本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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人生は実験だ

小川未玲の「ちゃんとした道」の音響を担当した。ピアノ曲とセミと電車(踏み切りを含む)と花火の音がある作品だ。「ちゃんと」という日本語は「丁度」から生まれたという説もあるが、きちんと、そのことにピッタリ合ったというような意味だろう。この作品はちゃんとしていない人物が登場し、ちゃんとしていくという話だ。

怪しい人物が多く登場する。いわゆるちゃんとしていない人々だ。人の不幸な話を500円玉で聞くという女性、500円玉というのが不思議だし、なぜ不幸な話をすると500円玉を払わないといけないのかが謎だ。そこに自殺願望の男、二代目の医者、ジョギングをする不思議な青年、花火職人を探す若い女などが登場する。

とても深い作品に思えたが、この中でジョギングをする青年のセリフが印象的だった。「人生は実験だ、実験には正解がない、つまり人生にも正解はない、正解がないということは人生に失敗はない」というセリフは、人生を生きる勇気をもらった。また、「人を幸せにするには自分が幸せになることだ、不幸は伝染する、だから自分が幸せになった、不幸の悪循環を断ち切るのだ」というセリフもよかった。

シアターアーツの終了公演ということだった。若い人中心の劇だった、年配の人が一人混ざっていたが、それはそれでよかった。テンポの良い劇で、音を入れていて、楽しかった。演劇で音響を入れるというのは、実に楽しいことだ。しかし、音響をしていると、劇を何回も見ることができるというのは、何度経験しても、不思議な経験だと思う。
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by qzr02421 | 2010-04-28 10:29 | 劇,映画その他
モーツァルトは命を削って作曲したという。天才的な作曲をして、35歳で死んでしまう。才能と寿命とは関係がないことだが、長生きすれば、素晴らしい名曲がもっと存在したのか、あるいは、ボケて作曲ができなくなるのか。命も音符にしていくというのはリアリティを感じる。命を削らずに作曲できる人もいるのだろうが、創造するということは、ある意味命を削るということはあるのかもしれない。

名演会館で「ドン・ジョヴァンニ、天才劇作家とモーツァルトの出会い」という映画を上演している。天才劇作家というのはダ・ポンテのことだ。ダ・ポンテはユダヤ人で、改宗して神父になったのだが、教会にはむかい、また女性との浮名をながし、ベネチアから追放されウイーンのやってくる、そこでサリエリやモーツァルトと出会う。

ドン・ジョヴァンニの全体を知っていなくても楽しめる作品だ。音楽もよい。しかし、ドン・ジョヴァンニの内容を知っていれば、もっと楽しい映画だろうとは思う。ダ・ポンテが、ベネチアで出会った女性の愛を得るために、このドン・ジョヴァンニの詩を書き、その詩にモーツァルトが曲をつけたというエピソードは、それなりに楽しい。

カサノバや啓蒙専制君主であるヨゼフ2世が登場するのも楽しいものだ。今は、大きな劇場でモーツァルトの曲などが演奏されるが、当時は一部の貴族の楽しみにすぎないことなどは分かる映画だ。音楽に関心がないと、あまり楽しめない映画だろうという印象を持った。よい映画だが、楽しい映画ではない。クラシックが好きなら、見ることをすすめる。
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by qzr02421 | 2010-04-27 16:11 | 劇,映画その他

死にというない!

エラスムスは『痴愚神礼賛』で「人間は口にすることも憚られる場所から生まれてくる・・・人間は食べることとセックスすることしかできないし興味もない・・・ひとは賢さが少なければ少ないほど幸せになれる」と記している。その愚かな人間はうつ病になる。うつ病はギリシアローマ時代から知られていたらしい。ヒポクラテスはこの病気の原因を黒胆汁の過剰としている。

病気の概念は時代とともに変遷する。産業革命・市民革命以降近代精神医療が誕生した。隔離が基本原則だった。クレペリンが病因論の立場から精神分裂病、うつ病、てんかんという三大内因性疾患を提唱した。うつ病は人生の退行期に症状が現れることがおおい。40代半ばから50代にかけての時期だ。

