本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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比較することが大切だ

戦国時代はじめまでの日本人?は(日本人という国民意識は明治時代以降だから、日本列島に住んでいる人々くらいのイメージだろうか)世界で最も高度な文明は中国にあると考えていた。ポルトガル人の来航により、中国文化とヨーロッパ文化を知り、中国を相対的に見ることができるようになったのだろう。中国文化が絶対的に有利ではなくなったのだ。それが秀吉の朝鮮出兵を、中国征服というプランを生んだのではないか。

中国文化の偉大性を最初に認識したのが聖徳太子(実在は疑われているが、それらしい人物はいただろう、名前はともかくとして)で、彼の業績は仏教と暦の導入、そして製紙法を導入し、紙の国産化に成功したことだ。紙が大量ではなくても、日本に存在したことは、文化を後世に伝えるために、どれほど貢献したことだろう。その憧れの中国文化以外の文化があるということを知ったのが戦国時代。つまり15世紀以降のことだ

15世紀とは、それまでは独自に発展していたヨーロッパ、イスラム、インドそして中国の文化圏が結びついた時代なのだ。その結んだのが、ポルトガル人、スペイン人そしてオランダ人なのだ。しかし、この時期はアジア優位の時代だ。ヨーロッパが産業革命をむかえるまでは、彼らが売る商品がなかったのだ。彼らはアジアの絹織物、茶、陶磁器を有難くいただいていたのだ。ヨーロッパ人はアジアの魅力的な物資が欲しくて、はるばる危険な海を渡ってきたのだ。

ヨーロッパ人は彼らの祖国にそれらの物資を持っていくだけではなく、アジア地域で中継貿易で利益を得ようとした。彼らは日本に生糸をもたらし、そしてその当時の日本で産出が多くなった銀をもっていったのだ。この貿易をキリスト教の布教が密接に結びついていく。民衆は、権力的な当時の仏教に対してキリスト教に対して、質素なイメージを持ったとも考えられる。それが信者が増加する理由のひとつかもしれない。以上『日本を動かした外国人』(武光誠著、青春新書)を読んで。
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by qzr02421 | 2010-08-31 20:08 |

コーヒーは好きですか?

アラビアに端を発したコーヒーがヨーロッパにひろまっていく。コーヒーの家と称するところで民主的な議論がはじまり、革命を用意するというのだ。最初イスラム社会ではコーヒーは異端視されたようだ。コーランにコーヒーのことが記されていないからだが、それでもオスマン帝国の成立とともに、コーヒーがイスラム社会でも定着していくようだ。コーヒーはイスラム社会では食欲がなくなり痩せる、飲むと興奮にして眠れないということで厳しい修行をつもうとする人々にひろまった。その人々をスーフィーという。

イギリスはコーヒーの家に女性が参加できないため、コーヒーが廃れ、紅茶を飲む習慣を持つ家庭と男性が集うクラブに分裂する。イギリスという国は階級社会が残っている国なので、身分を越えて話をすることができる場所というものが一時出現しても長続きしないのだろう。一方フランスでは女性も参加できるカフェが生まれ、フランス革命となっていく。ジャコバン派などはそのコーヒーの家を情報の拠点としたのだ。近代は情報を手に入れることが先決となるのだ。それでもナポレオンの敗北で紅茶を飲むロシアの影響で、フランスも紅茶を飲むようになる。結局コーヒーを多用するのは、ボストン茶会事件以来のアメリカと、ドイツということだ。臼井隆一郎著『コーヒーが廻り世界史が廻る』のよれば、近代市民社会の成立と発展にはコーヒーが大きく関係したとある。

ヨーロッパ近代に発展に貢献したコーヒーもその産地であるアジア・アフリカにおいてはモノカルチャーを押し付けることとなる。地元の大地主を結託し、原住民を酷使するという体制を形成した。繁栄をする国があればその繁栄を支える惨めな国があるのだ。コーヒー農園を東アフリカで展開しようとしたドイツが黒人に賃金労働を導入しようとして失敗するエピソードがある。賃金労働という概念を理解するためには、それなりの歴史が必要だという解釈だ。

