本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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信長が女だったというありえない設定の劇、しかし男では出来ないようなことを信長がやったのも事実だ。男は戦(いくさ)で名をあげるのが一番重要なことで、実は平和を望んではいない、それに対して、戦(いくさ)でいつも悲しい思いをする女性は、平和を望んでいる。女である信長だからこそ、天下統一、そして天下の平和を望み、その実現向けて努力することが出来たのだという設定だ。

その女信長の女という部分を利用し、滅びていくのが浅井長政という設定だ。長政を女としての信長が愛していたから、朝倉攻めをし、そして、浅井の裏切りを信じることができず、敗走するという解釈をとるのだ。そして女信長を理解し、真に愛するのが明智光秀なのだ。信長を女に返すための本能寺の変があるということなのだ。

信長のおこなった政策は、女信長だから、やったという解釈は、それなりに納得できる部分があるのは事実だ。男ならしないだろうということがあるということだ。今川義元と戦う桶狭間の戦いも、女性らしい視点での戦いかもしれない。長い槍、鉄砲の導入も、体力のない女性だからこそという解釈もそれなりに面白い。

女は男に愛されたい、男は女を出世のための利用する、それでも女を人間として愛する男もいる、女として女を生きたい女もいる、いろいろな人間模様がある。男に愛されたいと願い男を演じるのが女信長、出世のため女信長を利用するのが浅井長政、女を人間として愛するのが明智光秀、女として生きるのが濃姫という設定だ。人間模様を感じる劇だった。
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by qzr02421 | 2009-06-30 17:09 | 劇,映画その他

本能寺の変からはじまる

『女信長』、原作は読んだ。この原作をどのようの料理するかという興味があった。そこで、大阪に足を運んだ。大阪城公園のそばにあるブラバでやっていた。ブラバに入ると幕が閉まっていた。最近の芝居は幕が開いて、舞台セットを見ることが出来る場合が結構多い。この劇はセットが見えない分、どのような展開になるか、興味深々といった感じだ。

本能寺の変からはじまる。本能寺で信長が明智光秀に殺される場面から始まるのだ。明智光秀役の中川晃教さんの高い声が印象的だ。もちろん信長役の黒木メイサは、男らしく?てよかった。そして、歴史は前にもどる。信長が女?という設定は不思議なものがある。女としての武器と、男としての戦いという二つを駆使するという設定だ。女だからこそ出来る作戦という設定でもある。

斎藤道三役の石田純一は、若い役者の中では、少し浮いていたように感じた。道三は早い時期に死に、出番が少ないのだが、さすが石田純一、幽霊で登場する、女信長が女として生きたいという気持ちを抱いたまま戦い、女という部分を忘れていく。しかし女を忘れたくないという葛藤がある。そして、本能寺となる。

実にテンポがよい、また若い俳優(タレント?)の動きもよい、セリフが棒読みというか、叫んでいるだけという感じがしないでもないが、それは劇のテンポと、ミュージカル風の演出がカバーしている。休憩を除くと2時間の芝居、楽しめる劇だった。このような劇もあってもよいという感じだ。
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by qzr02421 | 2009-06-29 17:05 | 劇,映画その他
『学歴分断社会』(ちくま新書)で、母親の学歴と、父親の学歴はどのような関係になっていると分析しているのか。母親が大卒の場合は、キャリアウーマンの場合と、専業主婦の場合がある。大卒で専業主婦という生き方を選択した女性は、子どもに大学を卒業するように圧力をかけやすいという。子どもも、母親が大卒という意識があるともいう。

父親は大卒でもリストラなどがあり、収入が少なくなる場合があるだろうが、専業主婦になった女性の学歴は固定されるという。専業主婦にならなかった場合の機会費用もかんが得ると、大卒で専業主婦の地位は高いようだ。その高さが子どものプレッシャーになるようだ。

また、高卒夫婦で地方の住んでいる場合は、その子どもは高卒で地域の会社の務め、さらにはその職場で知り合った女性または男性と結婚し、そのそれぞれの親のそばに住み、それなりに満足する生活をすることが多いという。必ずしも大学に行くことが幸せになるとは限らない例である。地方在住の子で成績がよく、東京などの都会の大学に進学した子どもは、東京などの大企業に就職し、帰郷せず、親と住むことがないことが多いという。