退行性うつ病の特徴は不安と焦りのようだ。じっとしていられない焦燥感、些細なことが全て不安、恐怖の種となっていく。この時期の多発するのが自殺である。自殺とうつ病の相関関係は70パーセントなのだ。クレッチマーはうつ病の病前性格を、猪首、小太り、はげ頭で世話好きな性格とした。若い人の見られるモラトリアム、私さがしの旅もうつのひとつの症状とする説もある。

江戸末期の名僧仙厓は死に際、弟子たちに遺言を求められて「死にというない」と答え、本心をと再度言われ「ほんまに死にというない」と言ったと伝えられている。ボケなくて死ぬということはこういうことだ。頭脳明晰で死ぬためには西行のように自死しかないようだ。ボケやいや、寝たきりもいや、頭脳明晰では自死しかない、85パーセントの老人は平均8ヶ月誰かの世話になった後ではないと往生できないそうだ。70歳前後が人生の最高地点らしい。それ以後はボケへ、寝たきりへ、愚者へ、幼児化へまっしぐらということのようだ。以上さらに、荻原隆著『ザシキワラシ考』を読んで
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by qzr02421 | 2010-04-26 16:44 |

認知症の周辺症状

クロマニョン人はネアンデルタール人にとってかわり大躍進したというが、このときジェノサイドがあったのだろうか。そのころ人は60歳を越して生きることができるようになった。4万年前のことだ。長寿は人類進化の結果だろうが、加齢の意義はどこのあるのか。無文字社会では高齢者の智恵が必要だった。文字社会になり、老人は不要になった。

老人の幸福はあるのか。幸福とは何か。ソクラテスは「幸福とは不幸の中断である」と言った。不幸の反対が幸福ということだ。エピクロスは「最高の善とは幸福であり、最高の悪は不幸である」「全ての善なるものの元は胃袋の与える快楽である」と言っている。エピクロスは幸福になるためには何かをあきらめることが必要とも言っている。エピクロスの三大信条は節制せよ、自然に還れ、隠れて生きよということだろうか。「われわれが生きている限り死は存在しない。死が訪れた時にはわれわれは存在しない」のだ。

老人の認知症は60代で1パーセントだが、80代では20パーセントななり。100歳では90パーセントだそうだ。人は高齢になれば誰しもボケるものだ。以前あったことを忘れ、同じことを何度もたずねるものだ。暮らしの不都合があるものを認知症として区別しているにすぎない。暮らしの不都合がなければ、それはそれですんでいく。遊びを知らず仕事一辺倒な人、自発性や計画性がないこと、さいけん不幸な経験をしたなどの三点がそろって異常が見られれば認知症にちがいない。

認知症の周辺症状とは、モノが盗られた妄想、嫉妬や幻覚、徘徊、便いじり、収集癖などをさしている。ゴミ屋敷などは収集癖という周辺症状にちがいがない。ものと捨てられなくなるのだろう。症状がすすむと現在と過去の混同、家事作業ができなくなる。認知症を遅らせるためには食べ過ぎないこと、総摂取カロリーが増えると認知症になりやすいらしい。肉を減らした青背の魚を週2程度食べる。野菜果物を食べる。散歩やジョギングなど有酸素運動をするなどがよいのだ。無理しない普通の生活をすればよいということだ。生涯にわたって勉強し知的活動を維持すれば、アルツハイマーであっても症状が出なかったシスターマリーという例も報告されている。疲れたそろそろ休もうは老人には禁句なのだ。以上また、荻原隆著『ザシキワラシ考』を読んで
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by qzr02421 | 2010-04-25 09:21 |

