本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー

<   2009年 10月 ( 27 )   > この月の画像一覧

11月12日まで行われる「第61回正倉院展」に行った。行ったのは10月30日金曜日、つまり平日だ。朝一番の近鉄で名古屋から奈良に向かう。朝一番というのは6時半、奈良駅到着は9時少し過ぎ、奈良国立博物館まで早足で歩き、20分ごろ到着、9時開館、並ぶ列はない。順調に入場することが出来た。

平日ということか、不景気ということか、案外人手が少ない。このような展覧会に行くと、必ず一番初めから見ようという列がある。この列が厄介だ。館内の案内をする人が、順番は関係ありませんから、お好きなところからご覧下さいと言っているのだが、やはり列が出来る。私は当然のように、列を無視して、人が少ないところから見ることにした。

パンフの表紙になっている「紫檀木画槽琵琶」は人が少なく、ゆっくり見ることが出来た。なかなかの出来だ。光明皇后の手になる「楽毅論」は人だかりでたいへんだったが、光明子の字はなかなか綺麗だった。堂々とした力強く、気品に満ち、バランスもいいし、王羲之の書を忠実に書き写したらしいが、皇后らしさも感じるという評価のようだ。この時の皇后は44歳ということだ。どんな女性だったのだろうか。

去年に比べると人では多くないと感じた。このあと他の寺などを見て、夕方3時過ぎにもう一度博物館に行ったが、やはり人は例年より少なく感じた。係りの人に聞いたら、平日ですこし人が少ないようですということだった。金土日は19時まで開館している、18時過ぎが狙い目だろうとは思った。しかし、観光バスが来ない朝と夕方はやはり狙い目なのだろう。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-31 22:15 | 劇,映画その他

南都七大寺

来年は奈良遷都1300年ということで行事があるようだ。610年に都となったが、787年に長岡京の遷るので77年間都だったのだ。一世代を20年とすると3世代ちょっとということとなる。興福寺と東大寺が有名だが、都として栄えたのはわずかなことなのだ。それに比べて平安京は797年から1868年ほどまで1000年あまり都だったのだ。

平安京というと華やかなイメージがあるが、建築物の耐久年数は20年ほどだから、1000年間も建物がもつはずがない、右京が寂れたが、左京も繁栄はしただろうが、結構痛みがひどい状態だっただろう。物事はうつろいやすいということだ。平安京ではなく悲惨京だったのが現状だろう。そういう意味では平城京は、平安な1000年を過ごしたのだと思う。

受験では南都七大寺を覚えるのだが、高校生には寺院は関心がないだろうし、行ったがない寺院を覚えるのが大変そうだ。東大寺、西大寺、興福寺、大安寺、元興寺、薬師寺まで出ればすごいのだ。もう一つが出ない。少し奈良から離れている。法隆寺が七つ目の寺だ。法隆寺の代わりに唐招提寺をあげることもある。

この寺以外にも、平安時代をもたらす天皇である光仁天皇の勅願である秋篠寺も、秋の夕暮れ行くとなかなか風情がある。西大寺から20分ほど歩くことが必要なので、もっとも奈良の寺は歩いていくのが基本だが、一人だけで秋篠寺を独占ということもある。西大寺の戻り、この寺で有名な顔が隠れるほどの大きな茶碗で抹茶を飲むのもよいものだ。この西大寺もなかなか風情があるが、あまり観光客は多くない。奈良の寺は京都の寺に比べると商売がヘタのようだ。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-29 21:00 | 旅行

じいさんばあさん

大西信行さんが書き下ろした『女の一生 名古屋版祖父江てつ女の場合』を千種文化小劇場で見る。ドラマヤ本舗のものだ。真面目で結婚が遅れた男と奉公のため婚期を逸した女が、あるきっかけで結婚する。しかし男は罪を背負い秋田へ、女は嫁ぎ先の姑と自分の子を失い宇和島へ、月日が流れ36年後、再開し・・・という話だ。

森鴎外に『じいさんばあさん』という作品がある。それを思い出すような作品だった。この話も、じいさんが若い頃京都で刃傷沙汰、そして島流しとなり、じいさんとばあさんが37年ぶりに会い、ひっそりと暮らすというものだ。結婚して一年ほどで離れ離れとなり、36年または37年後再び暮らすというのはどういう気持ちだろうか。

