本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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今年も残すところ一ヶ月となった。別に残さなくてもよいのだろうが・・・ともかく一年という単位で考えたら、今年も終るということだ。人生はまだまだ続くし、円高も進むし、デフレスパイラスも続くのだろう。21世紀になっても、ちっとも明るくないのは残念なことだ。

それはともかく今年の新語・流行語大賞はなんだろう。たいした興味があるわけではないが、世相を現していることにはちがいないだろう。また今年の10大ニュースはなんだろうか。今年一番のショックは「新型インフルエンザ」にはちがいないだろう。今までのインフルエンザでは3万人ほどの人が死亡していることを考えると死者数は多くはないが、感染の力が強いのは脅威だ。これで毒性が高まれば、パニックのなるだろ。フランスではタミフル耐性の新型インフルエンザで死亡したというニュースがあった。怖いことだ。

二つ目は「のりピーショック」だろうか。覚せい剤というものの危険性を教えてくれた。今後の展開が・・・他にはどのような言葉があっただろうか。婚活つまり結婚活動も今年の言葉だろうか。結婚に対する考えが変わったのか、ワーキングプアの増加で結婚できない人が増加したのか、どのようの考えたらよいのだろうか。時代は突然変化するのだろうから、今がその突然ということかもしれない。

その他としては「オバマ現象」、オバマが宣言した「核なき世界」、鳩山政権の登場つまり「政権交代」、「事業仕分け」などはどうだろうか。「草食系男子」も今年流行した言葉だろう。違うジャンルでは「こんなところ来とうはなかった」「キング・オブ・ポップ」などはどうだろうか。個人的には今年の言葉は「新型インフルエンザ」じゃないかと思うが、「k事業仕分け」も捨てがたいモノがある。
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by qzr02421 | 2009-11-30 15:03 | 日常
年をとるということは悲しいことだろうか。充実した感じなのだろうか。子供のころ年配の人を見ると、ずいぶん大人に見えたものだ。自分がその年になってみると、そんなに成長したように感じることがない。欲しいものは欲しいし、嫌いな人がやはり嫌いで、子供の頃の精神状態からちっとも進歩していないようの感じる。

それにしても、老人になり、老人の人生を行き、そして逝くだろう。名古屋の老舗劇団演集と劇団名芸の共同公演の劇、「楽園終着駅」を見た。老人ホームでの生活をえがいたものだ。ボケた老人、食べ物だけの執着する老人、憲法を守ろうという老人、屈折した人生を生き、酒びたりの老人なのが登場する。

しかしどの老人も精一杯生きていることが分かる。意地悪な老人もいる。老人同士の恋もある。夫婦部屋が出来、老人ホームで知り合った男女が、夫婦部屋に入るということもある。一人のダンディな老人をとりあう女性もいる。老人だからといって、若い人と変わることはないようだ。

ともかく、この老人ホームで生きていくという宣言でこの劇は終わる。老人ホームに入ると人生は終わると思ったが、老人ホームでも人生が続くというセリフがある。人生は生きている限り存在するとうことだろう。その時、その時を精一杯生きることが一番のことだろうと思った。
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by qzr02421 | 2009-11-29 20:39 | 劇,映画その他

おばあさんの知恵

長谷川眞理子さんの説では「ネアンデルタールが生き残れなくて、なぜホモサピエンスだけが生き残る事が出来たのかというと、それはサピエンスにはおばあさんがいたからという」「ネアンデルタールの骨を見ると生殖年令が終った段階以降の骨が出土しない。子どもを産まない女性つまりおばあさんがいたから、ホモサピエンスは生き残りことが出来た」「おばあさんの知恵というものが社会を維持する知恵になったというのだ、これをグランドマザー仮説と呼ぶ」のだそうだ。

姥捨て山という話があるが、おじいさんはどうしたのだろうか。男が年を取って働けなくなると、いらない存在になるのだろうか。あるいは男は狩などで怪我をして早く死ぬということがあるのだろうか。男が老人になって気難しいなら、家族は困るだろう。それに対しておばあさんは子育てや料理などが出来て、それはそれで存在価値があるのだろう。

クロマニョンつまりホモサピエンスが生き残った理由のもう一つは、非常に高度な言語能力ということが言われている。言語能力は知恵の伝達である。このおばあさん的な知恵というものがこれからの生きていく上でのヒントになるのではないだろうか。おばあさん的な智恵というのは、生きのびようという意欲のような気がする。

