本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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面白がるということ

年末らしく寒い一日だった。名古屋は朝初雪だった。例年より遅い初雪だろう。スーパーなども6時頃閉まるところもある。夜は、のんびりテレビでも見て過ごすということか。年の終わりも静かに過ぎていく。今年一年を振り返るにはよい静けさだ。振り返ってみれば、それなりに楽しいこともあり、初体験のこともある、有意義な一年だった。

今年一番の出来事は、心臓の手術だ。3月末に手術をという内科医の話があり、心臓の手術は大変なことが分かっているので、死ぬかもしれないなどと感傷にふけった春、桜を見ても、これで最後の桜かな、などと思ったりした。それでも無事手術が終わり、4ヶ月過ぎた。生きているということを実感している。

今でも朝の散歩は続けているのだが、夏には朝5時出発だったが、最近は寒いので、布団から出るのがつらいので、出発は朝6時半ごろになっている。それでも6時半はまだ暗い。最近は下弦の月がきれいだ。星と月を見ながら、歩き始める。新聞配達する人はもう既に終了している時間だ。それでも1時間の散歩は気持ちがよいものだ。

心臓の手術を挟んだ一年だった。来年はどのような年になるのだろうか。いや、どのような年にすればよいのか。京都大学教授の森毅氏は「人生は面白がる」ということが大切だと言っていた。何でも面白がってはじめることが大切なのだろう。一度しかない人生なので、面白がるということは、それなりの指針となることだと思う。来年は、面白がるということを念頭において、いろいろなことに取り組みたいものだ。今年の言葉は「サバリバル」だった。来年は「面白がる」としよう
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by qzr02421 | 2010-12-31 20:52 | 日常
「生きるということは日々新しい縁を結ぶこと、数々ある縁の中で人と人との縁は奇なるもの」といったのは瀬戸内寂聴さんだ。「思いがけない人と人が出逢い、心惹かれたり、疎ましく思ったりするものだ」と言っている。さらに「結んだと思った縁もふとしたことから切れることもあるし、切れたと思ったのは人の浅はかな考えで、一度結んだ縁は切れることはない、それが人生の恐ろしさ」とも言っている。

その人との縁を日本経済新聞で連載している。さらにそれがまとまって書籍となっている。『奇縁まんだら』である。連載は今でも続いているし、機会があれば読むようにしている。まとめて読もうと思って、図書館で探したら、人気があるようで、第一冊目のみ残っていた。連載の最初の人物は「島崎藤村」だ。昭和15年(1940年)に大曲の能楽堂で姿を見たという記載がある。

島崎藤村は昭和18年に71歳でなくなるから、昭和15年は68歳だろう。『夜明け前』が完成するのが昭和10年だから、詩人として世に出、『破戒』などで明治時代の自然主義文学を代表する作家となるのだ。藤村というと明治時代の文豪というイメージを持つが、歴史小説『夜明け前』が高い評価を受けるのは昭和にはいってからだ。

寂聴さんが藤村に会うことが出来るは奇縁だろう。次は正宗白鳥と縁を結ぶのだ。藤村より7歳若い。藤村と白鳥の年齢差をあまり考えたことがなった。歴史上の人物というイメージしかない。今の高校生は田中角栄や佐藤栄作を思い出すのと同じだ。高校から大学にかけての政治家が佐藤栄作や田中角栄だから、会ったことがないが、同時時代の人物をいうイメージはある。同時代の人物をいうイメージを持つことが出来るかどうかが、歴史上の人物かそうでないのかの違いなのだろう。
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by qzr02421 | 2010-12-30 21:16 |

鴎外とエリス

森鴎外がドイツに恋人がいて、その恋人が鴎外を追って日本に来たということは分かっている。そして森家という壁にぶつかり、鴎外が、その恋人をあきらめた。その女性は一人でドイツへ帰っていった。鴎外はこのことを小説『舞姫』として残した。舞姫の名前はエリスという。この鴎外の恋人の名前を探しだし、アンナ・ベルタ・ルイーゼとしたのが関西大学教授の植木哲さんだ。著書の名前は『新説鴎外の恋人エリス』だ。

一方、乗船名簿から分かる鴎外の恋人の名前はエリーゼ・ヴィーゲルトというのだ。こ違いはどこから来るのだろうか。日本は外国から来る人に旅券つまりパスポートの提出を求めていなかった。江戸末期の結ばれた日米修好通商条約において、アメリカ船が入港するとき、船のデーターとともに乗船者の名簿を提出すれば、日本に入国することができたのだ。この条約はプロイセンにも適用されるのだ。日本が入国の際に旅券の提示を求めるようになったのは大正7年つまり1918年からなのだ。

