本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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今年は本当の寒いね

今年の冬は寒い、例年並みなのか、いままでは暖冬だったのか。例年より灯油を購入する回数が多い。12月のはじめに購入したときには18リットルで1190円だった。最近は1350円だ。需要と供給のバランスで、寒くなると灯油の値段があがるということなのか。灯油ばかりでなく、コーヒー豆や小麦などの値段も高くなっているという。実感は今のところないが、これからじわじわと影響が現れるのだろう。

日本は食糧需給率が低いので、外国からの食材が値上げすると大変なことになるのだろう。世の中の現象は不連続なので、だんだん悪くなるというより、突然影響が現れると考えたほうがよいと思う。少しずつ変化していくこともあるだろう。それにしても、あまりよい方向に変化するとは思えないところに、現代の不幸があるのだ。

エジプトでは大規模なデモが発生しているというニュースがある。テレビでエジプトの空港で待機している日本人の様子が放映されていた。この時期エジプトに行くことが出来るのは高齢者のようだ。結構年配の人が、エジプト旅行をしていることが分かった。少子高齢化で、若者は派遣で働き、高齢者は年金と退職金で豊かな生活をしているということだろうか。

テレビのニュースは幸福なニュースと不幸なニュースの比率が3対1という話もある。世の中にはさまざまのニュースがあるが、幸福なニュースのほうを多くしているというのは、明るい未来を示したいからだろうか。松本城での氷の彫刻のニュース、そして豪雪で雪下ろし中の転落事故、幸福なニュースと不幸なニュースの比率というのは不思議なことだと思う。
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by qzr02421 | 2011-01-31 19:02 | 日常
学芸員の資格を取ろうとしているのだが、ニュースでは博物館の多くが閉館しているという。博物館は多く存在はしているのだが、多くの展示品や文化財を持っていても、その保管と維持には大変な労力が必要なのだ。労力以上に必要なものはお金なのだ。地方自治体の税収不足、お金がないときに、一番切り捨てやすいのは文化なのだ。文化予算を切り捨てても死ぬ人はいない。

文化財がごみになろうとし、博物館が閉鎖されようとしているのだ。予算がないという理由とともに、町村合併という事情があるようだ。町村にひとつあった博物館が、合併によって必要なくなるというのだ。文化を大切にしない国は滅亡するということは事実だろうが、文化を大切にして人間の生活が崩壊しても困るということだ。

文化財の危機という面があるにもかかわらず、学芸員資格をもっと厳格の運営しようという動きもある。現在の単位より、もっと多くの単位と実習が必要となるのだ。私も学芸員資格をとるための奈良大学の在学しているのだが、どのようになるのか興味があり、また心配もしている。学芸員の資格をとっても就職できるわけではない。博物館が閉鎖されるのなら、取得しても意味がないともいえる。

若い人ならともかく、還暦前後の人間のとって資格がそれほど意味があるわけではない。学芸員になるわけではないが、学芸員として必要な教科を学ぶことが楽しいのだ。そういう意味では、取得する科目が増えるということは、学ぶ楽しみが増えるということでもある。博物館、寺、神社、城などを訪れるのが楽しいのだ。それにしても、お金がないということで、博物館の閉鎖が多くなるという日本は悲しい国なのだ。文化を大切にする国が理想だが、それが難しい時代のなったということなのだろうか。」
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by qzr02421 | 2011-01-28 19:49 | 日常

なんとかなるさ

問題にぶつかったとき、どのように対応するのだろうか。今はデフレで不況という状況だ。それでも最近は発展途上国が豊かな生活を目指すという状況で、穀物・コーヒー・小麦などの価格が上昇しているようだ。これからは生活物資の価格も上昇する可能性が高い。現状が変わるときには、劇的に変わるのだろう。不連続ということだ。

いろいろな問題があるときに、「人生いろいろあるけれど、なんとかなる」と思うことが大切なことなのだ。抱えた問題に対して、暗い顔をしても、問題が解決する分けではない。「ちょっと笑って、ぼちぼち行こか」という余裕が欲しいものだ。「困った名と思いながら、なんとかなる」という余裕だ。

関東は完璧を求めるという。悪く言えば「格好をつける」ということだ。関西は「笑ってなんぼの世界」なのだ。笑うということは、健康にもよいし、長生きにもつながるのだ。楽しくなるためには「毎回、手をかえ、品をかえ、楽しませる」という工夫が必要なのだ。工夫が必要ということは、簡単にはできないということでもある。人は安易にアドバイスをするけれど、アドバイスできるくらいなら悩まないものだ。

