本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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ダイエットとは何?

ダイエットをしたいわけではないが、体重は増えないのがよいことにはちがいない。同じ体重の維持が目標だ。同じような食生活なのに、体重が増えたり減ったりするのは何故だろう。体重変化の大きな要素としては水分があると思う。去年、心臓の手術後は利尿剤を飲んでが、それだけで5キロほど体重が減っていたから、5キロくらいの幅は水分だろう。

体重を減らすことも大切だが、体脂肪を減らし、なおかつ骨を丈夫にしなくてはいけないのだ。やつれたではなくやせたにしなくてはいけないということだ。骨を丈夫にするためにはカルシュウムをとることが大切なのだが、あわせてビタミンDと取ることが必要なのだ。ビタミンDというのはお日様の栄養だから、
乾燥シイタケがよいのだ。

ダイエットにはかつお節がよいという説もある。カツオでとっただし汁にはダイエットに効果があるヒスチジンがあり、それが脳に入るとヒスタミンとなるということだ。このヒスタミンには体重を抑制する効果とあるということだ。ヒスタミンが直接摂取できないというところがミソなのだ。ヒスチジンの多い食べ物としては本マグロ、カツオ、ブリ、サバなどがあるとのことだ。赤みと背の青い魚を食べろということだ。あるいは和食を食べろいうことでもある。ハンバーグなど食べていてはダメということでもあるのだ。

また、ダイエットの秘訣は30回噛むということが大切だそうだ。ためしに30回噛んでの食事をしてみたが、一回ずつ30回噛むということは結構時間がかかる、30回噛んでいるとお腹がいっぱいになった気がしてくることも事実だ。記録をつけるということも大切だそうだ。できたかできなかったか記録をつけることが脳の影響を与え、やる気を出すのだそうだ。脳科学というのはすごいものだということが分かった。
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by qzr02421 | 2011-09-30 21:00 | 日常

ほんとに不況だね

円高だ。円高になると輸入はよいが、輸出は困るのだ。輸出業者は円高になると「これだけ円高になるとやってはいけない」という言葉を発する。やってはいけないので倒産する会社もでてくるのだろう。それでも倒産しないで工夫をする会社もある。これだけ円高では・・・という言葉は「今までどおりのやり方では、これだけ円高ではやってはいけない」という前半の部分が隠されているのかもしれない。

今までのようにしたいと思うのが人間だろう。その人間らしさを捨てて工夫して乗り切ることがいま求められているのだろう。それが経営力なのだ。日銀が円高になっても、対応しないのはどうしてだろう。日銀はかつての浜口雄幸や井上準之助のように不良企業は淘汰されればよいと考えているのかもしれない。浜口・井上の金解禁は不況がおとずれても優良企業は生き残ると考えたといわれている。小泉流の構造改革と同じようなものだ。

デフレになると円高になるという理論がある。デフレでものの価値が下がるということは金の価値があがるということだ。金の価値があがるということは円の価値が上がるということだ。グローバルの世の中で日本の金の価値があがるということは円高になるということでもある。低金利でのデフレなの実質は金利がデフレ分あるので、この金利が低くても円高になるのだ。

経済はいろいろに学者がいろいろなことを言うので何が本当かが分かり難い。それでも不況のときに増税はありえないだろう。世の中のお金が回っていないときに、増税はありえない。それでも増税で得た政府が、お金を世の中にばらまけば、それはそれで意味があるのだが、ばらまき方が問題なのだ。個人にばらまけば景気がよくなるような気がするのだが・・・民主党のコンクリートから人への方針はどこへ行ってしまったのか。
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by qzr02421 | 2011-09-28 22:02 | 日常

神はドミノを倒す存在か

プラトンの二元論を超える理論がでないとうか、二元論のくびきに支配されているのが西洋哲学なのだ。イデア論というのがプラトンの基本思想だ。理想的な存在があるという考えは魅力的だ。三角形はいろいろな形があるにもかかわらず、三角形らしきものを認識できるのは、三角形というイデアがあるかれだといわれれば、そういうものかと思うのだ。