一方、プロイセンは出国する同国人に対して、旅券の提示を求めてはいなかった。船賃を払い乗船すれば、そのまま外国の地を踏むことが出来るということなのだ。だから、名前を確定することができる旅券つまりパスポートが存在しないということだ。日本に来た鴎外の恋人は存在している。年齢が15歳と7ヶ月だというのだ。鴎外はおそらくこの女性と結婚するつもりがあったのだろう。それが分かっているので恋人の父が船賃を出し、日本に送り出したのだ。

しかし、結局は15歳の少女は結婚することなくドイツの帰国し、そこで新しく出会った男性と結婚して子どもを育てるのだ。鴎外も結婚して子どもをもうけた。この二人は死ぬまでお互いを思い、若き日の思い出を大切にして生きていったのだろう。そういう生き方もあるのだろう。
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by qzr02421 | 2010-12-29 18:44 |

年末は断捨離だよね

年末になると大掃除ということテンションをあげたが、なかなか片付かない。原因は分かっている。モノが多いからだ。最近流行の「断捨離」で対応しようとするが、そうとう勇気を持たないと捨てることができない。「断捨離」というのは一種の宗教のような感じで、捨てるんだという思いを心に強くもって、モノに対応しなければならない。

まだ使用することでできるボールペンなど、使用していなのだから、これからも使用する可能性は低いと考えて、捨てるのだ。これができない。「もったいない」という言葉が浮かぶ。捨てないで、使用しないボールペンを残すことがもったいないという理論なのだ。それは分かっているのだが・・・「もったいない」というのはモノに対しての心ではないのだ。そのモノをつくった人に対して「ありがとう」と感謝することなのだ。

ご飯を食べるときに、ご飯粒を残さず食べるのは、ご飯を残すことがもったいないのではなく、おコメを作った農家の人に対して、ありがとうという気持ちを持つことが「もったいない」ということだそうだ。モノをどれだけ持っていても幸福とは関係がないことなのだ。モノの後ろにある人間との関係を思い起こすことが、幸福の扉を開けることなのだ。最近新聞なので、孤独死という言葉を読むことが多い。

死ぬときは孤独に決まっている。一人で死んでいくのだから、周りに誰かいても、やはり孤独に死んでいくのだ。しかし生前はいろいろな人間関係の中で生きていたのだ。モノとの関係の中にも人との関係があるのだ。仏教でいうところに「色即是空、空即是色」
なのだ。自分の周りの見えないところに人との関係があるのだ。モノを見たときにそこに人を見ることができれば、人は孤独ではないのだ
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by qzr02421 | 2010-12-27 16:45 | 日常

外交は難しいものだ

名古屋大学特任教授、春名幹男さんの話を続ける。「北朝鮮問題」については、「アメリカが北朝鮮を攻めることはないだろう」、「中国が北朝鮮の保護者的立場にある、中国は北朝鮮に投資をしている、この現実がなくならない限り北朝鮮は存続する」、「アメリカは一番おそれているのは、北朝鮮にあるだろう核爆弾がテロリストに手に渡ることだ、有事があればまず核爆弾の確保が重要となる」、「中国がおそれているのは、北朝鮮が崩壊して難民が中国本土に押し寄せることだ」、「さらに中国がおそれているのは北朝鮮崩壊で、鴨緑江(おうりょくこう)でアメリカ軍と対峙すること、北朝鮮は中米の緩衝地帯なのだ」などを語った。

「中国問題」については、とくに「尖閣」の問題は、ここでトラブルが発生したらアメリカ軍はどのような動きをするのか見てみたいということでなかったのか」というのだ。尖閣問題は実は米中問題でもあるのだろう。アメリカが今必要としているのは「朝鮮有事であり、有事のとき日本との事前協議なしに出撃することができるかどうかだ」、前鳩山政権は、この事前協議について「前向きにかつすみやかに」から「迅速に、かつ適切に」と文章を変えた。これはアメリカから見ると後ろ向きな表現なのだ。

最後に「メディアはたくさん間違いがあること、注意して読み解いて欲しい」、「新聞でよいと思った記事、ダメだと思う記事があったら、是非新聞社に電話して欲しい、それが新聞をよりよくする方法だ」と行動提起をして話をしめくくった。
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by qzr02421 | 2010-12-26 17:23 | 日常