機械の生産を教えることができても、その機械を使う気持ちにさせることは難しいのだ。資本主義とは商品を開発して、それを欲しがるようにする宣伝が必要となるものだ。この本ではそのことを「自動車や飛行機をつくり、その使いかたと土地の人々に教えることができる。しかし自動車のような機械類への愛着というものを人の心のなかにつくりだすことは、そう一気にできるものではない。それは何世紀もかけてはじめて可能のなるのだろう」と記されている。
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by qzr02421 | 2010-08-30 17:51 |

夏も終わりだね

今年はとくに円高なので海外旅行に出かける人が多いらしい。世界のどこに行っても日本人がいるといわれている。先日ユタ州での事故、アルプスでの事故があった。海外での事故は旅行を申し込んだ旅行社がすべて事故の責任を取るわけではないらしい。海外の事故で死亡した場合、旅行社は死亡に対して補償金としては2500万円ほどしか出さないという。
事故の全面的な責任は現地のバス会社などにあるので、その会社の保障を要求することが必要となるのだ。

海外に行くときには、任意の保険に入ることがあるが、その保険によって保障されるのだそうだ。海外旅行で事故に遭遇すると大変な目にあうということだ。『パリからの旅1989~1991』を読んだ。カナリア諸島にテネリフェ島、チェコとハンガリー、シチリア、ポルトガルそして南フランスへの旅行記だ。ホテルと食べ物と祭りの話題が多い本だった。

カナリア諸島はエンリケ航海王子がインドへの道、喜望峰発見をするとき、その出発のきっかけとした島だ。このテネリフェ島に、フランコの記念碑があるとは知らなかった。フランコとはファシズムクーデターをおこした人物だ。フランコがこの島を拠点に挙兵したそうだ。この島の総督だったときに、挙兵し、スペインを支配したのだ。

シチリアはマフィアに島かと思っていた。シチリアではマフィアという言葉を日常生活で使用するのは危険なのだそうだが、ただシラクサでは口にすることができるほど安全な都市らしい。シチリアは文明の交差点といわれ、2500年の間に十回の外国の支配を体験している。紀元前8世紀のフェニキア人とギリシア人の植民、紀元前3世紀のローマの支配、ゲルマン人の侵入、6世紀にはビザンツ帝国の支配、9世紀にはサラセン人の時代、1061年にはノルマン人の支配に、13世以降はドイツ、フランス、スペインそしてオーストリアの影響力があったのだ。

シチリアの史跡は古い順に、ギリシア、フェニキア、ローマ、サラセン、ビザンツ、ノルマン、ルネサンスそしてバロックとその融合体なのだ。文化的には侮れない島ということになる。行く機会があるのだろうか。パリやロンドンやローマなら簡単に行くことができそうなのだが・・・この本はいくことが簡単ではない地域の風土を理解するには適当な本だが、情報が少々古いかもしれないとは思うが、古くない地域なのかもしれないとも思う。
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by qzr02421 | 2010-08-29 19:33 |
高校生は心理学に興味があることが多い。心理テストは大好きだ。心理テストでどの程度人の心が分かるのだろうか。心理学を学ぼうと心理学科に行くと、後悔することもあるようだ。心理学は思ったより地味が学問ということに気がつくようだ。

朝食と学力の関係があるのかないのか調べようとすると、朝食を食べる集団と食べない集団の学力を比較すればよいと思うだろうが、話は簡単ではない。確かに朝食を食べる子どもの方が学力があることが確かめることはできる。学力と朝食を食べることの相関関係があることは分かる。このことから朝食を食べると学力が向上するという結論を出しても良いのだろうか。

学力がある子どもが朝食を食べるという結論はでないのか。あるいは第3の変数は存在しないのか。高所得の家庭はゆとりがあるので必ず朝食をとり、勉強の環境も整っていると仮定すれば、所得が高い家庭の子どもは学力があるという結論も導くことができるのだ。相関関係と因果関係とは違う次元の話なのだが、それを誤解し易いのだろう。相関関係と因果関係が証明できることもあるから話は難しい。

自然体験をすると外交的で知的好奇心のある子に育つという仮説は証明できるという。人間は複雑な存在で研究対象にされただけで行動パターンが変ってしまう可能性もある。相関関係の中で、どれが本当の原因であるか突き止める努力が必要となるのだ。心理学は地味な学問なのだ。