アリストテレスイデアの部分の形質を、それを形作る基礎としての質料という考えを編み出した。二元論には違いない考えだ。このプラトンとアリストテレスの思想はイスラム世界で花開いた。このイスラム世界から再びこの思想をヨーロッパにもたらしたのが修道院だ。修道院でアラビア語からラテン語にアリストテレスの思想が翻訳された。これは12世紀のルネッサンスとよぶこともある。

このアリストテレスのキリスト教の思想が影響され生まれたのがスコラ哲学だ。このスコラ哲学を批判したのがデカルトだ。デカルトはいろいろ疑っていても、最後の残るのは自分だとしたて、「我思う故に我あり」という言葉を残した。デカルトも物質を精神を分けたのだ、プラトンの流れをくむ二元論だ。デカルトの偉大さは物質を精神にまたがって存在するのが人間としたことだ。

デカルトはドミノ倒しでドミノを倒すのが神だとしたらしい。倒しだけの存在が神だとすれば、神は歴史の途中で人間の歴史の口を出すことができなくなる。それでも二元論のこだわると、そのような状況になるのだ。この神を神らしく扱わない姿勢に激怒したのがパスカルだ。パスカルといえば「人間は考える葦だ」という言葉だ。人間はドミノ倒しのような機械論で説明はできないし、人間のありようで歴史は変わるということ言いたかったのがパスカルなのだろう。
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by qzr02421 | 2011-09-25 20:17 | 日常
ギリシア神話ではガイアは女性神で最初の神だ。古事記の始まりも神は一人で、一人の神は一人ぼっちで消えていくのだ。男女の神が現われないと歴史にはならない。歴史は男と女が作っていくということを象徴しているのだ。古事記はイザナミとイザナギの男女の神の子作りから始まる。この二人は最終的には憎しみあい対立するのだが、これも男女の宿命を現しているよだ。鬼嫁という言葉があるが、それは歴史が証明しているようだ。

ギリシア神話ではガイアからガイアの夫のウラノスがうまれ、ウラノスがガイアに覆いかぶさり子作りをするのだ。この子どもをウラノスはガイアの下に隠してしまうのだ。子どもを隠すウラノスに対して、戦いを挑む子どもが登場する、それがクロノスだ。クロノスとは時間を支配している神だ。このクロノスがウラノスが大事な部分を切り取る話しは有名だ。このクロノスも自分の妻との子どもを全部食べてしまうのだ。男というか夫というのは仕方のない存在と描かれている。

食べられずの生き延びたクロノスの子どもがゼウスなのだ、このゼウスがクロノスを滅ぼしギリシア神話の中心的な話しがはじまるのだ。父を殺して子どもが成長するという話しのようだ。息子は父を殺して成長するというのはまるでフロイトだ、あるいはフロイトはギリシア神話から精神分析を考えたということだろう。古くからある事実の方が影響を与えたと考えるのが筋だろう。

このギリシアで哲学が始まる。万物の根源を何かを考えたのがターレスだ。ターレスは万物の根源は水と考えた。これでは火は生まれない。もともと火や土などがあるという一元論でない思想も生まれた。あるものはある、ないものはないという哲学も生まれる。数学が基本だというピタゴラスも出現する。ソフィスト、無知の知で有名なソクラテスが生まれる。二元論プラトン、学問の基礎のアリストテレスも生まれる。紀元前にこのような思想が現われたことがすごいことなのだ。
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by qzr02421 | 2011-09-24 17:48 | 歴史

タブレットはテーブルだ

ソニーがタブレットを発売したというニュースを見てタブレットとテーブルとは似ている言葉だということを感じたので、次の言葉を思い出した。誰かのブログで読んだと思うのだが、そのブログは思い出せないが、そのブログに改訂あったことを思い出しながら以下書くことにする。

