命だ。

ある日、実は自分のDVで逃げ出した妻が、このフォーラムにきたといって男が訪ねてくる。DVで逃げられたとは言わない男に、夫のDVにたえかねて離婚した上村が敏感に反応する。永井は彼女たちの苦闘を活写する。とにかく大変な毎日をめげずに、なんとか正社員になるために忙しい合間をぬって、各種資格をとる勉強もしている、扶養手当とかいろいろな権利のことも・・。ラストでDVが克服できない絶望が逆転するシーンの演技が男の悲哀さを感じさせた。

女性はシングルマザーの生活の大変さを感じて涙している人がいた。女性として生活のつらさを共感できるのだろう。男性は、私も男性だが、女性の視点で見ることができない、かといってDVをする男性の視点を持つこともできない。離婚をする男性という視点ももてない。共感する対象がないので、大変だという印象があっても、深さを持つことができない。大変さはわかるのだが、それだけという情けないないということだった。
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by qzr02421 | 2012-02-19 18:49 | 劇,映画その他
ニュースはどこのチャンネルでも同じよう報道しかなされていない。これでは北朝鮮のテレビ番組と同じではないのだ。どうしてチャンネルを回して同じニュースを見せられなければならないのか。同じといえば同じ放送局でも番組が変わるとまた、同じ内容のニュースを報道している。その時間しか見ない人もいるのだろうから仕方がないことだろうが、1日同じ内容を報道している、その事件に進展がないためだろう。

そのニュースというのはオセロの中島という人物のニュースだ。占い師にだまされているということだそうだが、警察も介入できないもの、つまり実態をつかむことが出来ないことを、いろいろな角度から報道しているのだ。しかし内容がないのでさっぱり分からない。世の中の縮図のような気もする。事件の名前は知っているのだが、その実態はさっぱり分からない。TPPでも名前とだいたいの中味説明はできるのだが、結局その真実はさっぱり分からないのだ。

中島事件は歴史的な事件とはいえないが、事件の内容が分からないということから、歴史的な事件も、名前を知っているだけで、本当のことはわかっていないこと分かるのだ。目の見えない人が象をさわるたとえがある。一人はでかい柱だといい、一人はでかい団扇のようなものだ、一人はでかい壁のようなもの、一人はホースのようなものなどといものだ。結局目の見えない人たちは象を理解することができないのだ。この目の見ない人が私たちなのだ。ある事件をさわっているのだ。自分がさわった現実があるのだが、その現実はその事件のある一面だけなのだ。

現代の問題でも分からないのに、過去の問題が分かるわけがないのではないのかという謙虚さが歴史を見るときには必要というとだ。ソクラテスではないが「何も分かっていない」ということが歴史の出発点なのだ。無知の知だ。それはどういうことなのか、そういう意見もあるがそれでよいのかなど自問自答の中にこそ真実がおぼろげながら見えてくるような気がする。
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by qzr02421 | 2012-02-18 23:04 | 日常