本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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ニセモノの唐津城の天守閣(模擬天守復興ということだ)を外から眺めながら、城までの石段を上った。途中素晴らしい藤棚があった。城からは(天守閣ではなく、城だ)虹の松原を見渡すことができる。絶景だ。虹の松原は三大松原の一つだ。三大・・・というのはよくある言い方だが、誰が言い出したものだろうか。不思議なものだ。ちなみに、三大松原とは、三保の松原、天の橋立、そして虹の松原の三つだろう。唐津城から北を見ると「高島」を見ることができる。宝くじ当選にご利益のある神社?があるということだ。

唐津といえば唐津焼きだろう。今回に団体旅行では唐津焼の工房などに行くことはない。唐津焼きはホテルの売店に売っていた。一萩、二楽、三唐津ということだから、名品が多いのだろうか。予定では唐津神社のあとは、「からつ焼き 炎群」へ行く予定だったのだが、今回はあきらめた。またの機会ということにしよう。

ということで、予定の「唐津神社」・「からつ焼き 炎群」あきらめ、ホテルに戻ることにした。この判断は正解だった、なぜなら雨が降ってきたからだ。明日は柳川だが、雨の予感がした。ホテルでの夕食は会席料理だったが、ほどほどの量と美味しさだった。30分ほどで食べ終わる。同じテーブルの男の人が「宴会なら2時間はかかるのに・・・」と言っていた。何処かの会社の部長さん(退職はしているらしいが・・・)らしい人だった。この人は、焼酎のお湯割りを頼んだら、ロックの焼酎が来て、従業員は何を聞いているのだと、怒っていた。私なら、まあいいかと、飲んでいるかもしれない。最近は短気な人が多いように感じる。

食事を終え、風呂に入る。ラジウム温泉?ということだ。手足を伸ばして、風呂に入るのは気持ちがよいものだ。旅の醍醐味のひとつだろう。部屋の帰り、テレビをつけたら、「サウンドオブミュージック」をやっていた。おもわず見てしまったが、酒を飲みながらだったので、最後は寝てしまったので、ナチスの追われ、アルプスを越えるシーンを見ることは出来なかった。実際はアルプスを越えて逃げることがなかったという話だが・・・
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by qzr02421 | 2009-03-04 11:24 | 旅行
景気が悪いと言っても、格差社会という言葉があるように、凄く悪くなった人たちと、それほどでもない人たち、さらには、よくなっている人たちもいるようだ。中流の崩壊で、皆が平等の生活というものがなくなっているように感じる。29800円の旅行を久しぶりに申し込み、参加した。九州4日でこの値段だ。飛行機代、ホテル三泊、バス代、どこの儲けがあるのか、あるいは普段は儲けすぎているのか、まったくよくわからない値段だ。

それはともかく、セントレア14時というとても中途半端な時間のフライトで福岡空港に向かった。セントレアもできたときには結構な人が押し寄せたのだが、最近は閑散としているように感じた。出発前に若鯱屋でカツ丼定食なるものを食べたが、それほど昼時なのに、混んではいなかった。もしくは行列はできていなかった。それでも食べている人がいるのだから、格差社会の一面をあらわしているのかもしれない。

福岡空港に到着、ホテルまでの送迎バスに乗る。福岡は曇りだった。天気予報は雨時々曇りだから、雨が降らなければラッキーだろう。今夜泊まるホテルは「唐津ロイヤルホテル」だ。17時頃到着、夕食が18時半ということで、「唐津城」を見学に行った。この時間だから外観を見るだけだ。ホテルから西に向かうと橋があり、そこからの唐津城は素敵なものだった。小笠原家の居城だ。実は、唐津城を築城したのは寺沢氏(寺沢氏は断絶した)で、次には播磨国明石城主大久保忠職が城主に、大久保氏が下総国佐倉城に転出し、松平乗久が入城し、松平氏が志摩国鳥羽城に転出し、土井利益が入城し、土井氏が下総国古河城に転出し、三河国岡崎城より水野忠任が入城し、その転出後、奥国棚倉城より小笠原長昌が入城し、その後明治維新まで小笠原氏の居城となったというわけだ。江戸幕府の転封の様子がよく分かる例だと思う。


あとから聞いた話では、5層くらいの城が復元されているのだが、実際は砦のような構造の城だそうだ。城というのは、砦にようなものだから、あの5層のものは天守閣と呼ぶのだろうが、唐津城は天守閣はなかったということだ(最初はあったという記録もあるそうだ)。橋から見ることができる天守閣は、町おこしの一貫として作られらたものなのだ。町の有力者の意見でつくられたらしい。小牧城と同じだ。小牧山の上に立つ天守閣も、歴史的にはおかしなものなのだ。
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by qzr02421 | 2009-03-03 08:24 | 旅行
長野で不幸があったの葬儀に出席した。誰かが「告別式と葬儀はどこがちがうか」と質問していた。わたしが経験している仏式では葬儀と告別式をつづけて行っている。だから両者をあわせて葬儀というのだ。本当は、葬儀というのは死んだ人の成仏を祈る儀式のことなのだ。

死んだ人と別れをする儀式を告別式と呼んでいるのだろう。だから葬儀は遺族や近親者や死んだ人ととくに親しかった人たちで行なうということとなる。また、一般の人が参列する儀式を告別式ということとなるのだ。

名古屋では、葬儀の前の晩に通夜式がある。もちろんお寺さんのお経の中でおこなわれる。ほぼ30分ほどで終わる儀式だ。次の日が葬儀で、これもお寺さんお経の中でおこなわれる。ともにお焼香が列席者にはある。葬儀の最後は出棺で、その後遺体は焼き場に向かうこととなる。その後は、初七日が開催され、一連の儀式は終わるのだ。

長野では、通夜式はあるのかないのかよく分からない。お寺さんはこない。親族などがお棺の前で、食事をして酒を飲み、故人を偲ぶというかたちをとるようだ。次の日は、まず焼き場に行く。ここでも酒と食事が出る。お骨にして、斎場に向かう。ここから告別式があるようだ。一般の人がお焼香に来る。この場では、お寺さんはいない。一般の人がお焼香を済ませ、随時帰宅したあと、本来の意味の葬儀が、親族と近親者と親しい人が参列して始まる。ここではじめてお寺さんのお経が始まる。ここでもお焼香はある。これが終わると、しばらく間があり、初七日のお経が始まる。これで、葬儀・初七日式が終わり、精進落しとなる。精進落しで全体の儀式は終わりとなるのだ。

このあと、お墓に行き、納骨し、家に帰る。その後、奇数の数の男がお寺に行くという順だった。このお寺に行った男が帰宅して、全部の儀式が終わるようだった。これは長野の伊那というところの儀式だったが、各地でそれぞれ違うように葬儀というのはおこなわれているのだろう。都会は斎場で同じような形でおこなわれているのだろうか。和から異事が多いのが葬儀というもののようだ。
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by qzr02421 | 2009-03-02 08:19 | 日常