夫が何らかの罪で監獄に入り、何十年か後に出所し、暮らすということと同じだろう。30数年の日々はどのようなものか。考えただけでも凄まじいもののように感じる。演劇はそのあたりを淡々と描いていたように感じた。罪を犯した男が、その罪の重さを感じて生きようとする姿は、最近は罪を犯してもふてぶてしい人が多いので、何かさわやかな感じがした。

この劇は、江戸時代ということで、着物の裾裁きが気になった。洋服を着慣れると、和服の動きが出来なくなるようだ。そのあたりが時代劇の難しさだろう。また千種座は円形劇場なので、使い易いような・・・そういえば江戸時代は葬式は白い着物だったのだというこを思い出した。身分制などの演技も難しいものだということも感じた。時代物の劇は、立ち振る舞いから小道具まで難しいということを一番に感じた劇だった。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-28 17:07 | 劇,映画その他

鹿と紅葉、阿修羅と行列

10月末、長野へ紅葉を見に行ってきた。中津川を北上するとだんだん紅葉も本格的になってきた。鮮やかな赤もよいが、くすんだ黄色もまたよいものだ。車を運転しているのでじ~とは見ることが出来ない。紅葉が風に乗って車のフロントグラスに・・・風情があるものだ。

来週は奈良と京都に行く予定だが、興福寺の紅葉はいかようなものか。興福寺の阿修羅像が帰宅して、ガラスケースではないところで展示されているそうだ。東京での人気が持続していて、奈良でも行列ができているそうだ。まあ、阿修羅さまは、興福寺のために頑張っているようだ。

紅葉と仏像という組み合わせもよいものなのだろう。鹿と紅葉、阿修羅と行列、正倉院展も行列、まあ、行列して見るという、余裕のある国ということだ。その一方で国が相対的貧困率を発表した。2006年度は可処分所得が114万円以下の「貧困層」は15.7%で、経済協力開発機構が03年に報告した統計ではメキシコは18.4%、トルコは17.5%、米国が17.1%ということだ。格差社会ということが現実ということがハッキリしたのだ。

日本人の中流意識というのは幻想だったのだろうか。一億総中流時代が過ぎ去り、新たな格差社会が始まったのだろうか。しかし、人間の幸せというのは何なんだろう。お金が一杯あっても幸福とは限らないが、ある程度のお金はあったほうが良いような気もする。このあと21世紀はどのような歴史を刻むのだろうか。激動の時代ということだろうか。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-26 19:54 | 旅行
民主党政権時代に民法改正について、さまざまな発言をし、国会に法律を提出してきた。マスコミでは八ッ場ダムなど公共事業や子ども手当てが話題の中心になっている。しかし、国会の場では民法の改正も重要な課題であろう。民法は民間の生活に関わる法律だ。私たちの身近な問題でもある。

非嫡出子の相続問題、再婚禁止期間の問題、夫婦別姓の問題などがある。選挙の問題では外国人の地方選挙権の問題もある。もちろん死刑を廃止するかどうかの問題ある。どれも一筋縄ではいかない問題もあるだろう。この中で一番はやく実現しそうなものは非嫡出子に相続問題だろうか。嫡出子とは婚姻関係にある男女から生まれた子であり、嫡出でない子は非嫡出子と称される。もちろん民法には嫡出子について直接の定義は存在しない。

母子の間の親子関係は出産という事実によりほぼ自明であるのに対し、ただし代理母などについてはどのように理解すればよいのかはおいておいて、父子の関係は目に必ずしも明らかにならないため、子の父が誰であるか、それをどう確定させればよいかが問題となる。そこで認知という概念が導入されたのだ。

結婚関係がある男女から生まれた子(嫡出子)と結婚関係のない男女から生まれた子(非嫡出子、認知が必要だ)を差別するのは憲法の理念である法の下に平等に反するのではのではいかということだ。非嫡出子の法定相続分は嫡出子の2分の1であるという規定が憲法第14条1項に反するかどうかだが、最高裁は立法裁量権の範囲内であり違憲とまでは言えないと判断しているようだ。これを民主党はどうするのかとういことだ。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-25 21:04 | 日常
中国の影響で漢字を日本が使用するので、漢字を書けば中国では通じると思っているが、それが大きな誤りだ。文化がちがうところで、同じような漢字を使用しているのが問題ということだろう。漢字は日本が真似ているので、中国の方がオリジナルということではあるが。花子というのは中国では物乞いのことで、花子を名乗りたいのなら華子という方がよいようだ。

