本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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因果はめぐる

小さな劇団が演じる劇も風情があるが、商業劇団も劇もそれなりに迫力がある。同じ台本でもお金のかけ方、演じる人のキャラ、演出家のちがいなどで変化するのだ。その劇がよくて、どの劇が悪いという問題ではない。その劇をどれだけ、愛し、演じようとするかという盛り上がり、テンション、パッションなどが重要だろうと思う。有名な、あるいはひいきの俳優がでていなくても、楽しめる劇があるものだ。

歌舞伎も、固いと思われるが、猿之助のつくった歌舞伎はそれなりのダイナミックな印象を持つことができる。名古屋の中日劇場で「四谷怪談忠臣蔵」を上演している。27日までだった。鶴屋南北の東海道四谷怪談は仮名手本忠臣蔵の外伝という構想で書かれたのだ。その二つの話をくっつけたのが猿之助だ。今回は市川右近が五役を演じきる。

いくら新しい歌舞伎といっても、やはり歌舞伎だ。形がある。形を重視しながら、新しいダイナミックなものを取り入れたのが猿之助のすごいところだ。忠臣蔵を室町時代という時代を利用して描いたのは、原作のままだ。高師直に新田義貞が乗り移り、話が展開していく。松の廊下の場面つまり船侍のシーン、大星由良之助の城明け渡し、第一幕最後は両国橋でも花火。実にお金がかかっていることが分かる劇だ。

「頭痛肩こり樋口一葉」と同じでこの劇も、因果はめぐるということが題材のようだ。親の因果が子に・・・という世界だ。復讐を誓った霊が生きている人にのりうつるというのも面白い描き方だろう。のりうつりを正しいとしたら、歴史はすべて、怨霊史観で説明ができてしまう。それでは伊沢元彦史観になってしまう。その史観もそれなりに、面白いが、それを脱却して、理論を展開することが大切だと思っているのだ。この劇は見ている人に対してのサービスを感じるのだ。宙吊り、大水、早変わりなど猿之助ワールドが堪能できる。
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by qzr02421 | 2010-06-30 16:37 | 劇,映画その他

世間体を気にする生き方

井上ひさしがなくなった。その追悼公演というわけではないようだが、愛知県芸術劇場小ホールで「頭痛肩こり樋口一葉」を見た。劇団紙ふうせんの第12回公演だった。夏子つまり一葉は「世間とは因縁の糸でできた大きな網。そんな世間に大人しくおさまってやるものか」というつもりで生きたということらしい。夏子が小説家になり、本が売れて、早世するまでの何年かをえがいた劇だ。

花蛍という幽霊と夏子の関係で話がすすんでいく。夏子が死にたいという気持ちを抱いたため花蛍という幽霊を見ることができたのだ。花蛍は何か、世間に対して恨みがあるのだが、その恨みが何か覚えていないというのだ。その恨みを探りながら、劇は進行する。また、樋口家の貧困も描かれる。明治の初めの様子もよく分かる。

女性の生き方も問題になる。世間体を気にする生き方を強いられる女性像、その女性像を崩そうとする人、その女性像を守ろうとする人などの会話が楽しい。世間様に陰口を叩かれないように行きなさいという夏子の母は、当時も現在も母親の一般的な姿だろう。その常識の反発するのが子どもというのもよくある話だ。

夏子の妹の邦子が元気がよく、現実をそのまま受け入れて生きようとする姿勢に好感がもてる。夏子のように悩むのもよいが、現実をそのまま受け入れる生き方もありだろう。行き方の好みの問題だと思う。どっちがよいか悪いかという問題ではない。登場人物が女性6人という芝居だ。男は出てこない。女性の生き方の話には違いがない。その生きたかと考える一つの灯火ともいれる作品だと思う。どのような生き方をしていも、人生にはちがいがないのだし、その人生は一回きりしかないことも事実だ。自分で納得ができれば、それでよいのだろうと思う。あるいは納得するしかないということかもしれない。
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by qzr02421 | 2010-06-29 20:27 | 劇,映画その他