死は平等におとずれる

ローマの政治家でもあり哲学者であるキケロは『老年の豊かさについて』で当時のローマでの老年の通年を批判している。老年はすることはないというが、若者のように動き回るだけが大切なことではない。じっとしていることも大切な仕事をしているのだと。また老人には体力がないというが、それを上回る学識があるではないのかと。さらに老人には何も楽しみがないというが、肉欲はなくなったかもしれないが、研究や学問の楽しみがあるではないかと。老年には死後近いというが、死は若い人にも平等のおとずれる、時が来れば誰しもこの世から消えていくのだと。

キケロはこの書を著したときは62歳だった。19世紀の画家ゴヤは74歳で宮廷画家の職を辞した。目も見えなくなったといわれているが。彼はその後自宅の壁に絵を描き始める。「わが子を食うサトウルヌス」「魔女の集会」など「黒い絵」シリーズだ。彼は82歳で死ぬまで絵を描き続けた。そういう人生もある。

江戸時代の儒者貝原益軒は『楽訓』で若い頃は身を粉にした働き、老後には家督を譲り、悠々自適して人生を楽しむことをすすめている。この楽しむとは快楽ではなく、損得を超えた平静な心の営みを指している。アタラクシア、アパチアのようのことだろうか。さらに富貴は天命であってうらやむことはない、有名になろうとあくせくする、寿命も天命、すべての人が長生きすることはできない、長生きできたらそれを喜ぼう、天命に従って身を終るがよいと言っている。

松田道雄は貝原益軒の『養生訓』について長寿の秘訣などというが、そのようなものは存在していない。人には個人差が大きく万人の通用する長寿法など存在しないといっている。杉田玄白はむやみに長生きしようとするのは無益だ、長生きは天が按配してくれることだといっている。西行は「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」とうたいその通りに2月25日の満月の日に往生をとげた。73歳だった。以上、荻原隆著『ザシキワラシ考』を読んで
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by qzr02421 | 2010-04-24 08:56 |

権謀術数は嫌いだ

畿内武士団と関東武士団、足利尊氏が京に幕府をおいたのは、畿内武士団を統率するためか、武士政権発祥の地鎌倉で幕府をひらきたかったのが本音だろうか。後醍醐天皇の動静をつかむには京にいることも必要だったのだろう。この尊氏とはどのような人物なのか。夢窓疎石は尊氏には三つの徳があるといっている。『梅松論』によれば、生死をかけて戦場での悠然とした態度、天性の慈悲の性格で人を恨むことをしらないこと、非常に気前がよく、金銀も土くれも同じようの扱い分け与えたことだ。

尊氏は恩賞の授与と守護の任命以外の権力を直義に与えてしまった。権謀術数や党派的対立を疎ましく思っていたと考えられる。この淡白な尊氏が自分の子である義詮に将軍職を譲ることには執着し、弟の直義を殺すことにもなる。毒殺だ。尊氏と直義は年子である。尊氏は48歳のとき、直義を殺している。尊氏が死ぬのはこの6年後、54歳のことだ。

尊氏の敵である後醍醐天皇は、先例にとらわれず雑多な勢力に直接働きかけることによって新たな力を組織することに成功した人物だ。北畠親房はこの後醍醐天皇の秩序無視を厳しく批判している。恩賞目当てで後醍醐天皇に接近してくる武士を嫌ったようだ。後醍醐天皇と尊氏の時代に始まった南北朝は、南朝と北朝に対立だけでなく、各階層・各領域に及んだ分裂、亀裂だった。つまり惣領制から単独相続にうつる過程での誰が相続するのかの争いだった。長子相続が確定するまで、この争いが続くことになる。以上『分裂する王権と社会』(村井章介著)より
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by qzr02421 | 2010-04-23 14:29 |

恋こそ喜劇

モリエールという劇作家兼俳優がいる。フランス人だ。17世紀の人物だから、日本では江戸時代だ。悲劇が尊重された時代に喜劇を生んだ人物だ。もちろん喜劇は古代ギリシア時代からある。モリエールも悲劇を演じたがったようだが、喜劇の方の才能があったということだろう。名演会館で「恋こそ喜劇、モリエール」を上映している。