笑うことが一番大切なことだ。人生は一度しかない。小泉元総理が言っていた通り「人生いろいろ」ということだ。何とかなると思うことから第一歩がはじまるのだ。ともかく、笑って歩むこと、完璧を求めない、自分自身が楽しむということが一番大切なことなのだ。
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by qzr02421 | 2011-01-27 22:08 | 日常

究極のへそくり

へそくりというのは女性の専売特許だろうか。専業主婦と兼業主婦(パートの主婦、フルタイムの仕事を持った主婦のこと)とでは、へそくりの金額が違ってくるだろ。しかし、自分が自由に使うことができるお金という意味のへそくりというのはあるのだろう。自分磨きをするのは女性の方が多いような気がする。頑張ったご褒美という言い方もある。男性にはないものだ。

へそくりとして現在注目されているのがポイントによるへそくりということだ。買い物をするとさまざまのところでポイントがつく。ネットだと、アンケートに答えてのポイントもある。もっともアンケートでポイントをもらうのは、プライバシーを売って、ポイントにしているような気持ちもする。

ネットで買い物、コンビニで買い物などで付与されるポイントは個人所有のカードによるので、究極のへそくりなのだ。本を買うことが多いので、ネットで買うようにしている。電化製品の一部もネットでの購入だ。半年で、いろいろあわせて3000円ほどの収入となる。たいした金額ではないが、それでも購入したことへのご褒美のようなものだ。

1円でも安いものと探してスーパーを渡り歩くのがよりよい主婦だそうだが、安いものを探しながら、買い物をして、半年でいくばくかのポイントが付与されるのは素敵なことだろう。それにしても100円のアンパンは簡単に買ってしまうのに、130円の食パンを高いと思うのはどのような神経なのだろうか。人間の金銭感覚というのは不思議なものだ。
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by qzr02421 | 2011-01-26 15:54 | 日常
シンデレラは12時の時計を聞いて、魔法がとけるので、片方の靴だけ残して帰っていくのだが、前日は11時45分の鐘?で帰宅するので、魔法がとけないのだ。シンデレラの話は、グリム童話が有名だが、11時45分に鐘がなるというのは、そのような時計があったのだろうか。童話だから、史実ではないので、そのような時計がないのだろうか。

史実ではないにしても、童話として話があるのだから、グリムの時代にはそのような時報を示す時計があったのかもしれない。中世の話だとしたら、時間に正確に行動するとういうことがあるのだろうか。日本の江戸時代でも、時計などは民間にあったとは思えない。時計がなければ、正確に集まって会議などは開けるはずもない。夕方集まろうなどと約束しても、全員があつまるまでには1時間ほどかかるだろう。

時間を守るという風習は近代の風習なのだ。シンデレラが時間を気にするということは、彼女は近代的な人間ということになる。時間通りに行動できるということと、集団行動ができるのは近代人の特徴だ。江戸時代の人間は、時間はルーズだっただろうし、集団行動はできなかったろう。ここでいう集団行動というのは、行進のことだ。列を組んで行進するというのは近代に入って生まれたことだ。

ママ母にいじめられて、宮殿の舞踏会にいけない、魔法使いが助けてくれて宮殿へ、時間を忘れて、靴を片方おいて逃走、その靴に合う女性を探す王子様、ついにシンデレラが見つかる、王子とシンデレラは結ばれてという話だが、中世のようで、時間だけは近代的という、不思議な童話なのだ。
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by qzr02421 | 2011-01-25 20:16 | 日常
大曽根に「大曽根温泉」という日帰り湯が誕生した。温泉施設といっても人工的な湯で、いわゆる温泉ではない。温泉施設と併用してパチンコ屋もある。スガキヤもある。このスガキヤは、最低600円のラーメンの、高級スガキヤだ。大曽根にある高校で非常勤講師をしているので、帰りに寄ってみた。

まず、高級スガキヤでラーメンを食べる。600円のラーメンが高いわけではないが、他の安いスガキヤと比較すれば、高いという印象を持つ。ともかく食べた。メンマ、以前はシナチクと呼んでいたが、シナチクというのは石原東京都知事くらいになったしまったようだが、このメンマは高級そうで、少し太いように感じた。チャーシューも高級そうで、大きく美味しかった。