江戸無血開城の立役者

勝海舟と名古屋との関連があるとは知らなかった。海舟の次女の子孫が海舟の資料を名古屋の博物館に寄贈したのだ。寄贈したのは昭和54年だから、30年ほど前のことだ。海舟は坂本龍馬に世界を見る目を与えた人ということになっている。海舟の『氷川清話』には、幕末のことが、海舟の体験をもとに記されている。覚えまちがいや、記憶の改変が考えられる。どこまで信用してよいのか分からない本だ。

もちろん当時のことが分かる一級史料であることは間違いないが、記憶の変化があるのも間違いはない。その海舟の史料が、名古屋市博物館の常設展示のフロアーで特別展示されている。海舟というのは絵や書を書くときの号で、佐久間象山が書いた額の中の号からつけたということらしい。案外いい加減につけた号が後世には有名になっているということだ。

海舟といえば、日本海軍の海の親でもあり、江戸無血開城の立役者でもある。咸臨丸でアメリカにわたってもいる。19世紀中頃、世界を見た人物の一人だ。世界を見る人は、現代では多くいるが、世界の現実を、日本の将来をどうするかという問題意識で見てはいないだろう。日本の将来をどうするかを考える立場にないからだが、海舟は、日本の未来を背負ったのだろう。

東京遷都も海舟の考えで決まったということが記されている。東京に遷都した理由はよく変っていない。大阪や京都を首都にするという考えもあったが、なんとなく東京、つまり江戸が首都になったのだ。この発案者が海舟ということだ。このことも『氷川清話』に、大久保利通とのやり取りが記されているらしい。江戸150万人の人を救うために提案したというのだ。藩がなくなれが、どこの都市でも同じように生活できなくなる人がいるだろうに、江戸だけ特別というのが海舟の考えだったようだ。あまり史料は多くないが、それなりに楽しめる展示だった。
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by qzr02421 | 2010-06-28 21:16 | 劇,映画その他

人間の空洞化

名古屋市博物館でポンペイ展が開催された。博物館の法則で早く行ったほうが混雑していないということで開会2日目にいった。年配の夫婦が目立つくらいで、混みあってはいなかった。ポンペイはベスヴィオ火山の噴火で、火山灰によって覆われ、ローマ帝国の都市がそのままの形で保存されたものだ。何回も日本では展示されている。感動的なのは火山灰の中で死んで、そこが腐敗によって空洞になった、人間の空洞化という現象だ。

最初発掘したときには、空洞なので気がつかなかったのだろうが、やがてそれが人間の形をした空洞ということが分かる。そこの石膏を流せば、まさに、断末魔の人間が出現する。今回はその展示は一つだけだった。たくさんあっても・・・という感じはするが、人間の空洞というのは、何か、ミステリアスだ。今から2000年前で時が止まった都市という位置づけだ。

2000年前の古代ローマ帝国の繁栄した都市生活を再現してある。ローマ帝国の一部の富裕層は、実に豊な生活をしていたことが分かる。富は極端に偏ると、素晴らしい文明を作るということが分かる。一方では展示はないし、記録にも残らない貧しい農民の生活というものがあるのだ。見るときには、このポンペイ文化は、私たちとは関係のない、私たちのような階級の文化は残らない。現在でいえば鳩山御殿が、展示されているようなものだということを考えながら見ることが大切だろう。

それにしても、当時の生活状況、文化はよくわかる。ローマ人はお風呂を好んだというが、高温に管理された風呂の再現は、現在と同じようで、素晴らしいものだった。また、庭園に置かれたモニュメント、屋内の絵など、何回も見ていのに、あちらこちらで展覧会を開催しているから、見ると結構感動するのはどうしてだろう。8月29日まで開催している。
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by qzr02421 | 2010-06-27 18:15 | 劇,映画その他

