本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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政治の最も大事な目標は生命の尊重だ。「人間の目的は生きるとそれ自体にある」と言ったのはゲーテだ。人間がまともに生きることができて、その次があるのだ。しかし国家はその人間の生命をなくす戦争をおこしてきた。だから、紛争解決のため武力行使は禁止されていのだ。

人間が人間らしく生きることができる政治を求めることが必要となる。それが基本的な権利となる。その基本的な権利のうえに様々の権利がある。そのためには自分の考えを持つ必要があり、その考えを人と話しうことが必要なのだ。人と人が話し合うことから権利意識も生まれるのだだろう。ヴォルテールは「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを言う自由は死んでも守る」と言った。

リスクは現代社会では逃れることができないものだ。科学の発達をリスクは裏表の関係にある。リスクを考えるときに大切なことは、このリスクを誰が負うのかということだ。個人か社会全体なのかということだ。アメリカ流の考え方ではリスクと自己責任は対になるようだ。しかしリスクは社会全体で負うのが正しいやり方ではないのだろうか。一人より全体の方が、一人一人のリスクは小さくなるはずだ。

努力した人はそれなりの報酬を得るべきだという考えは正しい考えのようの思える。ということは努力しないものには報酬はないということだ。これは努力する人の能力が同じであることを前提にしている。しかし、世の中の人の能力は同じではない。赤ちゃんもいれば、老人もいる、障害を持つ人もいる。いろいろな能力を持った人が、それなりの幸せに暮らすことができるのが人間の社会というものだ。一人一人精一杯生きていれば、それなりの生活が出来る社会こそが、人間にとってふさわしい社会だと思う。
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by qzr02421 | 2009-08-31 14:39 | 日常

権利と特権と区別

生きづらい社会を変える最強の武器は民主主義のはずだ。この権利を行使すれば世の中を変えることができるはずだ。そのためには権力者の行動を看破できるスキルを持つことが必要となるだろう。現在の権力者が生きる希望をまったくもてないような社会をつくりだしたという視点を持つことが大切だ。その権力者はさらに「自己責任」という言葉を浴びせかけてくるのだ。

人は自らの権利を主張するものだ。人と人との権利がぶつかるから政治が必要となる。まず権利を主張しないと政治は始まらないのだ。若者は権利ばかり主張するという批判があるが、それは批判する人が自分の権利を通したいから主張するとしか思えない。誰もが権利を主張できるのが民主政治というものだ。

権利と特権と区別しないとおかしなことになる。権利はすべての人の与えられた権利だが、特権は一部の人に与えられる権利だ。特権への批判がまず行われるべきだろう。その主張が権利の主張か特権の主張かを見極めることが第一歩だ。今までの自民党政権は特権の切り売りで有権者の支持を集めていたはずだ。

政治の世界はでは政府の力を使い自分たちの得(特権)になるような政策を実現しようと、様々の主張が飛び交っているのだ。大企業の経営者や官僚は大きな影響力を持ち、自分たちの主張こそが公共の利益となると主張している。その主張のための不利益を被る人々がいるのだ。それが派遣などで働かされている若者なのだろう。まず自分の権利を主張することが第一歩なのだ。その権利の主張が正しいものなら社会に受け入れられるはずだ。」
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by qzr02421 | 2009-08-30 21:41 | 日常
司法警察権がある組織は警察以外に海上保安庁、出入国管理官、税関、国税庁査察官がある。司法制度において裁判にかかわる人々として検察官、弁護士、裁判官がいる。それぞれ秋霜烈日、向日葵、八咫の鏡をバッチとしている。それぞれ刑罰に対する峻厳な姿勢、自由と正義、正義を示している。

力の体系を対外的に示す組織が軍隊だ。現代における軍隊の役割は国連憲章上例外的に容認される武力行使、つまり自衛権の行使と軍事制裁発動に照応するものしかない。軍隊は国際社会の秩序を維持するための擬似警察とも考えることができる。

「利益」という枠組みで秩序を維持するために「国富」を増大させ、「衣食住」に代表される最低限の生活水準を確保し、あるいは生活水準の極端な格差を是正することだろう。これは同じ国民としての一体感を持たせるためには必要なことだ。福祉もその装置の一つだ。

福祉はビスマルクの時代に始まったとされる。ドイツ帝国が拡大させるためには戦争が必要だった。その戦争をするためには国民の参加が必要となる。戦争における怪我をしたり死んだりしたときに手当てとして福祉政策が考えだされたのだ。戦争と福祉は裏表の関係にある。
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by qzr02421 | 2009-08-29 23:08 | 日常

代表者なくして課税なし

国家とは何か。政経の教科書には国家の三要素からはじまる、国家の三要素とは領域、主権そして国民だ。そして国民全体の幸福と安全を維持するために国民の要求をまとめ、紛争の解決、外敵の防止などの国家としての秩序を維持するのが国家だ。夜警国家から福祉国家へ変化し、その主権を維持する理論として社会契約説がある。

