本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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小倉では森鴎外旧邸に行ったのだが、ここは管理人がいなくて、しかも無料だった。森鴎外は2年ほどいた屋敷なのだが、それなりに風情があった。森鴎外が小倉で暮した家、明治を偲んだ。この屋敷にしばらくいたが、ここを訪れる人は私一人だったようだ。奉加帳のようなものがあったが、こころ訪れこの奉加帳を描いたのは昨日はひとり、今日もひとりだった。教育委員会の管理のようだが、訪れる人が少ないのがさびしい限りだ。明治が遠くなったということだろうか。

ところで光明禅寺の次に行ったのが九州国立博物館だ。この博物館は九州の旅行社が力を入れているようで、何時行っても結構な人手だ。今回の展示は「よみがえる国宝」だった。平日の昼だというのに、どうしてこれだけの人がいるのかという感じだった。国宝を見たからと言って、どういうことはないのだが、国宝を見たいといく執念を感じた。冷泉家のちりとりの展示から始まる。こわれたちりとりを見ても、それでという感じだが、日本で最古のちりとりであろうと書かれていた。ちりとりを使って冷泉家は文化財を守ったということ言いたいらしい。文化財の保護を保存そして修復ということをテーマとした展示だった。

藤原道長の日記である「御堂関白記」が展示されていた。平安時代の貴族は毎年同じような行動をとることが大切なことなので、年中行事を記したこの日記は大切なものだったのだ。この日記は初期は乱雑に書かれているが、あとになると整然としたものになる。道長が書いているうちに書き方を学習したのだろう。藤原家の人が参考の出来るように当時は折れ本状態だったそうだ。折れたところという指示があるのが愛嬌だった。

京都の神護寺の源頼朝といわれる絵画?の展示がメインのようだった。平重盛と対になっていた、教科書でよく見る絵なのが、それなりに国宝源頼朝といわれると感動するものだ。見たからそれで人生が変わるわけでもないのだが、見ることができてラッキーだったとは思った。源頼朝と平重盛が並んでいるのはこの展示でもわずかな期間しかないのだ。それくらいラッキーなことだったのだ。このあと国宝を模造した展示などがある、九州国立博物館の学芸員の努力を感じる展示だった。双方向性をよく理解した展示でもあった。
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by qzr02421 | 2011-07-31 19:43 | 旅行
福岡空港は何回来ても、感動的な空港だ。感動的なのは福岡の町を通過して空港に降りることだ。かつての名古屋空港もそのようだった。町を見ながら降下するのはスリリングだ。今回は海からの侵入だったので、志賀島の埋立地を見ながら降下だった。福岡空港は博多へのアクセスもよい。地下鉄に乗れば、簡単に福岡の中心地にいくことができる。

まず天神に行くことにした。天神から西鉄電車に乗って太宰府に行った。太宰府天満宮と光明禅寺と九州国立博物館に行くことが目的だ。光明禅寺は庭が有名な寺だ。太宰府駅から行くと、私一人だった。静かに庭を眺めていた。秋の紅葉も素晴らしい庭だ。枯山水の庭園で、暑い夏だが、この庭には秋の風が吹いていると感じていた。そこへおばさんの集団がきた。おばさんいわく「このような庭があるのなら、京都に行く必要はない」とのこと。どこに行ってそれなりの感動があるのだから、京都に行けばよいのだ。

このおばさん集団のリーダーは俳句をする人らしい。その人が、この庭をよんだ俳句があると紹介した。その俳句とは「それぞれの苔の心や石の花」なのだ。確かの石に苔があった。結構感動的な俳句なのだが、この庭を見ないと、その感動は伝わりそうもない。おばさんはこのリーダーの話を聞かずに、それぞれが話をしていた。人の話を聞かないのがおばさんなのだ。