生きのびようという意欲は男性より女性の方に強く感じる。精神的にも女性の方が強いようにも思う。家での作業も女性の方が多いだろうから、危険の遭遇する可能性も男性より少ないだろう。しかす、意欲ということが、これからは問われる時代になるような気がする。
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by qzr02421 | 2009-11-28 07:20 |

見て後味の悪い映画だ

見て後味の悪い映画というものがある。それが「副王家の人々」という映画だ。名古屋の名演会館で上演されている。19世紀中頃のシチリアを舞台とし、その地で繁栄をしている名門貴族がどのようの生きのびるのかという話だ。貴族の優雅だが、つまらない日々が描かれている。その一方で、その貴族という生き方に疑問を持つ人々もいた。

副王家というのは、本国以外の国や植民地の支配を任された高位に貴族のことで、この映の舞台であるシチリアではウゼダ家がその副王家として君臨した。ブルボン家の支配ではブルボン家に従い、ガリバルディという自由イタリアを主張する人物が登場すれば、それの従い、自分の領地や財産を守ろうとする一族が主人公だ。

このウゼダ家の当主は、憎しみこそウゼダ家を繁栄されるものだとして、長男を厳しく育てる。この当主もそのように育てられたのだ。憎まれることによって繁栄を維持するという価値観も持つのだ。この当主に反発するのがこの映画の主人公なのだ。父と子の葛藤もよく描かれている。

新しい時代を生き残るために、父は憎しみと権力を活用しようとする。それを反発しながら、最後には権力にめざめる息子がいる。華やかの貴族文化かがどのようの栄え、そして維持されるのかを理解するにはよい映画だった。しかし、そのような金持ちに騙される民衆もいるということも分かる。イタリアがどうしてこのような映画を作製したのかがいまひとつ理解ができなかった。支配者がこのように上手に立ち回り、自分の権利や権力を守ろうとするということに怒りと感動を覚えたのだ。それにしても見て後味の悪い映画ではあることには間違いがない、しかし見るべき映画のようにも思う。
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by qzr02421 | 2009-11-27 14:41 | 劇,映画その他
政治家によって演説が上手い人と下手な人がいる。上手い人と下手な人のちがいは本人の構え、情熱だというのは筆坂さんだ。彼は『論戦力』で、鋭い人、ユーモアのある人、いつの間にかはぐらされている人などいるとして、与謝野さんは面白い答弁をするとし、「3つの大臣が激務では」という菅さんに、「菅さんにひとつぐらい持ってもらえると楽ですが」と言い、笑いを誘ったというエピソードを書いている。

政治への真剣さや覚悟が必要というのだが、それが麻生さんには欠けていたとしている。また彼は失言が多いことでも有名だ。岡崎で豪雨があったとき、「名古屋でこの豪雨があったら大変だった」と言ってみたり、「医者には常識が欠落している」と発言し、この釈明では「一部に誤解を招く発言が・・」という謝罪ではない、何が誤解か分からないことを言っている。

この本では様々な政治家をとりあげ、その演説などを分析している。抜群のテクニックを誇る小泉純一郎、石橋を叩いて壊す志位和夫、ケンカをふっかける菅直人、勘は鋭いのだがいくつも質問してははぐらかされる福島瑞穂、意外と上手だった小渕恵三などが書かれている。この分析が以外に面白いのだ。

女性議員の中で、小渕優子議員は臨機応変に上手に答弁し、野田聖子議員も、自分の言葉で懸命に語ろうという姿勢が非常に好感が持てたとしている。野田、小渕さんともに政治の取り組む姿勢が真剣で、人柄が誠実なのがよいと書いている。人を蹴落として自分さえよければよいという卑しさがないし、度胸と愛嬌があるのが随分、自民党の議員を評価している。よいものはよいということだろうか。
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by qzr02421 | 2009-11-26 15:39 |
劇団四季が新しいミュージカルとして「サウンドオブミュージック」を選択したというニュースがあった。このミュージカルは劇団四季が上演するまでもなく、いままでショーベースで展開されている。宝塚を退団した人を中心にして、何回か上演されている。今回はそれに劇団四季が挑戦?するというのだ。どのような作品になるのか楽しみではある。

四季式発声法というのがあって、正確に滑舌よく発音することが求められる。それはそれでセリフが聞き取り易いのは事実だ。それを嫌う俳優もいるということだ。それは好き嫌いだから、それはよいのだろう。見ている私としては、セリフがよく聞こえた方がありがたい。誰が演じても同じレベルの劇を提供するというのが劇団四季の目標なのだ。それはそれでポリシーがあってよいと思う。

