本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー

<   2010年 05月 ( 28 )   > この月の画像一覧

除草後の草のにおい

夜、高速を利用して長野に行った。伊那インター直前、前のトラックが妙な動きをした。蛇行したのだ。何かを避けようということのようだった。すると、そのトラックの後ろからタイヤの破片が飛んできた。このトラックのタイヤが破損したのかと思ったが、どうやらちがうようだった。

そのトラックが視界からいなくなったら、そこにはパンクをした別のトラックが止まっていた。止まっているのはよいのだが、目の前、そのトラックのタイヤが横たわっていた。目の前に突然タイヤが!ぶつかりそうになった。夜中の高速道路はトラックが多く、危険が一杯ということだ。

一夜明けると、伊那では好例の草刈だ。一雨ごとに草が伸びている。年によって生える雑草の種類が違うのが不思議だ、自然は偉大だということがわかる。雑草も命があるのに、嫌われて、切られてしまうのも気の毒のような気もする。今年は雑草対策でシートを一部敷いてあるので、除草の区域は若干少ない。除草剤はやめているので、雑草対策シートが有効だ。

それでも二時間以上かかって、除草終了、除草後の草のにおいが、なんともいえない、匂いか臭いかどっちともいえないが、草が死んでしまったんだよというメッセージをおくっているようなにおいだ。草の冥福を祈るような気持ちで、いつもこのにおい感じている。草を刈ったあとのにおい、あなたはどのように思いますか。独特な感じを持ちませんか。

冥福を祈るため、除草のあとは回転寿司に行くことにしている。外食産業の中でも回転寿司は結構繁盛しているようだ。寿司に特化していることがよいのだろう。ハンバーグ、サラダ、焼肉などなど多種なメニューを用意しなくてもよいのも、流行る理由だろう。今回は回転寿司ではなく、スーパーで寿司を買って、草の冥福を祈ったのだ。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-31 14:33 | 日常
木造校舎、汲み取り、木造モルタルなど今がないものだ。人は滅亡するまでモノをつくり続ける存在だろう。江戸時代が終わり、武士というものがいなくなった。武士は消費者だ。武士は働かない。戦争があったときに戦う戦士なのだ。武士がいなくなるということは消費者がいなくなるということだ。武士が生産者になっても、買う人がいないのが明治初期の状況だったのだろう。農村は当然自給自足か、商品作物を作り都市の送っていたのだ。新しい消費者を作ることが明治政府の政策のひとつとなったのだ。

この世はダメとムダでできている。ムダをなくす、つまり武士をなくすと、社会が混乱する。全部ムダをなくすと世の中面白くないし、きっと生きていても面白くないのだろう。どんなものにも裏と表がある。芸者にも平の座敷(着飾って給仕をするだけ)と裏の座敷があった、裏の座敷は四畳半だった。永井荷風に「四畳半襖の下張り」という作品がある。平の座敷だけではダイヤモンドは買えないのだそうだ。

大正デモクラシーは大正になった突然出てきたわけではない。当然それを準備したのは明治時代の中頃にちがいない。明治中期から民主主義的な風潮があり、それが大正時代に花開き、昭和になるとしぼんでいくということだ。これを「明治なのに大正デモクラシー」というのだ。

世の中は意地と張り、義理と人情の世界だった。それは銀行でも企業でも同じだ。嘘でかためたのが世の中なのだ。嘘で固めた世界だから、清く美しく正しい世界だというのだ。正しい社会だったら、正しい社会ですなどという発想は浮ばない。新聞は公務員の収賄を非難するけれど、私たちもその世界に入れが同じことをする可能性はある。新聞はそれをあばいて正義を主張する。読者を正義感を感じさせれば、新聞が売れるというシステムだ。これを迎合とよぶのだそうだ。以上さらに山本夏彦著『百年分を一時間で』を読みながら雑感を。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-30 19:45 |
人と金が集まると必ず利権が生じ、腐敗するというのが天下の法則だ。自分の実力が分かっていれば、失敗すると予想できることはしない。失敗するのは、自分の実力と、放蕩に自分が何を志しているか分からないかだというのも天下の法則だ。一流会社はみんな「つて」(コネともいう)を頼ってあらゆるところから入れてくれといってくるものだ。縁故採用ということだ。人脈を頼り世間に入っていくのだ、これも天下の法則だ。天下の法則というのは嫌なものだ。