大卒と高卒でどちらが幸せになりやすいかということは、簡単に結論が出る問題ではないようだ。幸せとは何かという定義も重要になるだろう。地方で、高卒で、地域の会社に就職し、結婚し、親のそばで暮らすという幸せもあるということが分かる。いずれにしても親の生活レベルを越して生活するということが困難な世の中になりつつあるというのが現実のようだ。高度成長で、親の生活よりよい生活を夢見ることが出来る時代が終わったということは事実のようだ。
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by qzr02421 | 2009-06-28 19:27 |

大卒の親の子は大卒

『学歴分断社会』(ちくま新書)を読んだ。吉川徹さんで読みかたは「きっかわとおる」さんだ。軽量社会学を専攻している学者さんだ。彼によると、格差社会の格差は何から生まれるのか、それは学歴からだということだ。高卒の親の子は高卒という学歴、大卒の親の子は大卒という学歴になりやすい。高卒と大卒では、将来の収入や社会的地位に格差が出るというのだ。

実際には親が大卒で子は大卒か高卒になるパターン、つまり①同じ大卒学歴、②学歴下降、時親が高卒で子は高卒か大卒になるパターン、つまり③同じ高卒学歴、④学歴上昇という4つのパターンがある。生涯賃金は高卒にくらべ大卒は1.5倍くらいになるといわれている。高卒と大卒で労働人口を二分しているというのだ。

フリーターなど現在問題になっている層は高卒集団が多いという。学歴によって格差が固定しているようだ。吉川さんは、高卒、大卒どちらでも、希望をもって暮らすことができる社会の実現が必要といっているような気がした。努力すれば報われるという思いを持つことができる状態を希望があるというのに対して、努力しても何も変わらないしもっと悪くしれないと思う状態を絶望と呼ぶとしている。やる気の断絶を「インセンティブディバイド」という。「希望格差」というもの同じような意味だろうか。

誰しもが希望を持つことができる社会がよいには違いない。ところで、高卒の親は、子どもに強く大学進学を勧めないし、子どもも大学進学を望まない傾向にあるという。大卒の親はこれと逆ということだ。大卒と高卒の間に収入や、身分の差が生じ、それが固定化している現状が格差社会に実態なのだろう。ちなみに高卒の階層(クラス)の女子は「ギャル系」「手に職(をつける)系」「ストリート系」で男子は「SPA!系」「フリーター系」が多いと考えているとしている。「下流は」という主語は「高卒は」としても読むことができるということだ。

高校中退や中卒を減らすことが、今の社会では一番重要な政策であるとしている。そこをあげることによって、全体の幸せを考えるということだろうか。しかし、高校で教えている身としては、「なるほどそういうことか」と思える事が多い本だった。
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by qzr02421 | 2009-06-27 07:19 |

正直スマンかった

『子どもが減って何が悪いか!』を読み終えた。赤川学著だ。少子高齢化が何が悪いということだ。少子高齢化といって問題にしているのは、年金問題や医療費などの問題だ。若い人がいなくなると、高齢者が困るという視点があるというのだ。若い人は老人のために存在しているわけでなない。若い人がいなくて、税収が少なくなれば、少ない財源で運営すればようだけではなにか、などということを提起している本のようだ。

まさにその通りと思う論旨だ。自分の幸福のために、自分の生活を維持するために、少子高齢化を問題にしているのではないかという問いかけには、なるほどと納得した。リサーチ・リテラシーに手法を使い、リサーチ結果を分析していく。結論がもともとあって、その結果を言いたいために、リサーチを利用していることが多いという。リサーチ結果を真剣に見ることが大切ということが分かる本だ。ここでは書けないが、その手法がよく分かる本だった。

少子化について、それはその時代に生きている人が判断すべきだ、子どもを産むことがよいこと、結婚することがよいことという前提がおかしいというのはその通りだろうと思う。人生の生き方は、本人自身が考えるべきだろう。結婚・出産などはそのことに関係する人が判断すべきということだ。他人の迷惑にならないなら何をしてもよいということではないということには言及している。世の中に生きているので、他人の迷惑をかけない生き方は存在しないという理論は納得できた。