オバマと菅さんの違い

名古屋大学特任教授、春名幹男さんの話を聞いた。特任とは、彼はジャーナリスト出身で、共同通信社の論説主幹から名古屋大学の教授となっているのでそういう名称なのだそうだ。アメリカ通でも知られている、そこで今日の講演テーマは「今アメリカはーー日本はどう関わるのか」だった。冒頭に「オバマはどういう人か、菅首相とどう違うのか」という問いを立てた。

この二人は似ているのだそうだ。どのように似ているのかというと「二人とも直前の現状にどのようの対応するのかを考えている、しかも妥協タイプ」だという。ちがいは「菅首相は展望(理想)を持っていないが、オバマはまだ、展望を持っている点」だという。具体的にはオバマはプラハで「核のない世界」を宣言したが、臨界実験は実施している。将来的に核はなくしたいが、自分が生きている時代には無理ということを知っている。現実と理想の違いをよく知っているということだ。

メディアについては「メディアはすべてを報道しているわけではない」、「見えないものを見ることが必要」と、それがメディアの対応のポイントだという。オバマは「核をなき世界」と宣言しながら、アメリカは「核を使用する作戦計画を持っている」さらにはオバマは「フットボール」と呼ばれる「核発射ボタンや説明書が入っている」カバンを常に持参しているという現実がある。

核についてアメリカの視点と日本の視点も違っている。核爆弾を体験した日本は広島・長崎に悲惨を見たが、アメリカはその悲惨な状況の中で生き残った人に注目している。爆心地でも防空壕にいた人は無傷で生き残っている。アメリカはそのことから「放射線に対する防御をすれば、核戦争は戦えると考える」のだ。アメリカは「核を持っている以上核は使うもの」という認識なのだ。日本はずいぶん違う価値観の国と戦い、そして戦後関係を深めているということだろう
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by qzr02421 | 2010-12-25 19:52 | 日常

ランチはどこがいい

「ランチをする」というのは女性の特権のような気がする。男はランチではなく、コンビニ弁当というイメージがある。弁当は500円ほど、ランチは1000円ほどだろう。タバコをすっている男は、タバコ代を考えると、500円の弁当という選択となるのかもしれない。最近の女性はタバコもたしなむ人が多いし、ランチを楽しむ人も多いようだ。人生を楽しんでいるのは女性のほうが多いような気がする。

本日は医療センターで検査をする予定だった。終わったら妻と、そのランチをしようと約束をした。栄あたりはオフィスが多いので12時からは混むだろうと、病院の検査時間から逆算して11時半に約束をした。年末で病院が混んでいると思ったら、意外にすいていた。一番混むであろう血液検査が、二人待ちの状態だった。「何故だ」と叫びたくなる一瞬だった。

栄はランチをするレストランや食堂(いまどき食堂なんていうのか?)が多い。決めておかないとさまよえるオランダ人になってしまう。以前から気になっていたランチがあった。桜通りから少し南にあるクラブアッシュ名古屋だ。ランチが1000円、しかもバイキングなのだ。1時間ほど居座ると、さまざまな食材を食べることができる。席が多くないので、料理をとるとき、それほど混まないのがよい。コックさんが目の前でベーコンや魚を焼いてくれるのがうれしい。ただ、長くいるとそのコックさんが焼いている油の臭いが気になるかもしれない。

それでも、1000円であれだけの、あれだけといっても分からないので、是非、行って体験して欲しいものだ。味は少し濃いという印象だったが、美味しいことが美味しいのだ。本日はカレーとサラダを美味しかった。日よってメニューが違うかもしれない。美味しかったので食べすぎだが、昼の大食は太らないという伝説を信じて食べたのだ。
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by qzr02421 | 2010-12-24 19:54 | 日常

ボケた人の芝居?

人は記憶の連続性で人格を維持している。記憶の連続が途切れることをボケというのだろう。大学教授がボケるという話も聞くので、頭の良さとボケの因果関係があるのだろうか。無作為にボケるのだろうか。瀬戸内寂聴さんはボケたら、ボケた人は分からないのだから、安心してボケればよいと教える。まだらボケが一番怖いともいう。

長生きをしている人間の性というものだろう。80歳を平均寿命のしている時代をむかえているから、ボケは受け入れるしかないのだ。ぽっくり寺もだいぶん前から流行っている。病気になりすぐ死んでしまうと、親族が死を受け入れる暇がないが、一ヶ月ほど看病すれば、看病したという実感がわくのだ。その頃死ねば、親族によい印象を与えて死ぬことが出来るのだ。