金利生活者という存在がかつてあった。今でもあるかもしれないが、今が金利が低すぎる。明治末から大正にかけて2万円あれば、老夫婦ならその利息で最低生活ができたそうだ。10万円あったら結構な生活ができただろう。そういう人たちがいたのが大正時代なのだ。その多くは都市生活者で、農村は貧しかったようだ。江戸時代から明治時代になっても農村は江戸時代のままの生活をしていたのだろう。都市にしか文明がないという天下の法則なのだ。

金利生活者というのはとくに贅沢な生活をしたわけではない、利息で生活しているということと働いてないということに過ぎないのだ。働かないで生活していた人が大正時代にはいたということがポイントだろ。そういう生活をしていても50歳くらいで死んだから、そのような生活もできたのだろう。80歳までは続かないのだ。長生きも良い点と悪い点があったのだ。

ベンチャービジネスというとこれも最近のことのように感じるが、明治初年から中期前と関東大震災後と第二次世界大戦後とバブル後の4回最近では存在する。ソニーもホンダもベンチャーだったが、現在に生き残っているということだ。講談社や主婦の友もベンチャーだったのだ。以上また、山本夏彦著『百年分を一時間で』を読みながら雑感を。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-26 17:00 |

童謡は大人の為のもの

流行歌というと最近のものという感じがするが、実は古代から存在するのだ。万葉集も流行歌ということができる。古今集の序には「花になく鶯、水にすむかわずの声、生きとし生けるもの、いずれか歌をよまざりける」とある。室町時代の小唄集「閑吟集」には「人買舟は沖を漕ぐ、とても売らるる身じゃほどに、ゆるりと漕げや船頭どの・・・」というものもある。昭和初期の東北の女性が売られたという話があるが、室町時代とおなじことが昭和にもあったのだ。安寿と厨子王の世界でもある。

明治時代にはキリスト教が正々堂々は入ってきた。その中で教養としてのキリスト教というものが存在した。奈良時代に仏教が流入したことと同じ現象だ。文化と宗教は同時の入ってくるということだ。その中で明治時代は賛美歌が西洋音楽の普及に役立ったようだ。明治時代にはいたるところに教会があったという。明治中頃になると日本人が音楽学校を出て、西洋式の曲を作り始める。その最初の人が滝廉太郎だろう。

明治時代の童謡は子どものための作ったのではないそうだ。だから難しい言葉が入っているのだという。それが大正時代になって童話童謡運動がおこり、子どもに分かる言葉で、芸術的な童話が作られるようになるそうだ。それが鈴木三重吉だ。童謡は北原白秋、西条八十だ。「からたちの花がさいたよ」、「待ちぼうけ」、「ペチカ」が有名だ。

昭和初期に流行歌が多く作られたが、詩人などが詩を書き、その詩に感動した作曲家が曲をつけるのが一般的だった。土井晩翠は「荒城の月」を書き、その歌に感動した滝廉太郎が曲をつけたのだ。先に詩があり曲が続くというのが本来の形だったのだ。以上山本夏彦著『百年分を一時間で』を読みながら雑感を。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-25 21:15 |

自分探しはやめよう

最近さらにうつ病が増えているそうだ。自分探しという現象もうつ病を増加させている原因のような気がする。今ある自分が、本当の自分であるという自覚から出発しないと、いつまでも本当の自分がどこかにあるとさまようことになる。今の自分は本当の自分でないという思いは、現実からの逃避にちがいない。

現実を生きることは、つらいこともあるだろう、しかし楽しいこともあるはずだ。つらいこと楽しいことを含めて生きているということだ。死ねば、苦しいこともなくなるだろうが、楽しいこともなくなってしまうのだ。ところでうつ病とうつ状態とはちがうそうだ。苦しくて、眠れないことなど生きていればよくあることだ。

この現実がなんともならないと苦しむことが生きているということだと思う。ちょっと苦しいとうつ病ではと思い出し始めたら、世の中うつ病だらけになってします。精神科医は本当のうつ病の人は存在するが、うつ状態の人も存在する。話を聞いてもらえれば、とりあえずスッキリする人はうつ状態だそうだ。そのような人が薬はいらないようだ。

ただし話を医者が親身に聞くためには、ひとり一時間は必要となるので、ひとりの患者に一時間かけることができないという現実がある。そこで医者は、えいや~と薬を出して、一件落着となるのが一般的だ。医者の腕は、本当の苦しんでいる、うつ病の患者を見つけ出すことだそうだ。うつ病とうつ状態のちがいをよく理解することが第一歩ということだ。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-24 20:07 | 日常

ブランディングとは?