安心が危険をもたらす

パソコンを使っているだけなら、コンピューターウイルスというものが怖くないと思っていた。ネットと関係あるのがウイルスだという認識だった。ネットとつながっていなくて、記憶媒体で感染するということは分かっていたが、記憶媒体は誰でも使用するものだ。ということは、ネットと関係なく、ウイルスに感染する可能性があるということでもある。ネットにつないであるパソコンはウイルスソフトが入っているが、ネットにつないでないパソコンにはウイルスソフトが入っていなことが多い。案外、ネットにつないでいないパソコンがウイルスの温床のなっているのかもしれない。

安心が危険をもたらすということだ。ネットのニュースで人間がコンピューターウイルスの感染する可能性があるというものがあった。まさか、人間はコンピューターではないのだ。風邪などのウイルスに感染することはあっても、パソコン関係のウイルスに感染するということはありえないと思った。ただし、最近は人間の周りの商品には、ほとんどICが使用されている。そのようなICがウイルスの感染することがあれば大変なことになることは間違いない。

炊飯器、冷蔵庫、もちろん自動車、ケイタイなど人間の周りにある機械にはICが組み込まれている。これらが異常な動きをしたら大変なことになることはいうまでもないのだ。ところで、このニュースは、人間の身体の中に埋め込まれたICチップがコンピューターウイルスの感染したということを想定して、実験したということだった。

身体に異常を感じたという。異常を感じるだけなら、それはそれで済みという感じだが、おそらくそれで済みにはならないだろう。身体に埋め込まれたチップはさまざまなところに利用されるのだ。扉を開けるということがチップに組み込まれたとして、ウイルスの影響で扉が閉まるというように作動したら、扉に挟まれ命に関わる可能性もあるのだ。身の回りにICが多いだけに、気味が悪いニュースであった。
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by qzr02421 | 2010-06-26 14:29 | 日常
回転寿司がなぜ流行るのかということは、さまざまなメニューを用意しなくてはいけないファミレスに比べて、回転寿司は寿司、当たり前だが、その鮮魚というものに特化している点が有利なのだ。一括仕入れで原価を安くするということができるのだ。しかもかっぱ寿司などは、すべての皿が100円なのだ。100円なら、お徳という消費者の感情をよく理解していると思う。かっぱ寿司は近所にあるが、スシローはない。尾頭橋(金山、名古屋)のあるらしいが、聞いたところによると閉店したらしい。業界の競争が厳しいのか、尾頭橋という立地がわるいのだろうか。

ところで、安くて美味しかったという感情を持たせることが重要な鍵となるのだろう。日本人は「お得」という言葉に弱いのだろう。テレビの保険のコマーシャルで「私はお徳という言葉に弱いのよね」というものがあったと思う。安くておいしいというお得感が回転寿司の命だと思う。原価率を上げて、ネタの新鮮さと美味しさを追求している、回転寿司を見習うべきときなのだろう。

さらに、今の商売で大切なことは遊びだろう。差別化の一つに遊びというものがある。回転寿司の場合はタッチパネルで新鮮な、暖かいものは暖かく注文することができるというのもよい。また新幹線のような列車に乗って寿司が来るのもよい。女性と子どもをターゲットにする商売は繁盛するにちがいないのだ。かつてのデパートも婦人服と子ども関連商品だっただろう。

人件費が安いという点も回転寿司の利点だろう。客を席に誘導すれば、あとは客が、寿司を注文するし、回転してくる寿司をとるのだ。機械化で寿司を握る職人は素人でよく、ここでも人件費が安くすむ。修行をつんだ寿司職人などと回転寿司では無用の長物となったのだ。ただし、繁盛のわりには利益も株価もけっして高くはないことが問題だろう。マグロなどが獲ることができなくなると、寿司業界も大変なことになるだろう。
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by qzr02421 | 2010-06-25 08:25 | 日常
菅首相が消費税について言及したら、支持率が下がったということだ。国の借金が多いので増税という現実が理解することができても、税金が上がるのが嫌だと思うのは人情というものだろう。国民主権だから、税金を払うのが当然という理屈も分かるが、コンクリートに使って、借金になったのではないかとも思ったりする