黄色小説はポルノのこと、黄牛はダフ屋のこと、人気とは人間のニオイのこと、妖精とは妖怪変化のこと、小人はどうしょうもない奴のこと、老婆とは奥さんのことなどというように日本語の意味と全く違うのだ。中国で緑の帽子をかぶるのは「彼女をほかの男に取られる」という意味になるそうだ。紅というのは人気があるという意味になるそうだ。人気が「人のニオイ」で、紅が「人気がある」ということだそうだ。

同じということだ、また別のデバイドを生むということだろう。金玉は中国では「尊く貴重で価値のあるモノ」という意味になるそうだ。中国で軽くキスをすることを「チンチン」というそうだ。等が待つという意味になるとのことだ。同じ漢字ということが、さらにデバイドを生むのだ。嘴(くちばし)が唇という意味になるらしい。くちばしとくちびるが同じというのはビックリだ。

中国は多民族国家なので、漢民族は豚肉を好むが、西に旅すれば、イスラム教徒が多くなり豚肉ではなく羊肉が使われるようだ。餃子や肉まんの中味が豚肉から羊肉に変わってくのがおもしろい。中国は広いということがよく分かるのがこの漢字と食材の話しということになるのだ。世の中は分からないことが多いということが分かるだけでも中国を学ぶ価値はあるような気がする。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-22 16:07 | 日常

怪人が不憫でならない

劇の良し悪しはどこで判断するのだろうか。一番は声が聞こえるということが一番大切だと思う。東京では小さな劇場で演じていただろう芝居が、名古屋などでは会場選択が限定され、とても大きな劇場になってしまうことがあるようだ。以前に書いた「ネジと紙幣」はそのような事情で声が聞こえなかったのだろう。せっかくの森山未来とともさかりえの演技も少々興ざめという感じにはなった。

キャラメルボックスは結構大きな劇場でも楽しむことができる。しかし芝居には適正規模の劇場というのがあるはずだ。劇団四季は自前の劇場を持つということを目標にした劇団だ。新名古屋ミュージカル劇場は、劇が見やすい劇場だと思う。しかも四季はマイクを使用している。マイクを使用することについては様々な意見があるだろう。しかし、声がきこえてなんぼの劇だと思う。

名古屋では今「オペラ座の怪人」が上演されている。この劇は長く公演されているので、役者もずいぶん変ったようだ。何回か見たので、過去のものと比較して見てしまう。人間は過去の記憶が美化するとらしい。ということで過去の劇の方が迫力があったように感じるようだ。今回のオペラ座も過去のものと比較すると、ちょっと・・・という感想を持ってしまった。初めてこの劇を見る人に感想を聞きたいものだ。

私はC席だったが、私の横には小学生らしい子どもが4人いたが、楽しんだのだろうか。劇も映画も見る年代で感情移入する人が変わる。私は怪人に感情移入したらしい。妙に怪人がかわいそうなどと思ったりした。小学生は誰に感情移入したのだろうか。この怪人は人も殺すが、それは要求が退けられたからだ。犯罪はよくはないが、孤独な、誰からも愛されない怪人が不憫でならない。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-21 14:48 | 劇,映画その他

国民の義務としての納税

古代の日本人の発想は、律令体制を導入すれば、手間をかけることができ、収穫が増えるでしょうが、何とか食べていけさえすれば、のんびりと暮らすことができる、そのような暮らしでよいというものだったかもしれない。手間をかけた班田収受するより、土地は逃げず、その土地で耕作している農民がいるならば、その農民に課税すれば、ことは簡単と国家は気がついたのだろう。

古代国家は租を食べることがなく、どんどん貯蓄したようだ。これを不動穀という。この倉庫の鍵は中央で管理したため、国司も使用することができない。その不動穀を中央政府が流用し始めたのだ。このことに対して農民は関心を示さなかったという。つまり農民は怒ることがなかった。

実は中央政府が流用する前に地域でも流用が行われていたのだ。これが神火事件だ。結構コメがこの時代は多く貯蓄され、流用されていたようだ。裕福な浮浪人(富豪浪人)という存在もあった。浮浪人は口分田をもらえないため庸調のみ課税され、公出挙の割り当てがないため、広大な土地を借りたり開墾したりして耕作していた。この富豪浪人の課税しようと考えるのは当然だろう。耕作者に地税をとるという論理が生まれてくる。