ところで京都四季劇場では「美女と野獣」を上演している。久しぶりのこの劇を見る機会があった。京都四季劇場のC席はなんだか狭いように感じた。四季の劇場は段差が大きく、見やすいことは見やすい。前の方についつい前のめりのなりやすい人がいて、何回か注意されていた。癖なのだろう。結局は、よい場面のなると、やはり前のめりなっていたのが見えた。その人のうしろの人は不幸だったろう。

四季らしくテンポよく、楽しく進行していく。ダンスなので少々乱れるのが気にはなった。ガストンたちがビールのコップを持って、ビールのコップをカチカチとぶつけるというダンスがあるのだが、このコップがあたらず音がしないなどあり、少し手抜きをしているのか、タイミングが会わないのか、少し残念だった。野獣の悲しみも伝わり、ストーリ的には楽しい一時を過ごすことが出来た。劇は楽しいのが一番、気持ちがリラックスできてそれはそれはよいのものだ。
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by qzr02421 | 2009-11-25 20:09 | 劇,映画その他

思い出

戦後はどのような生活をしていたのだろうか。私が生まれたのが1953年なので、私の戦後は敗戦から8年たっているので、戦争の跡、空襲の跡などは見た記憶がない。それでも傷痍軍人の存在は知っている、直接見たことがある。道路も舗装されず、雨が降ると長靴なしでは道を歩くことが困難な時代だった思い出はある。飴売り、紙芝居、ポン菓子なども記憶にある。

愛知県美術館で「日本の自画像―写真が描く戦後1945-1964」を開催している。戦後の様子を写真で表現しようというものだ。12月13日まで開催。金曜日の午後見に行ったが、閑散としていた。印象派やお寺関係は、好きな人や動員で人手があるのだろう。写真に対する興味は低いのだろか。フランス在住のフューステルという人が、写真の構成をした。写真は日本を代表する写真家のものだ。

石元泰博、川田喜久治、土門拳などの写真がずら~と並んでいるのは壮観な感じがした。人がいないので余計に壮観さが増すようだ。1945年の闇市(木村伊兵衛)、1946年の歓喜の復員(林忠彦)、1947年の焼け跡の母子、1950年の銀ブラの復活、1954年の日本女性と東京見物をする進駐軍兵士という写真が並んでいる。焼け跡から復興し、銀ブラが出来時代が到来する。しかしそれは占領下の時代ということだ。

1955年のお花見(長野重一)、1956年の三越デパートのファッションショー、国会議事堂前で物乞いをする傷痍軍人(林忠彦)、1957年の歌声喫茶(田沼武能)、1959年の伊勢湾台風(東松照明)、1960年の日米安保反対デモ(濱谷浩)、1963年の石油コンビナートと続く。戦後が終り、高度成長に向かう日本がよく表現されていた。写真に圧倒された。時代を感じた写真展だった。若い人が見たらどのような感想を持つのか知りたいものだ。
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by qzr02421 | 2009-11-24 20:04 | 劇,映画その他
円空が好きか木喰が好きかと聞かれたら、どっちが好きといえばよいのか。円空には円空のよさが、木喰には木喰のよさがあるといえばよいのか。円空はその彫が鋭い、あるいは雑だ。その雑さが円空なのだろう。木喰の彫が柔らかい、それはそれで風情がある。両方を対峙してみたら、どのような印象を持つものだろうか。

京都のジェーアール伊勢丹7階に美術館「えき」KYOTOがある。ここで11月29日まで「円空・木喰展」を開催してる。円空で始まり木喰で終る展示だ。それぞれを堪能することができる。古代から中世にかけて完成した仏像表現を、江戸という時代に、完成した表現を真似るのではなく、新しい造形表現でもって掘り出したのが円空と木喰だった。

円空は1632年に生まれ、作風は荒々しい自由奔放な力図よいノミの力を感じる作品を残した。32歳で彫り始めてから64歳で亡くなるまで12万体以上造形したと言われている。まだ未発見のもの、円空が彫ったかどうか分からないものなどあり、実際の数は分からないのだろう。実際の確認されたのは5340体ということだ。名古屋の荒子観音?で発見された仏像の展示もある。名古屋から京都に来て、この荒子の仏像を見るのは少し感動した。