少子化が何故悪いということを主張することには勇気がいることだ。自分の言っている事が間違っているなら、「佐々木健介のように、正直スマンかった」と謝るし、また「男には負けるとわかっていても戦わなければならない時があると言ったキャプテンハーロック」がいた。小川直也も「男であれ女であれ負けると分かっていても戦わなければならないときがある」といっている。男女共同参画社会を支持している人たちには、とても支持してもらえない意見だけど、言うべきことだということで、彼は、今意思表示をしているというのだ。

少子化を問題にし、子どもを産むことが重要だという人に対して、小谷野敦さんの「障害を持った子どもが生まれたら、協力して育てていこうと誓い合えるような男女でなければ、結婚してはいけない」という言葉は、重い言葉だと思った。
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by qzr02421 | 2009-06-26 14:59 |
クーラーのリモコンが壊れた。電池を入れ替えたら、また動いた。しかし、また動かなくなるときもある。赤外線が出ていないのではないかと、ラジオのスピーカに向けると、ガガーと音が出ている。赤外線は出ているようだ。しかし、クーラーが作動したり、しなかったりする。時計の調整はなぜかできない。

壊れるなら壊れる、壊れないなら壊れないというようにならないと、電気店にもいけない。まだ使えますなどといわれ、帰宅したら、やはりクーラーが動かないなどとうことになるだろう。困ったことだ。クーラー本体では作動しない。緊急用のスイッチがあるから、単純にスイッチが入ったり切れたりはするが、お休みタイマーなど細かい操作はできない。最近はラジカセ(今はラジカセなどとは言わないだろうか)も同様で、リモコンでしか、細かい命令ができない。

これから夏本番、熱帯夜が来るだろう。きっとそういうときに、このリモコンが壊れるに違いない。日立に製品だが、ネットで検索すると、もう製造が中止されたリモコンのようだ。代替製品があるようだが、今のリモコンがしっかり壊れないと、だめだ。壊れないならその方がラッキーではある。ネットによると8000円ほどするようだ。

この夏は、このリモコン、昨年から実は調子が悪いのだが、冬はエアコンを利用しないので、一年たっている、一年たっても、このリモコンに調子は、ついたり、つかなかったりなのだ。早く解決してほしいものだ。できれば、このままエアコンが作動して欲しいものだ。祈る気持ちなのだ。
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by qzr02421 | 2009-06-25 17:21 | 日常
暑くなってきた。暑いのと寒いのとどっちが好きかと問われれば、寒いほうが好きと答えるだろう。名古屋の夏は、体の周りに湿気がまとわり付いているような気がする。暑いのではなく、蒸し暑いというのが実感だろう。その名古屋の夏がやってきたようだ。職場でクーラーが入ると、家の部屋が暑く感じる。

暑いと本を読む気にもならなくなる。本を読んでも、文章がただ、過ぎていくだけのような気がする。ところで、太宰治の小説の『トカトントン』というのがある。夏になると天から「トカトントン」という音が聞こえてくるような気がする。トカトントンという音とうのは、やる気がなくなる音なのだ。

この小説では、終戦(敗戦)で価値観が変わってしまったことで、今までも価値が分からなくなり、主人公が、何か頑張ろうとすると「トカトントン」という音が聞こえ、突然、今まで頑張ってやってきたことが、嫌になるというような話だったように思う。価値観の変換というのは、それくらい人の大きな影響を与えるということだろう。

太宰の『佐渡』というのも面白い小説だ。新潟?から舟で佐渡に舟で渡る紀行文なのだた、とても風情があるように思う。佐渡を見て、大陸と思ったりして、太宰の感情の移り変わりが分かる様な気がする一冊だ。是非『トカトントン』と『佐渡』を読んで、太宰の世界を感じてみて欲しいものだ。ところで太宰治と松本清張が同じ日の生まれたのだ。1909年、太宰は青森県で、清張は福岡県で生まれたのだ。太宰は39歳で、清張は82歳で死んでいるということだけのことだ。しかし同じ年に生まれたという印象がないのが普通のことだろう。太宰は1948年に死んで、清張が『西郷札』でデヴューしたのが1950年というのも不思議なことだ。
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by qzr02421 | 2009-06-24 18:16 |
日本の古代史は記紀つまり古事記、日本書紀をどれだけ信用するかにかかっている。考古学では古墳の拡大?が分かるだけだ。だけ、といっても、畿内(桜井)から発展して、西日本・九州そして関東甲信越まで勢力範囲にしていることが考古学でわかるという。3世紀後半から7世紀までの古墳時代の概要がつかめるのだ。