また、記憶力は改善できないことも確実だとされている。いくら努力しても記憶力は良くならないのだ。しかす、記憶方法は改善できるから話は難しくなるのだ。記憶術を使えば長期的な効果はないが、短期的には記憶を長持ちさせることができるのだ。合計時間仮説(何回も覚え直すこと)は正しいと言われている。結局は学力は多くの時間をかけて学習することにより向上するという単純な結果が導かれるだけになるのだ。やはり心理学は地味だということになる。以上『心理学で何が分かるか』(村上宣寛著、ちくま新書)より
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by qzr02421 | 2010-08-28 19:03 |

正常と異常の関係とは

正常と異常とはどのような関係にあるのだろうか。コインの裏と表の関係のようなもので突然正常から異常になるのだろうか。あるいは正常と異常の関係はリトマス試験紙のように曖昧な部分があるのだろうか。『異常とは何か』(小俣和一朗著、講談社現代新書)にはさまざまがパターンが記されている。メビウス型というものも提示されている。正常と異常の関係は一筋縄で理解できるものでないということだ。

異常というのは身体の異常のように臓器などの変調を示す場合は分かりやすが、心というか頭の問題となると難しくなるようだ。古代では多くの病は神罰と考えられ、病になるのも治癒するのも神意とされた。宗教的手段で治癒する病も存在したのだろう。ルルドで病が治癒する話は有名だ。病は気からという言葉あるので、薬を使用しないでも、日にち薬で治る病も存在するのだろう。人間の回復力というもののバカにはできない。私も手術後、回復には食事と運動が欠かせないといわれた。ご飯を食べ、歩くことにより免疫力が高まるそうだ。手術三日目にはトイレまで歩く訓練をした。人間の免疫力を高めるということは大切なことなのだ。

ところで、近代に入り、宗教の後退により自然科学的な疾病観へと変化する。病気は神秘的・魔術的な原因によるのではなく、自然的な原因によるものという疾病観が成立した。内からの免疫力よりも外からのウイルスや菌についての研究が進んでということだ。身体の病気はそれはそれでよかったのだろうが、その疾病観を心の問題にも応用したことが問題をもたらしたのだ。つまり、そんなに簡単に精神的な異常を考えてよいのかという問いを提起するのがこの著書だ。

メランコリー性格というものがあり、病的な几帳面さを持つ性格だ。几帳面はよいことだが、それが病的、異常になるのだ。本人はその問題が理解できない。まじめに、一生懸命仕事に取り組むことが異常になるということだ。人間には多少のゆとりが必要なのだ。この真面目さがうつ病の原因にもなるという。どこまで几帳面で真面目であれば正常なのだろうか。ものには限度があるということなのだろうが、真面目な人間に、「少しは手を抜いたら」とアドヴァイスしても、効果はないだろう。うつ病の薬の開発で、うつ病が増加するという話もあった。薬を売るために病を作るということだ。怖い話だ。
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by qzr02421 | 2010-08-27 19:37 |

誰が政策を決めるのか

『二十世紀世界の誕生』(星雲社刊)を続ける。ソ連という国の政策決定はどのようにおこなわれたのか。特に外交についてだ。この時代の中華民国の場合は、科挙が廃止されたが、この科挙で官僚になるべき人々が、アメリカなどに留学し博士号ととった人々が官僚となった。日本に留学して人々からアメリカに留学した人々に変る中で、中国の外交は変化していくということだった。また、中国の外交方針は主権の確立と不平等条約の解消にあった。

それでは、スターリン時代の外交は、その外交に関係するだろう一部の人たちで決められた。その関係する人が国によってちがうので、メンバーは入れかわることがあったが、その中心はスターリンだった。判断するためには情報が必要だ。その情報を提供するために小委員会があった。政治局はあったが、そこでは重要なことが決定されなかったという。

ソ連は帝国主義諸国に包囲されているという意識があった。まず、防御が必要と身構えることから始まる。ポーランドを恐れ、ナチスドイツを恐れ、日本の軍国主義を恐れたのだ。
ソ連の外交方針は、日本との戦争にならない範囲で中国を支援すること、日本を九カ国条約の中に封じ込めること、日本の侵略には備え小競り合いに対しては断固した措置をとること、日本の進出先をソ連に向かわないように、できれば南方に向くように工作すること四つだった。