ラーメンでお腹を膨らませて、いよいよ温泉に、入場料は700円だったかな?100円出して会員になると650円になるようだ。また来る可能性もあるので、100円出して会員になった。温泉施設内にも食堂があり、この食堂も会員は50円引きのようだ。
タオルひとつあれば、気持ちよい温泉が体験できる。

高酸素のような湯、道後の湯、由布院の湯などがある。道後の湯は人工的な温泉で、薬で道後の温泉を再現している。入ると、単純泉のぬるぬるとした感じを楽しむことができる。これはよいと長湯していた。帰るときにドアに張り紙があった。「道後の湯」の薬品でかゆくなる人がいるので注意してくださいと書いてある。かゆくなったら皮膚科に行ってくださいとも書いてあった。かゆくはならなかったのでよかったが、この張り紙で大曽根温泉は免責ということなのだろうか。帰宅したら、すごい睡魔に襲われた。結構、体に効いたのだろうか。また行ってみたいものだ
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by qzr02421 | 2011-01-24 20:36 | 日常

逆縁はいやだね

くじ運がない。今日は年賀状のお年玉の当選番号が発表になった。例年は切手シートが2枚くらい当たるのだが、今年はうまく当選番号をはずしている。あたる人がいるのだろうが、最高で以前にレターセットがあたっただけだ。悪いことをあたらないが、よいこともあたらない。それはそれでよいことだろう、と思うしかない。

昨年は妻の父がなくなったので、普通なら「喪中につき・・・」というハガキを出すようだが、今回は年が明けてから、寒中見舞いを出そうという方針を立てたのだ。年賀状が来ないのもさびしいし、年賀状を出す人は、喪中でないのだから、受け取るにはよいだろうということだ。というわけで例年の枚数が手元のあるのだが、あたりはないのだ。

喪中のハガキも何枚か昨年受け取った。教え子が50歳前になくなったというハガキはショックだった。一昨年の年賀状には、子どもが高校と中学になるから大変というような内容が書いてあった。その年賀状を出して、しばらくして急になくなったようだ。急なことだから、交通事故か癌か何かだろうと想像している。それにしても、自分より若い人が旅立つ訃報を聞くことほどつらいことはない。

年賀状を出さずにツイッターやメールで済ませる人も多いようだ。また、年賀状を出せないという人も多くなったのだろうか。1年に1回のことで、音信が分かるとうものは、それがそれで意義があると思う。通信簿の所見欄は自筆がよいのか、ワープロでよいのかというような論議もある。とりあえずは所見欄に文字があればよいような気がする。文字の種類を論議するより、内容が大切だということだ。
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by qzr02421 | 2011-01-23 17:11 | 日常
ゆったりとした気分にならないと芸術を鑑賞しようと思う気持ちにはならないものだ。明日の講義をどのようにしようという気持ちだと、絵画を見ても楽しい気分にはなれない。そういう意味で、金曜日の午後は、芸術鑑賞に最適な時間だ。本日は午前中にカルチャースクールで昭和史、若槻内閣、田中義一内閣について話した。張作霖爆破事件までの昭和史の前半の歴史だ。

こういう戦後恐慌、震災恐慌そして金融恐慌とその処理という話をしたあとは、芸術鑑賞で心を休ませ、安らかにすることが重要だ。血なまぐさいあとは芸術だ。日曜日まで愛知県美術館で「愛知県美術館の名品300」を開催している。博物館の法則では、会期が終わりになるほど、混雑するのだが、こういう所蔵品展は案外すいているのだ。

美術館のエレベータに乗ろうとしたら、結構大勢の人が乗ってきたので、所蔵品展の人気があるのかと思ったら、大勢に人たちは「日展」の開催している8階で降りてしまった。所蔵品展は10階だ。予想通り、人が少なかった。一般が500円、学生が300円だ。500円で名品300を見ることができるのはお得だと思う。奈良大学の文化財学科にまだ在籍しているので、300円で入場した。学芸員資格を取るためだが、学芸員法が変わるそうで、習得するべき科目が増えるそうだ。しかし、科目を増やして、学芸員資格をレベルアップさせても、就職しにくいことには変わりない。この資格を取ってもあまり使い道があるようには思えなくなった。それでも、学芸員に関する科目を学ぶことは楽しいことだ。