「タブレットは「テーブル」や「タブロー」と同じ語源をもっている。このことはすこぶる重要な暗合で、その暗合は、これらが実のところは同一のヴィジョンとコンセプトをもった“知の道具”であっことを教えてくれる。まさにそうなのだ。なんとテーブル(食卓・書記台)とタブロー(窓枠・絵画)とタブレット(書物・丸薬)は同じものなのだ」という一節だ。ヘンリー・ペトロスキー著の『本棚の歴史』にあるはずだ。彼は用紙の名前の変化についてもエジプト文明発のパピルス、これをギリシア人がビブロスと発音し、そこから「ビブリオン」(本をあらわすギリシア語)や「バイブル」(聖典)という言葉が生まれたとも記している。

彼の『フォークの歯はなぜ四本になったか』では最初はナイフしかなかったのが、それでは食べにくいので二本歯のナイフができ、その後これも使いにくいのでナイフとフォークに分かれ、フォークはものが刺しやすいようの四本歯になったと分析している、つまり、「形は機能にしたがう」のではなく、「形は失敗にしたがう」ことだ。ペトロスキーは「成功とは失敗を予見することだ」ということを発見したのだ。

『人はだれでもエンジニア』ではジョージ・サンタヤナの次の言葉を引いている。サンタヤナは『理性の生命』にこう書いていた。「過去を記憶できない者は、罰として過去を繰り返す」と、さらに「進歩とは、およそ変化からなるものとはほど遠く、よき記憶力によるものである」という文章だ。進歩とは過去にもどること、過去の記憶の中に進歩があるということだろう。考えるべき文章だと思った。ヘンリー・ペトロスキーはデューク大学の土木環境工学と建築土木史の教授で、彼は「文化を科学で見たい」あるいは「文化を工学したい」という立場での研究をしている人のようだ。文化というものはできあがってしまっているもので、それを分析はできないような気がするが、なぜフォークが四本なのかという疑問を持ち、それを解明しようとしただ。これも参考にすべき視点だと思う。
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by qzr02421 | 2011-09-23 19:34 | 日常
台風は名古屋から遠いときに東海豪雨と同じような気圧配置で被害が多かったが、接近したら東海地方以外に多くの被害をもたらした。用心したら被害がないということだ。今回の台風は三度目、三回目の用心をした。三度目の正直で大きな被害を東海地方の与えるかと思ったが、台風というより気圧配置での被害だった。名古屋での100万人をこえる避難勧告というすごい現実だった。

私は名古屋市の北区に住んでいるので、20日には避難勧告が出ていた、庄内川というしょうないかわが氾濫したら北区の南北が水没するということだ。幸いなことに北区では被害が少なかったようだ、守山区という土地の高いところでのそのたかいところの低いところでの被害があったのだ。土地が高いから安全ということではないようだ。

関東地方に台風が進んだ、台風の進路にあたる関東地方の暴風の被害が凄まじいものだった。関東地方はマスコミの中心部があるので、その報道も凄まじいものがあるように感じた。被害が関東地方に集中するとテレビの報道が多くなると感じるのは地方の住んでいる僻みだろうか。マスコミが存在しなければ、取材する人がいないのだから、その報道が少ないのは当然だろう。

報道というのは、報道する人がいるから報道されるのだ。歴史的な事実も、史料やそれを示す資料があるから分かるのだ。過去の民衆の歴史が分かりにくいのは、民衆が資料を残さないからだ。藤原道長のことがわかるのは、彼が日記を書き、その日記が現在に至るまで残っているからだ。史料、資料がないことは分からないということは、記録する人がいないことは歴史には残らないと行くことだ。歴史といっても残っている資料でしか分かってはいないという現実を踏まえることが大切なのだ。
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by qzr02421 | 2011-09-22 16:04 | 日常