外交関係では、第一次大戦の原因ともなったバルカン半島がある。バルカンとはどのような地域か。マイナスイメージでとらえているようだ。文明の象徴としてのヨーロッパに対して、野蛮の地バルカンというとだ。自分の住んでいる地域以東がバルカンという意識となる。東欧という地域にはいるバルカンの複雑な事情がまた、理解できる話だと思う。
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by qzr02421 | 2010-08-26 18:57 |

気分で歴史は動くのか?

『二十世紀世界の誕生』(星雲社刊)を読んだ。二十世紀は第一次世界大戦後のパリ講和会議以降始まる。パリ講和会議は、三大国際会議のひとつだ。三大のあとふたつは、ウエストファリアー会議とウイーン会議だ。そうすると第二次世界大戦後には国際会議はないということだ。第二次世界大戦は米ソの対立という構図の中、冷戦とファシズム糾弾で始まったということか。

パリ講和会議で活躍した政治家として、イギリスのロイド・ジョージとアメリカのウイルソンは、この会議後失脚するというか、求心力を失うのだ。この二人はベルサイユ体制を用意しつつも、その実現には力を発揮することがないとうのだ。ベルサイユ体制以前が旧体制で勢力均衡のビスマルク体制で、戦後は新外交で国際協調・民族自決などと単純に分けることができないという。

古い体制の政治家が、新しい時代の会議の出席し、新しい時代を用意して、歴史から姿を消してくということか。1920年代は1930年代と違うし、1910年代とも違うという。1920年代の特殊性、大量生産、大量消費社会の到来、アメリカの文化が世界を覆う時代の到来だということだ。また、20世紀のアメリカの外交はウイルソン主義だと言えなくもない。

社会の気分ということは重要なことだという。気分で歴史は動くというわけではないだろうが、気分の政治が左右されるということはあるのだろう。特に二十世紀にはいり、大衆の時代になり、大衆の動きが重要となる。大衆の動きが重要であるなら、当然情報が重要となる。情報の時代、情報操作の時代となっているということだ。
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by qzr02421 | 2010-08-25 16:03 |
『戦前の日本を知っていますか?』という本は、戦前の日本をよくまとめてあると思う。戦前といっても、戦後生まれなので、実態はよく分からないのだが、なぜあの無謀な戦争を始めたのかという疑問はある。無責任体制だったためという説もあるようだが、この本を読むと、政治が無責任ではなく、政治に関わる人々が、政治に責任を持とうとして、混乱をもたらしたような気がした。

明治政府は、天皇の下につくられたといいながら、実は薩長の藩閥政府だったのだが、この藩閥政府の方針が、富国、強兵、立憲、議会という四つあった。それぞれ派閥をつくりそれぞれを実現しようとし、結果オーライで、すべて実現したのだ。しかし、実現したのが結果オーライだというところが問題なのだ。

派閥の離合集結で、それぞれの派閥が他の派閥を信じることができないので、権力の分立を企てたようだ。三権分立どころではないような分立状態をつくったように思う。そのため、それぞれの派閥が独裁をすることはなかったが、それぞれが、それぞれの目的のため、責任を持って政治をしようとした、もちろん天皇の名前のもとにだが、それでそれぞれの派閥は責任を持って治世をおこなったと思うが、他の派閥からすれば、その政策は満足のいくものではないのだ。そこで、不満が爆発し、日本は政治の大きな方針を失い、無責任体制に見える状況を作ったというわけだ。このように戦前の政治体制を考えたらどうだろうか。

現在の民主党政権も、何をしようとしているのかがよく分からない。構造改革で上手く行かないのは小泉改革で証明されているように思う。格差が広がったということだ。広がったというより、格差を自覚するようになったということかもしれない。公共投資をするのもいまひとつ上手く行っていない。戦前の政治を批判するのは簡単だけれど、現在の政治もあまり上手く行っていないのだろう。皆が幸せになるということは難しいことなのかもしれない。一部の幸せは簡単なのだろうが・・・
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by qzr02421 | 2010-08-24 16:50 |