宮崎県の口蹄疫について、種牛の問題が浮上した。宮崎県の種牛が日本中の種牛などということは知らなかった。いままでずいぶん儲けたことことだろう。ブランド牛など縁がないが、関係者には大変な問題なのだろう。最近はデフレということで、モノが売れないのだ。売るためには差別化が必要となる。ほかとは違うよということをアピールすることが必要となるのだ。

その差別化のひとつとしてブランディングがある。ブランドを日本中が認めてくれると、そのブランドを買った人が、このブランドはよいと宣伝してくれるのだ。コマーシャルより効果的だ。肉の美味さなど、ある程度以上は分からないものだと思う。美味いという思い込みがあれば、美味しく感じられるもののだ。

テレビの旅番組などは、夕食にステーキやすき焼きなどがでると、たいてい口の中かでとろける様だなどというコメントだ。ようするに脂身が多ければ口の中でとろける感じがするだろうから、カロリーが高いだけの肉ということだ。ちょっと、食べることができなので僻みが入っているが・・・

今回のこの宮崎の肉の問題は、高価な肉だけの話なら、ここまでなのだが、最近はどこまで話が広がるか分からないご時世だ。安い肉に飛び火しなければよい。また、このさいオージービーフなどというものに脚光がということもある。オーストラリアは、いまこそ、オージービーフの最高級の肉を売り出すときだと思う。高い肉など食べないので、大変な問題などと言っていると、しっぺ返しがくるかもしれない、気をつけなくては!
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-23 10:43 | 日常

子どもには過去がない!

『いまこの国で大人になるということ』(紀伊国屋書店)の中で歴史家の佐藤健二は「ひとが大人になるということは歴史にであうことであり、そして歴史に出会うことは社会を見出すことでもある」と書いている。歴史に出会うことことは、過去の事績に詳しくなることではなく、自分たちが生きているこの世界の変容に気づくことだという。

決して変わらないと思っていたことが、実は変化するということに気がつくということでもある。また、歴史に出会うということは、過去の驚くことで、驚く経験それ自体が、ひとつの発見を含んでいる。過去の驚くことができるのは、記録し解読する動物としての人間の特権で、一人一人の記憶の限界をこえ、文字のない地質年代まで遡りうるのだという。過去について驚くというのは、歴史とであることにより、何らかの発見があるということで、その発見によって、人生が変わっていくということだと思った。

子どもには過去がない。過去とはひとつに区切りを知ることが必要となる。終わりの感覚で仕切られた時間の体験が過去ということだ。過去がどうでもよい、これからが大切だという言い方があるが、過去あっての未来なのだという。過去の未来のその接点が現代なのだろう。過去は事実として存在していても、歴史は事実として存在してはない。現在に生きている私たちが、過去に意味づけしないと、歴史は正体を現すことないのだ。

歴史は変えることができるのか。歴史は客観的な事実の知識ではないのだ。人間の想像力が作り上げた認識としての事実、過去に関する物語なのだから、過去を帰ることが出来ないが、歴史が変えることができるのだ。過去に関する歴史の正解はひとつではないのだ。いろいろな見方ができるのだ。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-22 12:09 |
東大の教授の玄田有史は、社会は即戦力など求めていない、大学で学んだことなどで会社を生き抜くことはできない、入社してから鍛え直すのだ。それより壁にぶつかったら、その壁の前でウロウロしている人材を、そしてウロウロしていると、化けるつまり素晴らしい能力を発揮するかもしれない人材を求めているのだと言っている。

壁の前でウロウロしていれば、壁の穴を発見したり、壁が壊れたりるとうのだ。ともかく壁の前にウロウロしていないと、そのような吉報にであうことがないということのようだ。悩むことの重要性も言っている。悩んで悩んで悩みぬいて出して結論なら、例え失敗しても納得できるというのだ。今のうちに十分悩むことをすすめている。

この玄田氏の意見に対して小谷野敦は、玄田氏がそのようなことを言えるのは東大で教えているからだといっている。壁にぶつかってウロウロしていて、解決策を考えることができる能力を全ての人が持っているわけではないということだろうか。努力すれば成功するという話は素晴らしいが、貧農から努力して出世する人が少ないから美談になるというのだ。つまり壁に行き着かない人もたくさんいるということで、壁までたどり着くことも才能のひとつだと言いたいのだろうか。

日本には中流幻想があるが、努力すれば日本人全員が中流になれるわけがないとも書いている。大学進学率が50%というが、それでも50%の人は大学にいくことなく、働くのだ。最近ワーキングプアという言葉があるが、それは大学に行った50%でさえ、年収が200万円以下になる状態ということだろう。大学に行かなかった、行けなかった50%の人も年収は200万以下の人も多いのではないのか。