おばさんの集団からはなれ、光明禅寺の散策を続けた。この庭の拝観料は200円で、係りの人がいなくて賽銭箱みたいなものに入れるだけだ。入れなくても分からないけれど、入れるのが日本人の習性なのだ。天網恢恢と言ったのは中国人だろうが、その心を受け継いでいるのが日本人のようだ。大陸文化と島国文化のちがいだと思う。この狭い島国では悪いことをすると末代まで祟るということだろう。
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by qzr02421 | 2011-07-30 08:10 | 旅行
同じ商品なら安いほうがよいのは当然だ。安くてダメなものはいけないのだが、ダメの基準がわからないので、結局安くてダメなものか、高くてダメなものかを決めることができない。人間はひとつしか選択できないので、その選択したものがよかったのか、ダメだったのかは実は分からないのだ。自分が選んだのだから、それでよかったと思うのが一番だ。

旅行の話だ。福岡に来ている。福岡には新幹線と飛行機という二つの選択枝がある。自動車や徒歩、そして船という選択肢もある。どれが一番安いかということだ。徒歩が安いように思えるが、福岡までの宿賃と食事代などを考えれば安くはないだろう。足もボロボロになるにちがいない、名古屋から福岡まで歩くという体験は面白そうだ。自転車という手もあるが、これはお尻が痛そうだ。

宿とセットということを考えると飛行機が安いようの思うのだがどうだろう。新幹線で本と駅弁を食べながらという旅行も風情はあるだろう。本とビールを片手にした列車の旅も捨てがたいものがある。飛行機の移動は非人間的で疲れるような気がする、体と移動距離が一致しないのだろう。それでも今回か飛行機と宿セットで3泊4日で41400円というプランを選択した。

安いプランは飛行機の出発時間を選べない、他の人やツアーが選ばない時間が安いのだ。そこで名古屋発8時、帰りは福岡発20時半という飛行機となった。朝早いので、たくさん見学が出来、帰りの飛行機が遅いので、また見学が出来るという贅沢な飛行機時間だ。宿は最初は福岡市にしたが、小倉に変更した。福岡も小倉も町衆という存在があり、似たような町だと思う。九州の町は本州の町と違い、外国との貿易で収入があり、それなりに豊かだったと思う。文化圏を九州と本州とは分けて考えたほうがよいと思う。
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by qzr02421 | 2011-07-29 16:04 | 旅行

人生は後悔しないものだ

「過去の自分に一回だけアドバイスできるなら、言ってあげたい事はありますか」という質問に89.5パーセントの人が言ってあげたいことがあると回答している。自分の過去について、後悔している人が多いようだ。人生は決断の繰り返しだから、あの時あの決断をしなければと思うという気持ちがあることはわからないではないが、その決断を今振り返って、違う決断をしたほうがよいのかといえるだろうか。

この間、お酒によって妻に「お前と結婚したことを後悔している」と言ったらしい。記憶がないのだが、そんなことを言ったのだろうか。私自身は自分の決断を後悔したことがないと思っていたのだから、びっくりした。妻と結婚していなかったという人生を想像することができない。幸せな人生を送ったと思っている。別の人生などありえないのだ。人生は決断の積み重ねだ。一つ一つ決断してここまで来たのだ。どうして後悔をすることがあろうか。

あの時この決断をしなければ、別の人生があったと思うのが自由なのだが、そのような人生はないのだ。一つ一つ決断と経験をして、今の自分がいると思うのだ。それでも9割近くの人が、過去の自分にアドバイスしたいという現実があるのはどういうことだろうか。現在から過去を糾弾することは出来ないのだ。それが歴史というものだ。