自白だけで罪を認定

だいぶ前に書いていた江戸時代の続きだ。江戸時代の犯罪はどのように扱われたのだろうか。これも人権とからめて考えたい。18世紀中頃には賭博も流行し始め、博徒が出現するようだ。松平定信に、賭博がやめられないと相談したら、雷にしておけといわれた、この心は晴れてはならぬということだ。裁判では10両以上の盗みは死罪ということなので、犯人を死においやるのを避けるため、被害届けは9両3分2朱とした例が多かったという。

重刑の建前を維持しながら、実態は刑死者をすくなくしていこうとする動きもでてきたようだ。もっとも主人の金を持ち逃げした場合は死罪のようだ。しかし主人からの願いと金額の賠償で死を免除されることもあったらしい。現代では盗品と知らずに扱った場合は罪にはならないが、この時代は盗品と扱うと押込みの仲間とされて、死罪となることもあったようだ。

この時代は自白だけで罪を認定したため、無実の罪で、厳しい取調べや拷問で刑に落とされたものの多かったようだ。容疑者の人権など、人権などという発想自体ない時代だ。人権思想は1789年のフランス革命以降定着していく。この人権思想が日本にはいってくるまで100年かかるのだ。日本の場合は臣民の権利として与えられるという形で与えられる。

19世紀に入ると災害の時代となる。噴火の恐怖、大地震の頻発、山崩れなどが多発した時代に入る。鎖国といいながら、平戸と通じても貿易があったわけだから、外国で流行した疫病が日本に入っていることもあった。これがコレラだ。日本ではコロリといった。このような時代に日本は開国し、明治時代を迎えるのだ。以上の参考文献は『生きることの近世史』(塚本学、平凡社)だった。
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by qzr02421 | 2010-08-23 20:40 |

あっさり外泊の許可が

手術前には外泊を経験しようということで、主治医に要望したら、あっさり許可が出た。そこで、外泊というものを経験した。病院に帰り?戻り?手術まではとくに検査らしいものはない。心臓の手術のリスクは大きいものではない。それでも死ぬということを考えてしまう。死んでも自分ではそれを実感できないのだ。死は生きている人のためにあるというのは本当だろう。そこで、邪念をすてて、さらに本を読むことに専念しよう。

そこで、井上ひさしの『一週間』を読んだ。最近話題になっている本だ。関東軍が第二次世界大戦終了後シベリアに抑留されたが、結構シベリアの過酷な状況で悲惨な目にあったようだ。ソ連軍による強制労働で、つらい仕事をさせられたのだ。ソ連は第二次世界大戦終了後の後始末、廃墟の片付け、道に整備などに捕虜を使ったのだ。第二次世界大戦で多くにソ連の若者が死んだので、労働力がなかったからだそうだ。

ソ連の共産主義は、労働を強制収容所に入れた人々にさせるには、ソ連建国以来の国是らしい。ソ連の人々も、何らかの罪で強制収容所に送られると、労働させられたのだ。この労働は無償というところがミソなのだ。日本軍の場合は関東軍の上層部が、日本に兵士が帰国すると、混乱するので、ソ連と結託して、帰国させずに労働させたという話もある。

戦時戦争法で、捕虜は虐待してはいけないとある。また、通信の、つまり日本との通信は保障しなくてはならないのだ。ドイツ軍は将校の抗議で通信を実現したそうだ。これに対して日本に将校は、下級兵士の食料を奪ったり、不平をいう兵士をリンチにしたそうだ。収容所には日本の軍隊の構成がそのまま残ったため、そのような現実になったのだ。通信についても、日本人将校はソ連に要求もしなかったという。

日本の軍隊は、上層部が甘い汁を吸って、下級兵士を人間として扱うことはなかったということだ。このような現実は現代にもあてはまるような気がする。国民がといいながら、この国民というのは、上層に属する国民のことのような気がする。自己責任ということばを聞くと、そう思えてならない。みんなの党のみんなというのは上層国民のことに思えてならない。違っているとよいのだけれど・・・
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by qzr02421 | 2010-08-22 15:27 |