国家ということで思い出す言葉が「代表者なくして課税なし」という言葉だ。イギリス議会に代表者がいない状態のアメリカが、課税に対して抗議した。税金を集め、それをどのように使うかというのが国家のひとつの本質だろう。税金の集め方は間接税と直接税がある。その比率などと、その使い道をしっかりと見ていくことが大切だ。

国家の役割として、もう一つは「人間の社会に秩序を与える枠組み」というものがある。秩序とは何か。国民の要求に対して、順序をつけることだろう。国民といっても様々な要求がある。その全てを実現することはできない。その要求に順番を付け、その順番に従って実現していくということが秩序ということだ。

秩序を維持するために権力が存在する。社会契約説を利用し、統治機構に権力を与える。権力を与えられた機構は「力」「利益」「価値」という要素により秩序を維持しようとする。
「力」という枠組みで秩序を維持するために警察制度と司法制度がある。警察制度によって秩序を乱す行為を取り締まり、あるいは予防する。司法制度は秩序を乱した人物をしかるべき法律上の手続により処断するのだ。
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by qzr02421 | 2009-08-28 15:08 | 日常
劇団四季の「春のめざめ」を見た。思春期の男女が性に目覚めるという話だ。舞台にいる人が、突然上着の内ポケットからマイクを取り出し、歌い始めるのは感動的だ。歌も実に、状況にあっている。原作はドイツの劇作家ヴェデキントで、ブロードウェイでも絶賛をあびた作品だ。

それでも9月初めには終了するようだ。性を題材にしているため、子供づれで見ることができないためだろうか。ライオンキングとはだいぶちがうのだ。若い俳優が力いっぱい演技をしている姿を見るのは気持ちがよい。

近代の初めの男女はこのように性を理解し、このような不幸なことがあったのだろうということが分かる。現代の男女ならこのような、不幸な状況にはならないと思う。主人公の誰が主人公か分からないが)メルヒオールと少女ベンドラは惹かれあい、関係を持ってしまう。ベンドラはそのことで妊娠をする。中絶をしたため・・・

学校から追放される男子生徒もいる。かれは性に目覚め、学業に手が付かず、成績が悪くなり、学校の名誉のために退学となる、そして彼が選んだ将来は・・・男性と男性が愛しあうというシーンもあり、ハッピーエンドとはいえない結末だ。隣の女性は涙していた。若い(どれくらいが若いかよく分からないが)人が見たら、それなりに感動する作品だと思う。年配の人は、若いとき、そんなこともあったねと、懐かしく見ることが出来るかもしれない。
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by qzr02421 | 2009-08-27 16:50 | 劇,映画その他
シアターコクーンで「花壇牡丹灯篭」を8月31日まで上演している。牡丹灯篭といえばお露の下駄の音、「カラ~ンコロ~ン」だろう。萩原様は瑛太が、お露は柴本幸だ、この劇は萩原と露を中心に話が展開してくのが前半の話だ。後半は萩原家で世話になっている伴蔵(段田安則)とその妻お峰(伊藤蘭)が話の中心となる。

この話の中心は悪いことはできないということを理解させようとするものだろうか。伴蔵とお峰は幽霊の頼みで結局は、萩原様を裏切り、お札をとり、この萩原という人物は幽霊に取り殺されるのだ。しかし、好いてくれる女性に殺され、幽界で夫婦になれるなら、それはそれでよいようにも思う。愛があるのなら、幽霊でもよいと思ったりした。

伴蔵とお峰は地方で成功し、成功したために、伴蔵が浮気をする。その浮気相手が、お露の父を殺した男の妻、その妻はお露の父の後妻という因果だ。伴蔵は愛する自分の妻を殺し、後妻はその男を殺した罪で獄門になるというのが結末だ。悪いことをしても、結局は少しもよいことはないということが分かるのだ。牡丹灯篭という話は実のよく出来た話だ。

芝居のテンポもよく、舞台装置もよく出来ていた。結構、あちらこちらにお金がかかっているという感じがした。それなりに楽しめる劇だが、いまなぜ牡丹灯篭なのかという疑問は残った。もっと楽しい劇でもよいではないかということだ。
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by qzr02421 | 2009-08-26 19:04 | 劇,映画その他
東京国立博物館で「伊勢神宮と神々の美術」展を開催しているが、同じ期間で「染付」展を開催している。別々に見るとそれぞれ1400円と1000円という費用が発生するが、両方見ることが出来る券が存在していて、両方でなんと1600円なのだ。平成館を半分にして展示している。普通は両方使用して展示するのだから、展示物が少ないので、半分にしたのだろか。

染付というのは白磁の素地にコバルトを含んだ顔料を用いて筆で文様を描く技法のことだ。透明釉をかけて焼成すると、その文様が鮮やかな藍色に発色するのだ。その青に風情を感じる。中国では青花といい、欧米ではブルーアンドホワイトというのだ。日本で染付というのは、この青がきものの藍染を思い出されるので、染付というようになったようだ。

染付、中国では青花は中国の元の時代後期に、その技法と様式が完成され、明時代には宮中で使われるようになった。この染付の技術はベトナムや韓国(朝鮮)にも伝播していった。ベトナムや朝鮮の染付が展示されているが、この作品が曽野地域のものらしい雰囲気をはなっているのが、すばらしいと感じた。