もう一度「人生をやりなおせる」という問が成立しないのだから、過去の自分にアドバイスなどできしないのだ。今の自分を愛しながら生きるのが人間だと思う。どの段階の決断も、その時点では最適だと思ったのだ。だから過去を変えようとは思わない。今の自分が一番よいということでもある。今が一番幸せと思える人生をこれからも歩んでいきたいものだ。
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by qzr02421 | 2011-07-28 19:58 | 日常
日本がさまざまな災害を受けているときに、諸外国も大きな騒動があった。まさかのオスロでのテロだ。ヨーロッパでは移民が多いのは陸続きということもあるし、歴史的な経緯もある。アメリカもリオグランデ川を渡ってくる人々も多い。移民は移民先の国で最下層の労働力とした活用される。最下層の労働なのだが、その国の経済状態が悪くなると、最下層の場面で移民と自国民の争いが起こるのだ。

日本は伝統的に移民を受け入れてこない。海が自然の国境となって、ボートピールといいながら、量が相対的に多くはない。移民の受け入れについては知識層は歴史的に多くの人々を受け入れてはきた。知識層の受け入れについては問題がなかった。労働力としての移民は日本人がカリフォルニアなどに多く行った例がある。当然日本人移民の排斥運動がアメリカでは起こっている。

古代では移民という概念はないだろう。人間は移動を繰り替えし、そこで勢力を持ち、負けた勢力は奴隷などになっていくのだろう。これが弱肉強食ということだ。19世紀の国民国家が成立し、国境が確立することのより、移民という問題が起きたのだ。日本人という存在があり、その日本人に対して移民をしてきた人が存在するのだ。

国民国家という存在があれば移民問題は当然存在するのだ。日本では移民を限りなく受け入れないという状況を作ることにより、移民問題を経験しないですんでいるだけだ。ヨーロッパの問題は、やがて日本にも起きる可能性があるのだ。移民をどのように考えたらよいのか、いまこそ問われているということなのだ。
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by qzr02421 | 2011-07-27 19:44 | 日常
『古典的思考』前田雅之著を読んで、印象に残ったことをさらに記す。民主主義が大衆化社会と結びついたとき全体主義と通底するポピュリズムの発声は不可避なのだ。戦前派さまざまの権力が並立していたので独裁は生まれにくかった、戦後の体制の方が独裁に行きやすい。大隈人気、政党が大衆に受けようとすれば福祉充実しなくてはいけないが、国家予算は国民すべてが満足するだけはない。大隈はなぜ21か条要求をしたのか、山県はそんなものを要求しなくても成果を得ることができたし、そのような要求は、日本が弱いものいじめをしていると諸外国から思われるだけだと批判したという。

政党政治はポピュリズムに陥りやすい、大隈という政治家は言説と行動の矛盾、先見性のない政策という「場当たり主義」だったが、小泉よりは言語表現能力が合った。目立つと失脚しやすい、目立たないで真ん中で踊っている人が生き残るが、その人は能力がない人なのだ。危機があると、支配層は人気がなく凡庸な指導者を求め、国民は人気がある凡庸な指導者を求める傾向がある。

民主主義というのは民主というのは「どうでもよい多数者どものよる支配」と言った意味がある。民はえらいのか。多数決で全てを決めるのが民主主義なのだが、それでよいのか。正義はないのか。そもそも日本には正義があるのか。正義を担保するのは神だとすれば、日本にはそもそも多数決のよる正義しかなかったのではないのか。

戦後民主主義の原理的な価値観は利便性とマニュアル化だ。役に立ち便利なものが最善の価値なのだ。知識・情報のマニュアル化がそれに連動している。そして忘れられていくのが教養だ。教養と偏差値とは相関関係がなくなってしまった。英語能力が高い人が偏差値の高い大学の行くようだ。英語が出来なくても知的生産能力が高い人がいる。知的ということと偏差値の相関関係もないのだ。とりとめなく書いたので、どのような意味か分からないが、考える材料にしたい。
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by qzr02421 | 2011-07-26 18:08 |