この名品展をみるのも、学芸員としての(資格は取れなくても)眼を養うためだ。最初の部屋は「木村定三コレクション」が展示してある。与謝蕪村の掛け軸が素敵だった。余白の美という感じで、掛け軸のいっぱいに絵がないのがよい。茶碗も風情がある。その後の部屋には近代絵画、現代絵画が展示してある。真剣に見ると結構時間がかかるのだが、博物館の法則で、足を止めずにざ~と見る、そして、入り口の戻り、気になった作品を中心に、いくつかポイント決め、鑑賞するという方法をとると、あまり疲れない。全部を万遍なく見るというのは不可能なことだ。人がいなくて、じっくりと鑑賞することができた。最近は掛け軸の興味があるので、とてもよかった
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by qzr02421 | 2011-01-21 16:45 | 劇,映画その他
小川未玲の作品は女性が生き生きと描かれている反面、男性はいまひとつの役割しか与えられていないような気がする。しかし、女性の生き方は、深く追求できるというと思う。男と女は、それなりに理解しているのだろうが、根本的なところでは理解できないようだ。女性が描く女性はきっぱりした感じがするが、男性が描く女性はなよなよしている感じがする。

男はなよなよした女性が好きということだろうか。詩織と茜という名前なら、きっと男性は詩織という女性を選ぶのかもしれない。男は芯があるけれど、待っていてくれる女性という存在にあこがれるような気がする。女性はそのように待っていることには飽きてしまったのが現代なのだ。

小川未玲の作品をいくつか見る機会があった。今日は「ジュリエットたち」を見た。シェークスピアの「ロミオとジュリエット」を題材にしているのだが、ロミオは脇役なのだ。あくまでもジュリエットが主人公で、しかもジュリエットたちとジュリエットは複数形なのだ。女性が自分の人生を自分の意志(意思)で選んでいくということを描きたいのだろう。

僕は男だから、女の気持ちは分からない。分からないものは分からない。けれど、妻と一緒の人生を歩んでいるのだから、分かろうとするが、やはり分からないものは分からない。妻の気持ちに寄り添うしかないのだろう。分かったようなふりをするより、分からないけれど、一緒にいようという、決心が大切なような気がする。芸術も分からない。分からないのに、分かったふりをすることが、道を誤らせるような気がする。
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by qzr02421 | 2011-01-20 20:54 | 劇,映画その他

消えた子どもとは

タイガーマスク現象は日本中に広まっているようだ。善意の人が多いのは素晴らしいことだ。不幸な境遇に人は、児童福祉施設以外にもいるのだろうから、こういう善意の寄付は、もっと行なわれるとよいと思う。福祉は、政府の仕事というのが、大きな政府理論だから、政府がもっと、積極的に動くことが必要だ。政府が動かない分、善意の人の行為が大切になるのだろう。

ところで、児童福祉施設、以前は孤児院とよばれた施設だが、最近は孤児は少ないそうだ。孤児は親をなくした、あるいは親がいない子どもだ。自分を生んでくれた親はどのような人かとう疑問を持って大人になっていくのだ。最近の児童福祉施設の子どもの多くは、虐待が多いそうだ。子どもと生んだけれど、親が子どもを育てることを放棄し、あるいは虐待するケースがある。そのような虐待を受けている子どもを、児童相談所が保護して、施設に入れるということだ。この場合は、自分の親がいて、しかもその親が虐待しているという現実がある子どもということだ。親がいない子どもも気の毒だが、親がいて、その親が自分の子どもを虐待する方が、もっと気の毒なことだ。

少子化が問題になっている時代に、そのような不幸な子どもが、多数存在するという現実を知ることとなったタイガーマスク現象は、それなりに意義があったことだろう。これだけ文明が発達した日本にそのような現象があるということは、どのように考えたらよいのだろう。どのようにしたら、そのような不幸な子どもたちが少なくなるのだろう。

小学校に入学するはずなのに、子どもを確認できない、どこかにいってしまったということも報告されている。借金の取立てからの夜逃げなのか、行方不明の子どももいる。神隠しでもあるまい。そのような不幸な子どもも多いが、不幸な親も多いのだろう。モンスターペアレンツという存在も、学校から見れば、大変な存在だろうが、そのようになってしまったのには理由があるはずだ。学校の教員がモンスターペアレンツを訴えたというニュースが流れている。どちらにしても不幸な時代だ。
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by qzr02421 | 2011-01-19 15:04 | 日常