本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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何を信じればよいのか

厚生労働省、どうして厚生省と労働省を合併したのだろう。政府の役割は国民の生活を保障することが第一に仕事だとおもうのだ。その二つの省を合併するということは、政府は国民の生活を保障するより消費税増税にように国民から税を取ることを考えているようにしか見えない。ということで財務省が威張っているのだろう。国民主権だから税を払うのは国民の義務だろうが、それは政府が国民の生活を守る役目を持っているからだ。

厚生労働省が31日に、世帯所得が年200万円に満たない人は、比較的高い収入のある人に比べて野菜を食べる量が少なかったり、運動の習慣がなかったりと、生活に問題がある傾向があることを発表した。所得少ないと健康に気をつかうということがないのだ。アメリカでもスラムなどに住み人々ほど体重が多いとのことだ。いわゆるジャンクフードを食べるのは所得の低い人々なのだ。

ジャンクフードの代表がケンタッキーフライドチキンやマクドナルドハンバーガーだ。安くて栄養価が高く、しかも野菜が少ない食べ物だ。アメリカではこのような食べ物は低所得者の食べ物なのだ。この油脂のたっぷり入ったものを食べて、低所得者は太るのだ。日本では別にそのようなことはないのだろうが、日曜の朝に子連れの夫婦が、ケンタやマックで食事をしている姿を見るのだが
生活習慣病という観点で考えるとよいことではないと思う。

いろいろ事情があるのだろうが、日曜の朝は、家で味噌汁とご飯と焼き魚という食事を子どもにもさせたいものだ。焼き魚は素敵な食べ物だとおもってたのだが、あの福島原発事故で放射性物質を太平洋に流したのだ、その影響は分かってはいない。学者は放射性物質は海の中で薄まるというのだが、本当の薄まるのならどうしたイタイイタイ病などが起こったのだろう。放射性物質が漂うところをたまたま魚が泳いだということは考えられないのだろうか。大学の先生は嘘つきが多いので、福島の原発事故のとき大学の先生はメルトダウンは起きることがないといったが、言ったその時にメルトダウンが起きていたことがいまは分かっているのだ。イタイイタイ病だって、大学の先生は企業との因果関係は不明と言っていたのだ、後から因果関係は証明されたのだ。一体何を信じればよいのだろうか。
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by qzr02421 | 2012-01-31 20:55 | 日常
3・11という事件はとても不幸なことだった。地震における津波の被害そして福島の原発事故、これは想像を絶する事件だった。この被害にあった人たちにたいしてはどのような言葉を出すこともできない。本当の悲しいことだった。この被害に対して権力を持っているグループは、悲しんでいるふりをして新たな策動を始めていることに気がつかなければならない。

3・11という言葉を出せば、どのような要求も通るとすれば、それが水戸黄門の印籠の間違った使い方なのだ。3・11で被害救済のために増税しなければいけないという政策を批判が出来ないような状況が生まれている。東電と国策ではじめた原子力発電事業のおける被害を、国と東電の責任を問わないで税金を投入することは許されることなのか。

3・11以来の国難ということを大義名分にしての増税、税と社会保障の一体改革と称して消費税を上げるという策動、いまごろあわてた法律を国会を通そうとしているようだが、人のよい国民をバカにしていることではないのか。想定外などという言葉など聞きたくない。人間に比べてとてつもない自然を相手にして、想定外などといいう言葉で免責されるわけがない。

文句を言えば誰かが何とかしてくれる時代は終わったのだ、あるいは誰かが何とかしてくれるという幻想を持つ時代が終わったのだ。自分がその問題のどのように向き合うのかが問われている時代が来たのだ。水戸黄門の印籠がなくなった時代がきたということだ。それを示すかのように水戸黄門は終了したのだ。このような運動があるべきだなどという意見は聞き飽きた。自分で動かなければどのような成果も享受することが出来ない時代が到来したのだ。
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by qzr02421 | 2012-01-30 21:09 | 日常

無駄な予算とは何か?

確定申告の時期となった。確定申告には税金を納めるためにするものと、払いすぎた税金を取り戻すためにするものとある。いわゆる還付申告の書類の提出は早くてもよいのだ。年金は23年度から400万円未満、以下だっただろうか、それに該当する人は確定申告をしなくてよいということになったそうだ。確定申告という言葉は普通は税金を納めるためにするという意味だ。必要なといって、申告をしなければ本来返ってくる、つまり納め過ぎの税金がかえってこないということだ。

国家の運営は国民の税金で行なうということはフランス人権宣言に書かれていることだ。国が何か政策をするということは国民の税金を使用しているということでもある。国に対して何か要求するということは、国民の税金を使えということを言っているのだ。国家予算の無駄を省けといいながら、国に政策を要求するのは矛盾があるのだ。新聞などに消費税を上げるなら、もっと国は無駄を省くべきだという意見が必ず出るのだが、どのような予算が無駄と考えているのだろうか。