自然の怖さがわかる

台風が東海地方に接近している。雨も降っている。雨と風のダブルパンチだ。11年前?の東海豪雨と同じようのか、それ以上の雨が降るとのことだ。20日には庄内川と天白川が氾濫の可能性があるということで、名古屋市民の半分の100万人をこえる人々の避難勧告がでた。避難指示もでていたので、都市型の氾濫予想としてはすごいものだ。これだけ早い非難勧告の東海豪雨の影響だろうか。

守山などは標高が高いイメージがあるので、氾濫とか冠水というイメージがないのだが、高いところでも極端に低い土地では冠水の可能性があるということだ。川の傍を走っている道路でアンダーパスという部分でも当然冠水することだろう。台風は明日昼から夕方にかけて最も近づくということだ。風がどれくらい吹くのか心配だ。

東海豪雨のときには用事で犬山にいて、今回と同じように庄内川の氾濫ということで川を渡ることができないといくことで、犬山駅で電車の中で一晩すごす決意したことを思い出した。売店で寿司やパン、お茶を購入して、万全の体制をとった。犬山は温泉街だが、このような状況では宿もとれなかったというか、雨で移動ができなかった。危険がせまったら、ひとまず休憩ということが大切なことなのだ。

小牧駅が、この駅は地下にあるので雨で水没したこともあって、上飯田駅に帰ることができないのだ。12時前に小牧駅の水没が取り除かれ、庄内川の氾濫が少しおさまったのか、一本だけ電車を動かすとのことで、その電車で名古屋の帰ることができた。運不運はどこにあるのか分からないのだ。あきらめないことが運をつかむ唯一つの方法ということを知ったのだ。
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by qzr02421 | 2011-09-21 16:40 | 日常
宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」、「注文の多い料理店」そして「よだかの星」の三つの音響を考えている。朗読の音を考えるのは、演劇とは違う難しさがある。演劇は俳優が動くので、その動きを助けるという意味合いや、セリフのない部分を補助という意味もある。朗読はイメージを膨らますという意味合いが強いように感じる。三つあるので「セロ弾きのゴーシュ」について考えよう。

ゴーシュは金星音楽隊(以前読んだ記憶なので違っていることがあるかもしれない)の隊員でセロ、つまりチェロの奏者なのだが、セロが古いからか、技術がないのか、下手なセロ奏者という設定だ。指揮者におこられてばかりいるゴーシュが家に帰り、練習を一晩中しているのだ。朗読では「ゴーゴー」としているとしている。ゴーシュはまじめな性格なのだろう。

練習をしていると夜中に猫、カッコー、たぬき、そしてネズミ訪ねてくるのだ。ゴーシュのそれぞれいろいろな要求をするのだ。その要求にいやいや、あるいは興味津々と受けるゴーシュなのだ。たぬきの子どもはゴーシュに「ゴーシュさんの音の一部はおこれているのは何故」と聞くのだ、この遅れがいつも指揮者からおこられている部分なのだ。やはりチェロが古いから、音が遅れるのだろうか。猫などそれぞれの動物との対応が面白い、宮沢賢治の優しさを感じさせる会話が多い。
 
動物たちとの演奏が功を奏したのか、本番ではゴーシュは以前よりもまして上手くセロを弾くことができたのだ。指揮者もゴーシュにやればできるじゃないかと言葉をかける。アンコールにゴーシュは「インドの虎狩」という曲を弾くのだが、この曲は猫に聞かせ、猫が暴れた曲なのだ。この曲の観客は静かに聞いたということになっている。「インドの虎狩」という曲は存在していないのだ。宮沢賢治が勝手に文章の中に書いているだけなのだ。ガラスを割ったりする音は探せばあるのだが、存在していない曲は探しようがないのだ。どんな曲をその「インドの虎狩」にしようか選曲中なのだ。音はたくさんあるのだが、イメージにあった曲を探すのは大変だが、楽しいことなのだ。
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by qzr02421 | 2011-09-20 19:25 | 日常
先週の土曜日に妻から誕生日プレゼントということで、デジタルの万歩計をもらった。歩数、歩いた距離、想定消費カロリー、想定消費体重が表示される。全部が一目で見ることができないのだが、ボタンを押すたびに数値が変わっている。もちろん時計も表示される。最初に体重と身長を入力すると計算上の歩数が表示される。そのまま使用しているので誤差があるのかもしれない。