参議院選挙用のマニュフェストを経団連などが評価しているようだ。立場によって評価基準は違うのだから、経済界の評価など、一般庶民とどれだけ関係があるのかと思う。最近のマスコミは、誰の立場でモノを言っているのか不明な点が多い。国民が怒ってますという、国民とは誰のことなのか、このあたりがマスコミ不信の一つに理由なのだ。マスコミが正義を振りかざす時は、眉唾にしないといけないのだ。

今、不況の真っ最中で、消費税増税を言う神経が分からない。不況の中で、一番被害を受けているのが外食産業ということが。しかし、外食産業の中で元気のよいのが回転寿司ということだ。回転寿司の原価は高いので、食べて得をするそうだ。元来日本人は寿司がすきなのだから、寿司屋が繁盛するのは当たり前のようだが、時価などという威張った寿司屋とはちがい、値段が分かるのが回転寿司の良さだと思う。

小売り・サービス29業界を対象にした「顧客満足度ランキング」で、回転寿司は上位になった。3位がスシローで13位がくら寿司で20位がかっぱ寿司だったのだ。カッパが20位というのはそれなりのことかという感じはする。繁盛する理由はネタの良さだと思う。以前のかっぱ寿司のイメージはあまりよくなかった、今はなかなかという感じはする。原価率は普通の飲食店とくにファミレスの場合は30%程度らしいが、スシローの原価率は51~52%、くら寿司も50%近い。かっぱ寿司は40%弱。つまり寿司のネタにお金をかけているのということが繁盛に理由のようだ。
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by qzr02421 | 2010-06-24 16:37 | 日常
蝿取り紙などというものを最近は見かけない。蚊取り線香は使用している。ベープマットは使っていない。蚊は見るが蝿を見かけることがない。雀が最近少なくなったという話もある。カラスは多いようだ。生態系が変化しているのだろうか。話は蝿取り紙だ。飛んでいる蝿が垂れ下がっている紙、その紙に粘着性のシールのようなモノが貼ってあるものだ。ハエが多ければ結構取れるのだ。人間の頭につくと取れないので困る代物だ。

「蝿取り紙、山田家の五人兄弟」という劇を見た。もうやっていないし、再演の予定もないだろう。話は、五人兄弟とその母との話だ。なぜ蝿取り紙と関係があるのか謎の劇だ。劇の最後の方で、蝿取り紙にまつわるエピソードが登場する。妹が兄の頭に蝿取り紙を着けたら、兄がその仕返しに妹たち(3人の妹全員に)蝿取り紙を着けるのだ。それを見ていた弟がうらやましなり?自分で自分の頭に蝿取り紙を着けるという話だ。それが何なんだという感じだ。

妻が言うには、兄弟姉妹がそれだけ仲はよく、くっついていたいということじゃないのと言ったが、それが正しいかどうかは分からない。ところでこの五人の兄弟だが、兄は父親と仲が悪く、結局長男でありながら養子にいき、女性3人は、姉が教師で、結婚もせずに母と同居、次女は仕事が忙しく、同棲している男性と結婚に踏みきれないでいる。三女は不倫相手と結婚している。末っ子は演劇をしていて、バイトで生活している。それなりに一生懸命生きているのだろうが、母親にしてみれば心配の種が5つあるということだ。