無駄な予算というのは自分に関係がない予算と考えているように見える。国家予算でお金がかかっているのは、社会保障、教育、農業そして地方なのだ。所得再分配、つまり儲かっているところから税金をとって、儲かっていないところで税金を投入しているのだ。税金を投入しているところが社会保障と教育と農業と地方ということだ。社会保障費を減らすためには国民が健康でいて、そしてぽっくりと死ぬことだろうし、農業や教育そして地方に対する補助金を減らしたのだ。

TTPに参加することは農業を壊滅させる原因になると農業関係者は反対を質得るのだが、新自由主義経済では、農業にかける予算を減らそうとことなので、農業を壊滅させるためにTPPに参加することにしたとしか考えることができない。農業を壊滅させる気か!そうです「なんちゃて」という感じなのだ。地方を切り捨てるつまり橋下氏が言っている地方分権も地方切捨ての政策なのだ。地方は地方で責任も自覚して、国に頼らないで政治をしなさいというのが地方分権に趣旨なのだろう。自由と平等は両立しないというのが基本原則だ。あらゆるものの自由を拡大すれば、そこには平等がなくなり格差が広がっていくだけなのだ。自由な競争は格差を拡大するというのがキーワードになるということなのだ。
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by qzr02421 | 2012-01-28 21:44
高校生は心理学が好きだ。心理学、人間の心が分かる学問だと思っているようだ。人間の心がわかるだろうか。いったい心はどこにあるのだろうか。能の作用だけだろうか。パソコンのキーを叩いている瞬間は手の、指の感覚しかない。能はどのような作用をしているのだろうか。心臓は脳とは関係なく鼓動を打っている。人間の心が分かるということはどういうことなのだろうか。人間の心を知ったらどうなるのだろか。心を知って相手を操縦しようというのだろうか。

自分の心だってよく分からないのに、他人の心が分かるものだろうか。人間に分かるのは相手の行動だけなのではないのか。行動と心の関係がよく分からないはずだ。相手に親切にしたら、そのお返しの親切が返ってきたとしたら、それはそれだけのことだ。その親切のお返しのどのような心があるのだろうか。基本は人間は相手や自分の行動でしか、表現をしていないということだ。行動が分かれば心が分かったような気持ちはするだろうが、それは行動を見ただけで、心は分からないのだ。

行動で心を分かったような気になるのなら、行動に注目すればよいということだ。行動を変わった場合に心の変化があったということにしようだ。人の何かを頼むときには理由を言うと効果があるということが分かっている。理由を言っても依頼することによっては効果はないのだから、その理由がどれほどのものかは分からない。些細なことなら理由をいえば効果はあるのだが、100万円貸してほしいなどという時には理由を言っても効果は期待できないだろう。

心理学などというものは実際には役にはたたないものなのだ。しかし、それでも心理学に対する期待は大きいのだ。心理学の利用法は、試してみて効果があったらラッキーという程度でよいのだろう。星占いなどと同じで期待をしていなければ、成功したときの喜びは大きいものだ。心理学などという学問の囚われるとろくな事がないということを知ることが重要なことだ。自分の生きたいように地道の生きることが大切なことだということでもある。
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by qzr02421 | 2012-01-27 21:13 | 日常
小説と戯曲は何が違うのだろうか。戯曲を読んだことがあるだろうか。小説は読んだことがあるだろう。この二つのものはものすごく違っているのだ。小説はその人物の描写、その人物の心理描写が細かく書いてあることが多い。朝起きたときの主人公の部屋の様子が書かれていることが多いのだ。朝起きたときの気分も書かれているかもしれない。たとえば、昨夜お酒を飲みすぎて気分が悪く、机の前の恋人の写真を見る気もしない、なぜなら・・・と、描写が具体的なのだ。

これに対して戯曲は、心理描写もなく、部屋のレイアウトもない。ト書きいうものがあるにはあるのだが、戯曲を書く人によってもちろん違うのが、細かく書く人のいるのだが、圧倒的に簡単なト書きしかない。朝、主人公が自分の部屋で目覚め、セリフというという段取りだ。その主人公の人間関係はこの段階ではさっぱり分からない。兄弟がいるのか、親は生きているのか、どこの大学を卒業しているのか、高卒だけなのかということがさっぱり分からないのが戯曲の特徴なのだ。

基本的の最も違うのが、戯曲には心理描写がないということだ。どういう気持ちでそのセリフを言っているのかは全然書かれていないのだ。ある朝といわれても、月曜の朝、つまり一週間のはじまりで、またつらい仕事が一週間続くのかという気持ちでセリフを言うのか、あるいは金曜日の朝で、今日頑張れば明日から休みで、やった!という気分なのか、またまた、土曜日の朝で、今日はどうしようか、デートでもしようかという気分なのかが、戯曲では一般に指定されていないのだ。