円空は実によいと思っていると木喰の仏像の展示が始まる。木喰は1718に生まれる。円空が死ぬのが1695年なので、円空の仏像を見て、自分の仏像を彫ったのだろう。彼は62歳から仏像を彫り始める。表現豊な微笑仏と呼ばれる柔らかな笑みをもつ丸みのある像が特徴だ。93歳で亡くなるまで3000体以上の仏像を彫ったといわれている。現在710体が確認されている。木喰の生きている木に仏像を彫って、その木がそのまま生長して、仏像を持った木になっている姿には感動を覚える。伐採した木の仏像が今回は展示されていたが、それはそれで感動的だった。このようの一同に仏像を見ることができるのが展示会の醍醐味ということなのだ。
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by qzr02421 | 2009-11-23 15:24 | 劇,映画その他
11月22日、語呂合わせでよい夫婦の日だ。こういう記念日は一日だけあるので、今日だけよい夫婦でいようというのは効果的だろう。恋人時代の様のたまにデートするのが新鮮ではある。毎日あっていても新鮮であるためには、新鮮であり続けようという気持ちが大切だ。自分の人生をともかく生きていれば新鮮さは保てるのではないか・・・自分のために生きることがまず一番大切なことだろう。それが相手を大切することでもある。自分が大切で、その大切な自分と一緒にいるパートナーが大切でないわけがないではなか。

よい夫婦である秘訣として、73.8%の主婦が「コミュニケーションの時間をとること」が重要であると回答している。つまり私の話を聞いてよということだろう。男が自分のしゃべりたいことを話すのはコミュニケーションとはいわないだろう。続いて「お互いの自由な時間を作る」(44.8%)、「デート(外食・買い物など)をする」(21.0%)などが挙げられているのだそうだ。妻の話を聞いて、妻の自由時間を確保を、妻の買い物に付き合い、夕食でもご馳走すればよいということになる。しかし、きっとそれは間違った解釈だろうとは思う。

よい夫婦の秘訣として重要なものとして複数回答があるのが、なんと「究極のコミュニケーションとして、ケンカを重要視します」という意見もあるのだ。たまには真剣に会話上ケンカをすると、ストレス発散になるのだろか。ケンカするほど仲がよいともいうから・・・
よい夫婦の理想的なスタイルとしては、夫は仕事と家庭を、妻は家事と自分の時間を両立して支え合う「バランス型夫婦」、次いでお互い自分のスタイルを貫き干渉しない「独立型夫婦」、どこへ行くのも一緒という「ケータイ型夫婦」、年齢差などお互いにないものを持ち合わせた「補完型夫婦」というタイプがあるが、まあ、どれでも二人で一番相性をのよいものを選べばよいのだ。

きょうの「よい夫婦の日」に夫にしてほしいことは「ねぎらいの言葉をかけてほしい」が1位、2位が「外食に連れていってほしい」、3位が「家事の手伝いをしてほしい」と続く結果となっている。ねぎらいの言葉や家事の手伝いなどは毎日すればよいのだと思うが、そう言っても、なかなか出来ないのが現実なのだろか。お互いに思いやる気持ちが一番大切で、それがまた一番難しいのかもしれない。
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by qzr02421 | 2009-11-22 16:19 | 日常

秋の京都よいものだ

国宝[立正安国論]を見た。国宝でなくても有名なものだ。日蓮が蒙古襲来を予言し、弾圧され佐渡に送られる原因となったものだ。字体はしっかりしたものだった。日蓮の芯の強さを感じた。浄土宗や浄土真宗のように死後の極楽浄土を説かずに、現世での幸せを題目である何妙法蓮華教のこめたのが日蓮だった。

京都国立博物館で「日蓮と法華の名宝」展を11月23日まで開催している。紅葉真っ盛りの京都の寺を見ながら、日蓮と出会うもの素敵なことだ。この展示は京都十六本山を中心とした諸寺伝来の宝物を見ることができる。鎌倉仏教の一翼を担う日蓮のことを考えながら見るには最適な展覧会だった。

日蓮の教えはその現世での幸せを説くという点で京都の町衆に広がっていった。狩野元信、長谷川等伯、本阿弥光悦、尾形光琳などの信仰され、彼らの作品の大きな影響を与えたことがよく分かった。日蓮は他宗を厳しく攻撃した人物だ。日蓮宗はこの尾張では信者がすくないのだろうか。尾張といえば真宗だろう。日蓮宗というものに触れるのはよい機会の展示会だと思う。

京都の町衆の人々が信仰し、日蓮宗を支え、芸術を残したということを知るだけでも、この展示は成功したといえる。京都町衆文化の奥の深さを再確認した。この展示も、名古屋で開催していた妙心寺展と同じで、バスで来た動員のような人が、熱心に、信仰心を持った見ている姿に、信仰心のない私としては、別の感動を持ったのだ。秋の京都よいものだ。
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by qzr02421 | 2009-11-21 12:30 | 劇,映画その他