しかし、死ぬ時期を選ぶことができない。3年も頑張って闘病生活を続けると、本人も大変だが、親族も大変だろう。人間は生きて、元気なときは花ということだ。その花を花として生きることが難しいことも事実だ。久しぶりに演劇の稽古を見た。『お勝手の姫』といく作品だ。姫という記憶をなくした女性をめぐる話だ。記憶をなくしているのかボケているのかということだろう。

フレンチのレストランで見合いをしようとしている男女と、姫とその夫、夫は姫からすると召使という位置づけだ。レストランの給仕、そして見合いをしようとしてる男の叔母さん、そしてさらに給仕の孫?が登場人物だ。6人が織り成す舞台を途中まで見た。見合いのシーンが面白いう。今回の見合いで結婚しようという女性と、結婚を考えていない男性の会話が楽しい。4月にひまわりホールで上演されるそうだ。楽しみなことだ。
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by qzr02421 | 2010-12-22 19:02 | 劇,映画その他

面白いが展開が無理だ

内田康夫氏の本は面白いし、好きなのだが、話の展開に無理があると思うことがある。どうしてそのような展開になるのか、理解できないことが多い。推理小説の犯人の基本は、犯人は最初から登場していることなのだ。内田氏の犯人は、小説の中ごろから登場することが多いように感じる。あるいは、犯人らしい雰囲気がないのに、小説の最後の突然犯人になるということも多いような気がする。

話が、犯人探しというより、その地域の自然や歴史を紹介するという面も強いようにも感じる。それが内田氏の作品の魅力だろう。内田氏の最近作である『風の中の櫻香』を読み終えた。主人公の櫻子は孤児院から中宮寺に養子としてもらわれていく子どもだ。この櫻子の本当の母親とはだれかが、この小説の筋なのだ。

母の行き方が子の生き方のつながるともいう。母が不幸な人生を歩めば、子も母と同じような不幸な人生を歩む可能性があるという。それを内田氏は、この小説に盛り込んでいるように感じた。祖母、母、そして櫻子と不幸の連鎖があるようだ。その不幸の連鎖を解こうとするのが浅見光彦なのだ。櫻子は、不幸の連鎖から抜け出ることができるような気がした。

主人公の櫻子は最後の方で誘拐されるのだが、その誘拐犯の立ち位置が、いまひとつ理解できなった。なぜ誘拐したのかがよく分からないのだ。犯人の設定に少し無理があるようにも感じた。話が面白いだけに、話の展開が面白いだけに、この犯人の出し方には、すこし残念な思いがした。それでも内田氏の本は読みやすいのはありがたい。読みやすいというは、話のうまく出来ているのか、話が単純ということなのだろうか。まあ、小説は楽しいのが一番ということは間違いのないことなのだ。
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by qzr02421 | 2010-12-21 19:42 |

生野菜は本来毒だ

江戸時代の享保、寛政、天保の三大改革の話は眠たいものだ。カルチャースクールの受講生も、それなりに聞こうとしていただいているが、話が無味乾燥的というか、面白みがないというのか、どうしても眠くなるのだ。高校の授業なら、三大改革の比較をしておしまいというところなのだ。カルチャースクールでは、比較しておしまいというわけにはいかないのだ。

眠気覚ましに、江戸時代はどのような野菜を食べていたのかという話をしたら、妙にその話が盛り上がった。日本由来の野菜というのは、それほど種類があるわけでない。それなりに野菜を食べていたのだろうが、生野菜を食べていたとは考えることができない。新鮮な水がないと生野菜は食べることができないのだ。

野菜を食べようなどというコマーシャルがあるが、生野菜をたくさん食べるようには人間の体は出来ていないのではないのだろうか。草というのは、もともとは人間にとっては毒なのだ。毒を改良して、人間が食べることができるようの改良したのだろう。野菜を食べなくてはという信仰が少しは、希薄になればと思う。

江戸時代の人は、大根は食べただろうが、大根は煮て食べるので、生野菜ではない。漬物を食べることはあるだろうが、これも生野菜ではない。レタスなどはあるわけがない。サツマイモ、かぼちゃなどがあったとしても、生では食べないだろう。ということで、生野菜をたくさん食べるという風習は明治、あるいは戦後のことなのだろう。この野菜の話は三大改革の話より、ずいぶん盛りあったのだ。食べることは人間にとって大切なことだけに、このような話は印象の残るのだろう。
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by qzr02421 | 2010-12-20 20:35 | 歴史