戯曲の最大の特徴は心理描写がないということは、どのどうの気持ちでセリフを言ってもよいということでもある。演出家の意向、役者の意向で演技プランが変化するのだ。その変化が面白いといえば面白いのだが、大変といえば実の大変なのだ。演出家は「どうしてそのセリフを言うのか、どうしてそこへ移動するのか」と役者に問うのだ。その何故に答えることができる演技を要求されるのだ。これは実の大変なことなのだが、考えようによっては、実の想像力をいかせることでもあるのだ。
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by qzr02421 | 2012-01-26 21:38 | 劇,映画その他
自分とは何かという問、これを高校の倫理という教科では「アイデンティティ」などという言葉で表現する。自分とは何かという問いを発して、良いことがあるのだろうか。自分とは何かということを知ったからといって、これからの人生良いことがあるとは思えない。

近代戯曲は自我を問題にしているのだが、このような問題を持っていたのは教養人という暇人なのだろう。実業を持った人はそのような疑問を持つことはなく、たとえ持ったとしても仕事が忙しく、その疑問をいつまでも抱えていることはできなかっただろう。明治時代の夏目漱石や森鴎外のような超エリート、国費で外国に行くことができる人、そのような人がヨーロッパで流行の近代的自我などというもの日本に持ち込んだのだ。

持ち込んだために、自分とは何かなどということを考えるエリートが出現して、そのようなエリートが出現すると、自分とは何かを考えることが格好がよいとい風潮が生まれたに違いない。考えても考えなくても、自分は自分だという大衆の意識があったはずだが、大衆の意見は新聞などにのることはないのだから、結局文化としては、近代的自我を問題とした小説や戯曲が歴史に残ることになったに違いない。

ソクラテスは「無知の知」などという思想を広めたために死刑になった。近代的自我などという無駄なことを発明したヨーロッパ人とそれを日本に広めた明治時代の小説家は万死の値すると思う。自分とは何かなどという疑問を知らなければ、幸せの暮すことが出来た人々を恐怖の陥れたことは、本当の問題なことがということだ。
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by qzr02421 | 2012-01-25 21:34 | 劇,映画その他
近代戯曲における最初の台本は何か。戯曲と小説はどこが違うのかなどという問がある。結構難しい問なのだ。セミナーでは近代戯曲が成立するためには登場人物が近代人であること必要というのだ。近代的人間とは近代的自我を持った人ということだ。近代的自我というのは「自分とは何者か」という問を持った人だ。近代的自我を追求したのは北村透谷、森鴎外、夏目漱石、太宰治なでである。

夏目漱石の「こころ」で登場する先生こそが近代的自我を持った人物なのだろう。近代的自我をはじめて小説に著したのが北村透谷と言われている。彼はロマン主義とキリスト教の影響を受けて個人の内面世界を自由に表現しようとしたのだ。自由恋愛などということもいったと記憶しているが・・・女性と激しい恋に落ち、あまりの純粋さに自殺をしてしまうのだ。その自殺をしたのが27歳の時なのだ。

最初の戯曲は北村透谷が書いた『蓬莱曲』ということになっている。欧米ではたぶん戯曲を芝居が発達していたので、戯曲を書く作家が多いとおもうのだが、日本では歌舞伎などは座付きの作家が存在している。つまり戯曲という位置が低いのが日本の特徴のような気がする。ということで小説家がなんとなく戯曲も書いているという形なのだ。

芝居をする人も明治時代の日本には存在してはいなかったはずだ。近代演劇は西欧文化なのだから、日本には歌舞伎役者や能の役者いただけなのだ。また日本人と近代的自我とは相性が悪かったと思う。日本人は世間の中で生きているので自我があると生きにくいものなのだ。空気を読んで生きるのが日本人というものなのだ。ハムレットのような人物は日本にはいないのだ。ちなみにハムレットが最初の近代的自我を持った人物と言われている。「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」などという問そのものが近代的自我ということだ。
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by qzr02421 | 2012-01-24 20:43 | 劇,映画その他

演劇は難しいものだ

近代戯曲セミナーというものが1月21日・22日の二日間愛知県芸術ホール小劇場で開催されていた。文化庁の委託事業として国の補助で開催されたのだ。近代戯曲をやろうと思っても、採算が合わないと思う。つまり集客が見込めないのだ。芝居しか楽しみがなかった時代、江戸時代などは芝居をすれば、それで集客があっただろ。江島生島事件などのように大奥の女中が歌舞伎役者と関係ができた事件があったくらいだ。