悲劇を演じたかったが、ある理由で喜劇を演じるようないなったいきさつを描いた映画だ。彼は、フランスで地方巡業をし、名声を得た人物だ。この映画は、このモリエールが、借金で投獄された時、その借金の肩代わりとなった町人、町人では江戸時代みたいだから商人に雇われ、数週間過ごした話だ。この商人は貴族にあこがれているが、身分がないのだ。しかし貴族の女性に恋焦がれている。その恋を成就するためにモリエールを雇ったという設定だ。貴族と商人の身分の差を実感できる映画だろう。

この商人の妻とモリエールが恋に落ちるのだ。不倫だが、愛には理由はないのだろう。この時代、つまり17世紀は貧乏貴族、貧乏で城はボロボロだが、身分がある人物、これは嘘つきという人物が登場する。この嘘がまたすごいのだ。この嘘の騙されるのがモリエールを雇った商人だ。たいした話ではないということは簡単だが、喜劇なので、楽しい。2時間ほどの映画だが、その時間を感じさせない。

17世紀フランスの汚さもよく描けている。汚さを描こうとしているが、結構これが清潔にみえる。もっと汚かったと思う。不倫相手の商人の妻も素敵だ。モリエールは髪が長髪で、ちょっとダサイ感じがしないでもないた、まあ、それなりによかった。この映画は、久しぶりに楽しい一時を過ごせたと思う作品だった。前回見た「マイレージ、マイライフ」とは少しちがう、愛を描いた作品だ。どちらの映画も、喜劇であり、悲劇だと思う。
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by qzr02421 | 2010-04-22 12:17 | 劇,映画その他
鉄砲の伝来、イエズス会の訪日、日本は大航海時代とともに世界史に組み込まれていく。ヨーロッパ諸国との遭遇だ。反宗教改革という動きが日本にフランシスコザビエルを来させることになる。日本に流入したキリスト教はある程度信者を増やしていく。伊達政宗はスペインに使者を派遣し、貿易を始めようとした。しかもメキシコとの交易を考えたようだ。徳川幕府が樹立されていたのに伊達政宗は随分思い切ったことをしたものだ。

結局はスペインに断られ、事件はおきなかった。スペインが断った背景にはイギリスとの対立が考えられる。イギリスの王はエリザベス1世だ。オランダの独立も関係がある。のちのそのオランダと出島で交易をするのは歴史の面白さだろう。織田信長が黒人の家来を持っていたことも有名だ。宣教師のヴァリニャーノが連れてきた黒人奴隷だ。黒いのは墨でも塗ってあるのかと信長は肌を洗わせたそうだ。彼にヤスケという名をつけ町中を同行させた。

ヨーロッパがおこなっていた奴隷貿易が日本史に影響を与えているのだ。黒人奴隷は新大陸のインディオが伝染病、ヨーロッパが持ち込んだもので激減したことが原因で輸出がはじまる。西インド諸島での農園経営で黒人奴隷が使われたのだ。アフリカ西海岸の奴隷が西インド諸島に連れて行かれ、そこで砂糖・たばこ・綿花がヨーロッパにもたらされた。この奴隷貿易が禁止されるのは19世紀初頭のことだ。本能寺の変後もヤスケは生きのびたとされるが消息は不明だ。

信長死後政権を握った秀吉はアジア支配のため朝鮮出兵をおこなう。天下をとった秀吉は高麗・南蛮・明を従えようとしたのだろうか。台湾やフィリピンにも服属を求めている。情報が正確に伝わらない時代だろうから、この日本の動きは世界の大きな衝撃を与えたのだろうか。実態はよくわからない。それにしても文禄慶長の役の敗北で秀吉の世界征服の野望はなくなった。アレキサンダー大王の世界を征服しようとして失敗している。ヒトラーも、スターリンも、そして現在もアメリカも失敗している。世界は、時代によって範囲はちがうだろうが、野望を抱く支配者はいるが、成功が難しいようだ。ジンギスカンはある程度成功したかもしれないが、未来永劫世界支配が続くというわけでもないのだ。以上さらに『世界史は日本史をどう記してきたのか』河合敦著を読んでより
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by qzr02421 | 2010-04-21 16:06 |
職業は解雇通知、その会社では解雇を言い出せないので、解雇を言い渡す人を雇う。クビを切るために雇われた人だ。アメリカの都市を飛行機で移動し、解雇を言い渡す。家族はいない。家族など持ちたくない、家族などは人生では何も意味もないという考えを持っている人物が主人公だ。その映画は「マイレージ、マイライフ」だ。