徴税というのは実に困難なことだった。徴税する国司も徴税が上手くいかないと、自分の評価のかかわるだろう。課税する農民も脱税をするだろう。最も脱税という発想はないだろうが・・・どうして税を中央政府に払わないといけないのか、その理由は近代の国民国家が成立しないと、その徴税理由は存在しないのだ。日本国憲法でもわざわざ国民の義務としての納税が30条に記されているくらいだ。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-20 14:11 | 歴史
朝日カルチャーセンターで講座を持っているが、今回は古代の土地制度史がテーマだ。古代国家でも政治をしようと思えば、先立つものが必要だろう。先立つものを用意する手段として最も中心となるのは徴税であろう。といっても、「上に政策あらば、下に対策あり」ということで、税金など出したくないと思う人がいつの時代にいるのだ。歴史の学習で税についてはあまり興味がないことが多いが、現代でも重要な課題である税の話は避けては通れない。

奈良時代から平安時代へと税制が崩壊していくという考え方もあるが、時代の変化、つまり公地公民から初期荘園そして寄進地系荘園と変化していくなかで、古代国家も徴税の仕組みを変化させたと考えた方がよいだろう。中国から輸入した政治体制つまり律令体制を日本風にアレンジして徴税を始めた。土地の所有者ではなく耕作者に課税した。収穫の一部を(3%)神に捧げるというような理由での税のようだ。この租が公出挙の一部になるのだろう。多くの租は貯蓄されたようだ。

農民の生活が困窮したのではなく、もちろん困窮した農民も存在しただろうが、それより税を出すのが嫌で浮浪・逃亡したと考えたらどうだろうか。当時は今のような家族が存在していないと考えられている。夫婦という関係が流動的だったようだ。お互いに個人資産を持った男女が同棲しているようだった。そのように中で戸籍をつくるのは容易ではなかった。

班田収授といっても死んでしまったことを隠すということもあったようだ。戸籍というものの実態が実の曖昧ということになる。平安時代の戸籍には100歳以上の女性が多数見られる。戸籍がおかしいと班田収授と課税が困難になるだろう。さらに死んだ人の口分田を回収して、新しい人に配るということは大変な作業であり、田が散在していくことにもなる。(続く)
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-19 15:45 | 歴史
第3・4ステップの技法がサトルネガティブとサトルクエスチョンという技法だ。前者が微妙な否定形、後者が微妙な質問という意味だ。前者で悩みのカテゴリーを探り、後者で悩みの核心に迫っていく技術だ。サトルネガティブとは「今日の相談は、職場での人間関係というわけではないですよね?」「最近繰り返し感じる不安があったりしませんか?」などという問だ。この問はなんら重要なことではないという感じで発せられることがポイントとなる。

相手はこのあっさりと聞いているこれらの質問で、その悩みが当っていれば、当っているという印象を持ち、さらりと聞いているので、この悩みを持っていない人は、この問いを気にしないで、世間話の一つととるだろう。あっさりと問うことによる効果があるのだ。このサトルネガティブとサトルクエスチョンをいくつか出すことにより、悩みの核心に迫り、相手の悩みをずばりと言うというのが、たぶん占い師の醍醐味だろう。

最後のステップはもちろん未来予想だ。この悩みに対して、どうすればよいのか行動の指針を出すことが必要となる。この予言としては「先祖を敬い、穏やかな気持ちで日々送らないと、今年はあなたは大きな壁にぶつかることになるでしょう」といって条件付なものがよいのだ。

条件は心構え、精神論など具体性のないもので、壁にぶつかれば大当たりだし、当らなければ、条件をクリアーしたということとなる。どちらにしても予言は当ることになる。あるいは必ず当るかどうかは分からないが、多分多くの人が該当する予言が存在するのだ。例えば「近いうちに、なくしていたものが見つかる可能性があります」などというものだ。誰しも、なくしたと思っていたものが突然出てくることはあるだろう。この予言が印象に残っていれば、当った予言となるのだ。この5つを自分の会話に応用すると、相手を説得できる技術となる。予言とは説得の技術ということでもあるのだ。
[PR]
by qzr02421 | 2009-10-18 17:15 |