文章の抜書きの効用

『古典的思考』前田雅之著を読んで、印象に残ったことを記す。天皇制という単語は戦前の共産党が考案した単語で打倒すべきという意味が含まれている。コミンテルンの指示の基づく単語だ。現代ではこれが何気なく使われている。天皇システムとは王権という単語を使ったほうが価値が中立的になる。天皇システムは「しろしめす」と「まつりごと」の二重構造を持ち、これは日本のシステムの原型、つまり天皇と太政官、将軍と老中、三井家と番頭ということだ。

日本史のおける天皇という存在は難しいものがある。簡単に否定はできないものだ。天皇制打破とった時代もあったが、打破してどうなるものか。万世一系かどうかは別として、今あることに、意味があるのではないのか。そのようなことをこの本を読んで感じた。「しろしめす」英語ではソブリンつまり統治すうということ、「まつりごと」とは実際の政治を意味するのだろう。象徴と主権の関係でもあるように思う。

【「公」-「公私」-「私」】-「ひとり」という構造、「ひとり」が個人を意味している。公とは世間を意味するような言葉、それに対して私というのは公以外の全てを意味する。日本人は世間でそれなりの働きをして、私の世間でも生きているということだろうか。そのなかで公私を捨てた状態を「ひとり」というらしい。隠居とうことだろうか。方丈記の世界かもしれない。

写本と抜書きという関係、近代の論理は要約主義、瀬島隆三は「あらゆるものは三つに要約できなくてはいけない」と語った。前近代の論理は抜書き・記憶・連想だ。前近代の学習は記憶にあり、学習の基本が写本、音読、暗誦ということだ。暗誦した文章を利用して自分の考えを構成するということでもある。手本がなければ考えることはできない。自由に書いてみなさいといわれても、何も書くことができないのだ。抜書きというのも意味あることだと思う。この文章も抜書きして、自分の意見を書いているにすぎないのだ。暗誦と抜書きということが大切だということを実感している。
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by qzr02421 | 2011-07-25 15:35 |

甚目寺って知ってます?

名古屋市博物館で「甚目寺観音展」を開催している。ワードの文字変換では甚目寺は出てこない。じゅもくじと打つとジュモクジとカタカナに変換される。それだけ日本中の人が知らない寺なのだ。実際は名古屋に住んで、かつては津島に職場があったので、甚目寺の付近はよく通っていたのに一回も行ったことがない。京都の寺や世界遺産に認定された金色堂には行ったことがあるのに、どうしたことだろう。

甚目寺は尾張四観音の一つとして有名だ。尾張には四方の観音が安置されている。笠寺、龍泉寺、荒子そして甚目寺だ。徳川家康が名古屋城の築城に際し、城から見て鬼門の方角にある上記4寺を鎮護として定めたということになっている。尾張四観音の節分の恵方は、笠寺観音、龍泉寺、荒子観音寺、笠寺観音、甚目寺観音の順番に、5年で一巡するようになっているとのことだ。節分にはその恵方の方向に向って、無言で巻寿司を食べる風習がいつのころからか定着している。

甚目寺は飛鳥時代の推古天皇5年に創建されたという縁起があることをはじめて知った。最近南大門の仁王像を解体修理をして、仁王像内部からこの仁王像が寄進したのが福島正則であったことが分かったのだ。この仁王像がきれいに修復され展示されている。その仁王像の修復を記念して、さまざまの寺宝が展示されている。見ても、ふ~んという感じなのだが、地元にこのようなものがあるのかという感動も一方ではあった。仁王像は見ごたえがある。

この展示は8月28日までだ。結構マイナーな展示だと思うが、夏休みに入ったからだろうか、中学生が鉛筆を手にしてメモをしながら鑑賞していた。小さい子を連れたお母さんらしい人が、閻魔大王を見て、地獄の話をしていた。最近は閻魔大王の話を聞く機会もないだろう、きっとこの子はよい子になるなどと思った。会場の入ったところで3Dで甚目寺を紹介してるビデオが上映されていた、3Dとはなかなかやるなもんだね。
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by qzr02421 | 2011-07-24 20:07 | 劇,映画その他