元の時代、明や清の時代、ベトナム、朝鮮などの染付(青花)が展示されている。入ったところにある元の時代の作品は、なんともいえない風情を感じた。展示の最後のほうの、コレクションを展示した部屋の作品にも圧倒される。こちらの展示は年配の女性が多いのが特徴だ。伊勢神宮は若い女性、染付展には年配の女性、ともに女性が多いのが特徴だ。
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by qzr02421 | 2009-08-25 20:39 | 劇,映画その他

神自身の像があった

東京国立博物館で「伊勢神宮と神々の美術」展を9月6日まで開催している。2013年に第62回の式年遷宮を行うので、そのプレイベントのようだ。伊勢神宮というと天照大神だろうが、古代に出来た神社、天皇家と関係ある神社が生きのびてきたということは神秘だろう。

古代に天皇家とかかわりを持って繁栄し、天皇自らは行幸しないが、斎宮という制度でかかわりを持った。斎宮といえば在原業平の事件を思い出す。鎌倉時代に入っても、伊勢神宮が武士とかかわりを持つことにより、繁栄する。その武士とのかかわりを模索した神官がいたのだろう。天皇家から武士政権という時代を生きのびる伊勢神宮は素晴らしいと思う。

江戸時代には伊勢参りという形で民衆の参詣を集めるようになる。天皇家から武士そして民衆というかたちで、支持者を変化させていくのが伊勢神宮の特徴だ。展示も、その変化をよくあらわしている。天皇とのかかわりの展示、仏教と伊勢神宮の関係を示す展示(神仏習合だから、伊勢神宮にも経典など、あるいは経筒があるのだ)、遷宮をしめす展示(遷宮をしたあと、かつての遷宮前のものは土の中に埋められるのだ、それが発掘されて展示されている。埋められたからこそ残っているというのが素晴らしいのだ)、

最後のほうの展示では神自身の像があった。神もなかなか存在感のある像となっていた。地味な展示だが、結構若い人が見に来ていた。特に若い女性が目立った。このような展示に若い女性が関心あるということにも驚いたのだ。
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by qzr02421 | 2009-08-24 20:13 | 劇,映画その他

青菜、ハテナノ茶碗

落語ブームらしい。落語を大ホールで聞くと迫力を感じない。そもそも落語は小さな劇場が似合うものだ。名古屋の大須演芸場、大阪の天満天神繁盛亭などがある。大須はなくなるといいながら、しぶとく残っている。それに対して大阪の天満天神は大入り満員が続いているようだ。

大阪には200人以上の落語家が生息しているそうだ。何回か繁盛亭に行ったが、同じ落語家の落語を聞くことが少ない。はじめてみる落語家ばかりだ。それだけ落語家の層が厚いということだろう。しかし同じ話を聞くことは多い。今は夏なので、幽霊の話が多いようだ。暑気払いには丁度よい。

天満天神繁盛亭に昼席は、ツアー客などで大入り満員だ。中入りをはさんで3時間楽しむことができる。話は前座は15分ほどだが、最後の方は30分ほどの話となる。青菜、ハテナノ茶碗などを楽しむことができる。

朝10時の朝席と夜18時ころの夜席はわりとすいている。出てくる落語家の人数も少ない。料金はだいたい2000円ほどだ(登場する落語家などによって値段はちがうらしい)、出てくる落語家が少ないということは落語が長いということだ。短い落語を、たくさんの落語家から聞くのもよいが、長い話もよいものだ。
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by qzr02421 | 2009-08-23 21:46 | 劇,映画その他

丁度お盆だった

新撰組の評価は分かれるようだ。幕末にどのような意味のあった組織だったのだろうか。武士は何に命をかけるのか。土地か家名か、それ以外のものか。鎌倉時代の御家人は御恩奉公ということで、土地だろう。江戸時代は赤穂浪士を思えば、家名だろうか。では新撰組は何に命をかけて戦ったのだろか。

新撰組の隊士は本当の、由緒ある武士ではない。近藤勇や土方歳三など武州三多摩の農民出身だった。だからこそ本当の武士を求めたというのが説だ。京都という土地に命をかけたとも考えることができる。京都の町衆は新撰組を嫌ったそうだ。壬生浪人でみぶろうとよんで嫌ったようだ。

キャラメルボックスの「風を継ぐ者」はその新撰組を題材にした作品だ。新撰組に入隊希望の二人(入隊動機は不純だが、入隊を許可され、それなりに活躍する)と沖田総司、土方歳三が主人公だ。また長州に藩士もこれにからむ。どこまで史実かはわからないが、楽しめる作品だ。

役者は時代劇にあう役者とあわない役者がいるような気がする。キャラメルボックスの役者たちは、若い?のに時代劇にあう役者が多いような気がする。どうしてだろうか。彼らが、時代劇が好きということだろうか。名古屋で見たのだが、丁度お盆だったので、すいていた。名古屋のお盆に演劇をしようとするのは無謀ということだろう。
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by qzr02421 | 2009-08-20 11:43 | 劇,映画その他