この古代史に異議?を唱えるのが「小林惠子」さんだ。あまりの説なので、古代史関係の学者も反応すらしないようだ。天智天皇と天武天皇は兄弟ではない、天武は実は高句麗?の貴族?で、当時は、アジアとの交流が深く、支配者はアジアや日本(倭)移動していたというのだ。中国の歴史書には、邪馬台国と東倭という二つの国が中国の朝貢したという記述があるというのだ。

これを信じるなら、邪馬台国は九州のクニで、ヤマトには別の東倭というクニがあったことになる。神武東征をどのようの考えたらよいのかはわからなが、二つの倭があったという説は、それなりに面白い。奈良時代より前の日本古代史は、信じることができる史料がない?ので、いろいろな説を考えることができるのが面白いということだろう。

伊沢元彦さんと小林惠子さんの対談をおさめた『記紀史学への挑戦状』を読んだが、それはそれで面白い説が展開されている。森鴎外は『帝諡考』で天智という名は、殷の紂王が死ぬときに身につけていた宝石の名で、天智玉というのだ、不吉な石という意味がある。そのような名をつけるだろうかと話が展開していく。それなりの面白い本ではあった。
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by qzr02421 | 2009-06-23 17:07 | 歴史
横浜が低迷しているということで、みのもんたが切れたというニュースがあった。借金が20あるということだ。しかす、一位があれば、最下位があるのが現実だ。ある意味、最下位があるから、一位があるのだ。一位の人やチームは最下位の人やチームに感謝することが必要だろう。

6月末から7月はじめにかけて高校では期末考査がおこなわれる。中間考査と期末考査をあわせて、一学期の成績というものが出るのだ。昔、成績をつけるのはおかしいということで全員に3をつけて退職した人がいるという伝説がある。しかし、自分だけ成績をつけなくて、それでよしとする精神はどうのようなものだろうか。

生徒には成績がつくものだし、さらには会社に入っても考課というものはあるのだろう。人間として生きている以上、評価というものを避けては通ることはできないものだ。どのような場でも順位はつくということだ。高校時代の成績の順などというものは、会社での給料にかかわる考課と比べれば、たいしたことがないと思う。どんどん評価すればよいのだ。

人間の能力には個性がある。できる、できないも個性という理解でよいではないか。できないものはできないものだ。それでよいではないか。できるはずといって、無駄な努力をするのも、それはそれで無駄ということだろう。最下、一番などということに捉われずに、自分の、あるいはチームがどのような努力をしているかを評価することが大切だと思う。
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by qzr02421 | 2009-06-22 21:57

女性のうつ病が増加?

うつ病が広がっているというニュースがあった。うつ病が広がるほど、現代社会は病んでいるのか。あるいは、情報社会なのでうつ病が広がっているのがわかるのか。その相関関係はよく分からない。鎌倉時代にうつ病はあったのだろうか?うつ病という考えがない社会では、うつ病だとしても、うつ病は発見されないだろう。発見されないのか、存在しないのか、どちらであろうか?

男性のうつ病が多く、女性にはうつ病は少なかった、女性の社会進出の結果、女性のうつ病が増加したというのが定説だが、女性が社会進出し、健康診断をすることができるようになり、女性のうつ病が増加したのか、この相関関係はどのようなものだろうか。現象と現象の関係は、あると思えばあり、ないと思えばないというところがある。

男性が家事をすると少子化を防ぐことができるという意見がある。その反面、共働きは子どもの数が少ないという意見もある。女性が高学歴で、定職を持つと、子どもを産まないという説もある。都市化すると少子化になるという説もある。農村で貧しいと子だくさんという説もある。いろいろな現象を結ぶ関係は分かるようで、実は分からないことが多い。

自分の良いと思う政策を正当化するために、調査結果を利用する人もいるという話もある。少子高齢化の原因は何なのだろう。都市化が原因とすれば、農村中心の時代に戻ることはできない。ということは、少子化を防ぐことはできないのだろうか。子どもが減ったらなぜ悪いのだろうか。年金が・・・というのなら、ただ老人が困るだけということとなる。少子高齢化は何故いけないのだろうか。誰にとっていけないのかということを考えることが必要だろう。
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by qzr02421 | 2009-06-21 21:08 | 日常