その母親と父親がハワイへ旅行に行くのだが、ハワイで母親が盲腸になり、手術を受け、全身麻酔のため、意識がなかなか戻らない、その意識が、5人の子供が心配で、日本に毎度って来るのだ。つまり幽霊?まだ死んでいないので幽霊ではないが、幽体離脱か?そのようなことは信じられないが、ようするに母親の実態(お茶をちゃんと飲み、トランプなどをするので肉体はあるようだ)が日本にあらわれて、劇は進行する。兄弟はその母親を安心させ、意識をハワイにもどそうと努力するのが劇の中味だ。ありえない話だが、良い話だった。
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by qzr02421 | 2010-06-23 11:35 | 劇,映画その他
父の日とは母の日がある。結婚して、子どもが生まれれば、その日があるのは当然だろう。その日があって、祝ってもらえるのはうれしいことだ。子どもが欲しくて、それなりの努力をしたのだ。子どもが生んでくれといったわけでもない。生まれた子どもは、子ども自身の人生がある。生きているということの不思議のひとつだろう。生命というのは不思議なことた。

我が家にも、子どもが二人いる。男と女だ。その年の差は6歳ほどある。二人の仲が良いのか悪いのかは知らない。私自身は一人っ子なので、兄弟の感情はよく分からない。妻は三人兄弟だが、兄弟をどのように思っているのかはよく分からない。肉親なのだから、それなりの思いはあるのだろう。

父の日ということで長女からはお酒を頂いた。酒を飲みすぎてはいけないという長女が酒をくれるのは、よくは分からないが、自分の身体と相談して、飲むようにということだろう。長男はネクタイをくれた、早速あした、していくことにしよう。ところで、子ども言っても、二人とも成人している。大人だ。大人としての対応がいるだろう。それでも、父の日ということで祝ってもらえるのは嬉しいものだ。

親としては、子どもの自立が夢なのだ。いつまでも同居というのはいただけない。同居していること事態は、それなりに嬉しいし、双方とも楽だろうが、それでも、自立することは親子とも必要なことだ。支えあうということよりも、お互いが、独立した個人としてつきあうことが、一番大切なことだと思う。頼る人間関係は疲れるものだ。お互いが頼らない人間関係を築くことが一番求められていることだと思う。
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by qzr02421 | 2010-06-22 16:44 | 日常
バンパイアというのは吸血鬼のことだ。バンパイアの元祖はドラキュラ伯爵だ。このドラキュラ伯爵の妻はガラシャというのだそうだ。このガラシャはキリスト教の神に誓って、夫であるドラキュラを捨てたらしい。このへんの話はよくは分からないが、細川ガラシャというのはドラキュラに影響力があるという設定をしたいのだろう。「愛、時を越えて」という劇の話だ。大阪で上演され、名古屋の御園座でも上演されるようだ。

ドラキュラは石田三成に接近する。血の臭いがするところにドラキュラありということだ。関ヶ原の戦いで死んだ人から血でも吸いたいというのがドラキュラの望みなのだろうか。たんたんと劇は進行していく。ドラキュラは徳川家康の前にもあらわれる。家康を亡き者としようともする。ここでドラキュラが家康を殺すと歴史が変わってしまう。ドラキュラが日本の出現したけれども、歴史は変わらないという原則は崩せないだろう。

結局は、細川ガラシャの愛で、ドラキュラはその存在を消して、歴史は石田三成の敗北ということでこの劇は終わる。ドラキュラ・出雲阿国役に紫吹淳、細川ガラシャには香寿たつき徳川家康には長門裕之が出演する。長門浩之は立つのも大変そうだった。そうとう年をとったのか、昨日の見すぎたのか、演技にはキレを感じることが出来なかった。それでも豪華な顔ぶれではある。

若いのか年をとっているのか不明な人々がたくさん登場する。それも愛敬だろうか。光っているのは宝塚の元男優さんのみという感じではあった。年配の人が多い劇だった。安心してみることができるのが一番ということの劇だろう。時間通り始まり、時間通り終るという規則正しい劇というのは定番だろうが、それは腐敗の始まりのような気がする。昨日観た「裏切りの街」のような緊張感を感じない劇というのが大衆劇なのだろう。
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by qzr02421 | 2010-06-21 20:36 | 劇,映画その他