明治時代に入り歌舞伎も人気があったが、明治末期になると西欧文化を取り入れる過程の中で新劇が生まれた。この新劇で俳優を育成するシステムとしてと入れたのがスタニスラフスキー・システムだ。役者の訓練方法としてロシアで開発された技術だ。スタニスラフスキーは演劇の秘密を解明して演技へのアプローチを科学的に体系化した人という評価だ。

スタニスラフスキーを簡単に説明することが難しいが、基本は「よく見ること、よく聞くことそしてよく感じること」ということだ。舞台の上で相手役を良く見て、セリフをしっかり聞くことにより、自分のおこる感情を感じ、自分のセリフを言うということだ。台本があるので未来が分かっているのだが、その見らが分かっていること忘れるということでもある。

舞台で二人が出会うとき、その二人は愛し合いそして一人は交通事故で死んでしまうというストーリーのとき、会うときに、やがてこの人と愛し合い、そしてこの人が死んでしまうことが分かっていることを考えないで演じるということだ。言うのは簡単だが、未来を分かった神の立場でいるのが役者なのだから、その神の立場から降りることは難しいことなのだ。
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by qzr02421 | 2012-01-23 21:14 | 劇,映画その他
NHKで「平清盛」をやっているが、この画像が汚いということで神戸だか兵庫だかの政治家が、NHKに対して批判をしているというニュースがあったのだが、中世末期などという時代は混乱の時代だから、現代風の清潔さを求めるのは間違っているような気がするのだが、見ている立場からすれば、現代風の映像で見たいということだろう。時代考証をじっかりすればするほど現代とはかけ離れていくので、違和感が増大するに決まっている。

江戸以前の人の使用する言葉の中で、きっと使用しない言葉が存在するのだ。明治以降の出来た言葉があるということだ。真理、幸福、社会、芸術、愛などという言葉は明治以降に出来たということになっている。江戸時代の人が「この芸術は素晴らしい」とか「幸福になろう」などという言葉を使うことはないのだ。

現代のドラマなのだから、言葉の使用についてそれほど神経質になることはないと思う。現代の問題を過去の歴史的事実を利用して描いていると思えばよいのだ。過去あった通り描けば、きっとその映像を理解することが出来ないはずだ。清盛の不潔な感じはそれなりに面白いものだ。風呂の入る習慣などとことだって近代の風習に過ぎないはずだ。歴史上の人物は現代の浮浪者と同じ臭いがしていたに違いない。

清盛は悪いやつという印象が強いが、貴族政権の中で武士政権を造ろうとした人物なのだ。新しいことをしようとした人物は批判されることが多いが、誰もやったことがないことが出来たということだけでも素晴らしいと言うべきだと思う。頼朝より清盛の方が本当は素晴らしい人物だったに違いない。鎌倉幕府が出来たからこそ、清盛の評価は低いということでもある。新しい政権は古い政権を批判しないと正当性を言うことができないということなのだ。
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by qzr02421 | 2012-01-19 22:58 | 歴史
福島事故にときに、政府や御用学者は「ただちに影響があるわけでないので落ち着いて行動してください」というメッセージを発していた。今になってみれば、結構の放射性物質が降りそそいでいたということが分かった。「ただちに影響がない」というのはその通りだろう。癌なのが発病するのは10年ほど先になるというのは事実だ。間違ってはいないが、必要がなければ外出しないで欲しいというようなメッセージを発するべきだったということが今になると判明している。

カルチャースクールで第二次世界大戦前のついて話しているのだが、当時も日本は満蒙が生命線だから、その地域を死守すべきという政府のメッセージがあった。日本国民はそれを信じて満蒙に集団移住した人々が存在していのだ。結果が広島長崎の原爆投下、そして敗北だったのだ。政府の言うことは間違っては射ないのだが、それが日本国民にとって正しいメッセージではないということなのだ。

政府の言っていることは間違ってはいないというところがミソだ。「ただちに影響はない」、「満蒙は日本の生命線だ」というメッセージが間違っているわけではないところが問題なのだ。直ちに問題がないが、いずれは問題となるということだろうし、満蒙は日本の生命線だろうが、それを死守することはアメリカとの戦争というリスクがあるということ知らされないことが問題なのだ。

資本主義というのは儲けるという体制のことだ。儲けが大切なのだ。福島原発事故で除染という言葉が脚光を浴びているが、除染にかかるお金が存在するのだ。お金がかかるということはそこのビジネスが生まれるのだ。原発事故を食い物にするビジネスが生まれているのだ。生き馬の目を抜くという言葉があるが、資本主義というのはその通りのものなのだ。良い人間が損をするのが資本主義というものなのだ。
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by qzr02421 | 2012-01-18 22:05 | 日常