志功の仏画は色っぽいね

棟方志功という人について思い出すのは、下着で頭に和紙の紐を巻いて、版木の覆いかぶさるように制作する姿だ。晩年は片目が見えなくなり、見えるほうの目もそんなには見えなったのだろう。また、青森出身ということで、ガラガラの声の東北弁を思い出す。「わだばゴッホになる」という言葉も有名だ。ゴッホにはなることができなかったが、世界でも有名な版画家になった。彼は版画とは言わない、板画と呼んでいた。作品を柵と言った。柵とは四国巡礼で寺に納める札のことだ。

棟方志功の絵画を描く姿は、神が絵を描いているように感じる。すごいスピードで描いていく、構想などないようだ、それでいて素晴らしい作品になるから驚きだ。現在愛知県美術館で東北復興支援特別企画として「棟方志功 祈りと旅」を開催している。9月4日までだ。金曜日がゆったりと鑑賞できると思い、その日に行った。10時半ころ着いたのだが、ゆったりと鑑賞することができた。

全長26メートルの「大世界の柵」は見ごたえがあった。釈迦十大弟子も久しぶりに見ることができた。十大弟子のそれぞれの顔と姿勢も風情がある。どうしてこのような版画を描けるのかがふしぎだ。菩薩は本来は男性も女性もないのだが、志功の菩薩はどうみても女性だ。ふくよかな顔を肉体は女性そのものだ。女性の菩薩を見たのだろう。女性は時として般若になることは知らなかったのだろうか、幸せな人生を送ったのだろうか。

旅を通して日本各地の風景を描いた連作「海道シリーズ」は、自分が行ったことのある場所の風景があると、より親密感がわくものだ。版画といえば白黒というイメージがあるが、志功の版場は彩色されたものがたくさんある。彼の版画を見ていたら青森のねぶた祭りを思い出した。彼の版画のルーツはねぶたにあるということだ。
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by qzr02421 | 2011-07-23 17:02 | 劇,映画その他

言葉には怨霊があるのか

物語には「もの」を語ることによって人間の怨霊を鎮めるための効果があったのが平安時代だった。それは今でもあるのかもしれない。日本人が討論が苦手なのは、発言する内容だけで終わらないからだ。発言している人の人間性を含んで相手が語っていることを理解してしまう。相手の人格と発言を同一視するということは、語ることにより怨霊を呼び起こしてしまうということでもある。

正式書物とは平安時代では「巻物」に仕上げたものだった。それに対して「冊子」つまり「草子」とは娯楽的な読みもののことを意味していた。源氏物語はそのようの草子として生まれたのだ。『和本への招待 日本人と書物の歴史』橋口侯之介著によれば、平安時代の物語が今読むことができるのは「和本」の歴史があるからだという。

「紫式部は『源氏物語』を書かなかったという」文章がある。平安時代は現在のように作者名と題名の表記はなかった。『源氏物語』が書かれた11世紀当時の実物は残っていない。それから200年後くらいの鎌倉時代の写本が少しずつ残っているだけだ。その古い写本には題名も作者も書かれていない。ただ『紫式部日記』に「源氏の物語、人に読ませ給ひつつ」とあるので紫式部が書いたとされている。

本の題名も「源氏の物語」とあるだけで『源氏物語』という題名は後世つけられたものだ。写本だから、写しているときに書き足したり、書き損じたり、あるいは書き直したりしたので、もともとの話とは変化している。それが日本の古典と写本の関係なのだ。紫式部が書いた原本は存在しないが、書物として日本人が残そうとした『源氏物語』は存在する。日本人が本を残そうとしたことで、現在の私たちは古典を読むことができる。その歴史を知るためには、結構面白い本だった。本の内容ではなく、どのような本が出来、それが伝わってきたかが分かる本だった。
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by qzr02421 | 2011-07-22 20:04 |