朝、一時間歩くようにしている。雨の日はめげて30分なることもある。近くに商店街があり、アーケードがあるので、そこを雨に日は歩くのだ。晴れた日、一時間歩くのは気持ちがよいものだ。元気なときは足の進み方も軽やかだ。疲れたときは、一歩が重いものだ。太陽が昇ると日陰を探して歩くのが夏の特徴だ。冬は太陽を探してあるくということでもある。

1時間歩くとだいたい7500歩ほどになる。元気なときと疲れたときとは歩数が違ってくる。一時間で歩くコースは決まっているのだが、元気なときはコースのおまけがつくのだ。7500歩で走行距離は5.5キロくらいだ。諸費カロリーは300キロカロリーのようだ。ご飯3杯分くらいだろうか。諸費体重は25グラムなのだ。夕方30分ほど歩くようにしているので、1日の宗今日歩数は12000歩から14000歩くらいだ。自転車に乗っての移動を加えると、インチキだが、17000歩になる。これは多すぎるようだ。

1日10000歩を越すよう頑張っている。10000歩を越すと歩数の表示の下に人形が表示され、万歳をしている。これは滑稽だが、励みにもなるのだ。これから秋をむかえて、朝の散歩は爽やかだ、冬は寒いが、30分ほど歩くと体がぽかぽかしてくるのも気持ちがよいものだ。四季の景色もよいものだ。冬は雪、春は桜、夏の新緑、秋の紅葉、日本の四季を感じることができるのが、朝の散歩なのだ。
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by qzr02421 | 2011-09-19 17:35 | 日常
台風が沖縄に接近している。東海地方も雨が降るよう天気だ。沖縄で一服したあと本州に向ってくるという予報だ。今年は数がすくないが、台風に対する準備をすることが多いような気がする。大丈夫と思っていると、きっと被害があるのだろうか。備えあれば憂いなしだから、ともかく準備が大切なのだ。来週の22日ころに東海地方に接近するということだ。

昨日は雨が降ったり晴れたりと忙しい天気だった。今日つまり18日は晴れるという予報だった。昨日は朝の散歩中に雨に降られた。わずか5分ほどのことだったが、けっこうスコールという感じだった。台風の影響、結構台風からは遠いのだが、台風らしい雨だった。夕方も散歩したが、雨にはあわなかったが、湿気が多いためだろうか、汗が尋常ではない、汗ばむという言葉以上の汗をかいた。

夕方の散歩のときにNHKのFMを聞いたのだが、その前にはFM愛知も聞いていた。FM愛知はカレーに対する薀蓄だった。カレーはインドを支配したイギリスが、シチューのようなものにしようと改良し、それが明治時代の日本に入ってきたといっていた。日本のカレーはイギリスから来たということだ。また海上自衛隊では金曜日の昼にはカレーが必ず出るとのことで、カレーとともにサラダとゆで卵と牛乳がでるのだそうだ。この四つは欠かせないのが海上自衛隊なのだそうだ。

カレーもシチューのようなものもあれば、スープカレーのようのものもある。筑前煮のような料理をカレー風味にするという料理もあるそうだ。煮込まないのが秘訣という料理だそうだが、レンコンやごぼうが入っているカレーもありだということだ。NHKFMでは親の世代が青春時代の聞いた音楽を、今の現役高校生が調査し、曲をかけるというもので、ビートルズなどがかかっていた。親の世代が青春時代を語ると熱く語るそうだ。青春時代の思い出の音楽とはなにだろう。グループサウンズかフォークか、山口百恵か天地真理だろうか。青春時代の音楽、なつかしいものだということだ。
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by qzr02421 | 2011-09-18 19:53 | 日常