この話は『いまこの国で大人になるということ』(紀伊国屋書店)の中に収められている。この中で斉藤環が子どもが大人になるのをためらっているということガンダムとエバンゲリオンを解釈して説明している。斎藤氏は言葉を得ることが大人になるということで、思春期の万能感が言語を獲得することにより、自由が手に入るというようなこと書いている。15人の人たちが書いているが、なかなか面白い本だった。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-21 14:55 |

男女の中を利用

加藤周一幽霊と語ると交互に上演されているのが「密約」だ。この映画は幽霊とはちがい、裁判シーンが中心だが、この事件に興味がある人には面白い映画だった。眠くはならない。高校の現代社会や政治経済の資料集の掲載されている事件が「密約」だ。沖縄返還に関わって、基地に土地を収用された地主の財産保障を、アメリカがすべきだったのだが、オキナワ返還を最優先した政府は、その財産保証を日本が肩代わりするという密約を結んだことを、暴露した西山記者とその情報を流した外務省を事務官の裁判のことだ。

この事件は男女の中を利用してという下半身ということを全面に出した事件となり、密約の問題は大きくとりあげなかった。国民の知る権利を争った事件なのだ。外務省は外交は相手があるので、全ての交渉をオープンにすることはできないと主張したのだ。しかし、国民主権ということなら、明らかにできない交渉はするべきではないはずだ。国民全てが知っていることを前提に外交交渉をするという姿勢が重要だと思う。

映画はこの密約を知った西山記者とその密約をその記者にコピーとして渡した事務官の裁判をえがいたものだ。この事務官という存在がポイントなのだろう。男女の仲になって情報を流したことに対する、正義感がこの女性にはないのだ。この密約は日本の国益にはならないから、暴露したという姿勢がなければ、情報漏洩の正当性はないのだ。この女性には情報漏洩の覚悟がないようだ。この女性は結局、情報漏洩が怖くなり、権力の側につき、西山記者を陥れたとしか、思えない映画だった。この女性は結局、国家の言いなりのなり、自分の身の保身をはかったというようなえがきかたの映画だった。真実はどこのあるのか知りたいと思わせる映画だ。この映画の原作者である澤地久枝役を大空真弓が演じている。西山記者を北村和夫、筈見絹子を吉行和子が演じている。今見ると、この事件の本質が改めて分かる映画だと思った。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-20 14:20 | 劇,映画その他
「加藤周一が幽霊を語る」という映画を名演会館で上映している。死んだ人は幽霊となり、生きている人の前にあらわれるような気がするというのだ。死んだ人は意見が変わることがない。平和が良いといって死んだ人が、平和主義の幽霊となって、姿をあらわすとう。9条の会もそういう幽霊の支えがあって成立したと言いたいのだろうか。加藤周一というのは日本の理性といわれる人物だ。幽霊と語ることによって、どうして平和が大切かということを語っている。

彼は東大医学部出身で、たまたま戦争に行かなくて、命が残ったという発想だ。友人は学徒出陣で戦死した。たまたま生き残ったという意識、死んだ友人がもし生きていたらどのようなことをしたのかが気になるのだ。その思いが加藤周一を作ったともいえる。

人間は平等ではないだろう。コネがあればそれなりの企業に就職できるだろう。しかし死は平等に誰にでも訪れる。加藤周一は源実朝に思いをはせる。実朝は亡命を企てたといのだ、そのために船を作らせるのだ。しかし結局は、亡命ができなくて、鶴岡八幡宮で暗殺されるのだ。彼の和歌は荒々しさがあるそうだ。海の厳しさをうたった歌があるという。

加藤周一は戦時中に反戦という姿勢を示した人を信頼しているようだ。時流に迎合することはたやすい、しかし時流に逆らうのは大変な努力のいることだ。第二次世界大戦のさなかにも、反戦を、平和を心から望み、それを文章にした人がいたというのだ。しかしその文章がフランス語やラテン語だったのだ。

戦後、敗戦後、フランス語やラテン語ではなく日本語で自分の気持ちを表現してよくなった開放感があった。その開放感を感じた人しか、戦争が終ったよかったと思った人はいないし、その開放感を感じた人こそ、戦争を憎んでいるのだ。開放感を感じない人、戦争中に自分の意見を曲げた人は、平和になったら、また戦争はいるのだと言い始めるに違いないというのだ。加藤周一の人物像の触れるにはとてもよい映画だった、すごく眠たくなる映画でもあった。
[PR]
by qzr02421 | 2010-05-19 16:31 | 劇,映画その他