飛行機で移動しているのでマイレージがたまる、そのマイレージをためることのみを目的にしている。ためることが人生なのだ。マイライフはマイレージをためることだ。300日以上飛行機で移動している。彼はリュックサックに人生つまり、人生で必要と思われる本、家電、家などつめていると、そのリュックサックは重すぎて背負うことができない。そのようなリュックサックは空にすることが理想と説く。

その人生に二人の女性が介入してくる、そして彼に人生観が少し変わっていく。一人は解雇の会社に新任として就職した女性、もう一人は、行きずりの女性だ。新任の女性は、結婚して家族を持つことこそが人生で重要なことと彼に説く。行きずりに女性とはアバンチュールを楽しむ。解雇された人たちが解雇されて、その悲しみ、怒りを救ってくるのは家族だというインタヴィーシーンが途中に何回も流される。

人生に家族は必要ないとする彼と、その彼の周りには家族はいるという人が一杯登場する。そのうち、彼も家族を持ってもよいかなと思い始める。そして行くずりの女性の家を訪ねる。そして・・・結局マイレージの目標として記録を達成する。人生に家族が必要だということを言いたい映画なのだろうか。ラストは独身の男性にはすこし・・・
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by qzr02421 | 2010-04-20 13:35 | 劇,映画その他

外交に手が回らない

中国に始まった律令を日本はとりいれたが,中国の律令は、その時代にふさわしい、つまり実態に合わせて変えることが原則だったが、日本は輸入したということもあり、万世1系の祖法という位置づけのためか、律令を大規模に変えるということはしなかった。令外官で対応した。律令は形骸化して江戸時代まで存続する。現在の日本国憲法の条文の解釈の変更とよく似た対応をしていうように感じる。

平安末期に政権を握った平氏は日宋貿易で利益を独占した。平氏政権は源氏政権と移っていくが、宋から多くの文物と文化が流入した。禅宗もそのひとつだ。この禅宗を繁栄を導いたのが北条氏だ。北条氏は源氏のような血筋ではないので、その幕府の支配の理念とした「道理」を重んじた。その道理を安定させるため禅宗を利用した。禅宗の僧侶は宋から多く移住してきた。宋のインテリが鎌倉幕府のブレーンになったというとだ。

元が攻めてきたとき、この宋から移住のブレーンは元との戦いをすすめたに違いない。フビライが日本を攻撃したのは日本に金が大量の産出すると信じたという説がある。マルコポーロの影響だろうか。コロンブスものちにはジパング黄金説にのって大西洋に船を進めた。元が滅び明帝国が樹立されると、明の洪武帝は日本の朝貢形式の国交を要求した。倭寇の活動を押さえて欲しいという要求もあったが、日本は拒絶した。中国の王朝と対等な関係を日本は常に望んでいたのだ。

日本側にも南北朝の対立という現実があり、外交に手が回らないという事情もあった。その後義満が南北朝の合一を達成し、中央集権化をすすめようとした。幕府の権威を高めるため明に義満が日本国王であると認めてもらうよう工作した。認めてもらうかわりに朝貢貿易を受けいれ、冊封体制に組み込まれた。貿易の利益も得ることができた。勘合貿易だ。この外交路線も義満が死に、義持の時代になると、日明貿易は中止されてしまう。中国と対等であろうとすると正式な貿易をすることができないということだ。以上また『世界史は日本史をどう記してきたのか』河合敦著を読んでより」
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by qzr02421 | 2010-04-19 20:47 |