本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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年末は家族全員が風邪のような症状になった。しかも、時間差だ。4人同時ということではないということだ。まず長女が発熱などの症状になり、二日ほどたいへんな状況だった。これで終わったかと思ったら、妻は大阪でリチャード三世を見ているときくらいから、調子が悪くなった。長女が12月22日発病だから、妻の発病は25日夜ということだ。

話の暗いリチャード三世とともに病気になるのは気の毒のように見えた。劇を見ながら、うつらうつらという状況だった。午前中のじゃんじゃん横丁の時は元気だったのに、病魔というのは突然来るというのがよく分かることだった。しかし帰宅したからの方が妻の症状は大変だった。

私は27日の夜発病した。夜の演劇の音響のオペレートをしているとき発病した。突然お腹が気持ち悪くなり、発熱したようだ。体温計がないからよくは分からないが、冷や汗が出て、集中力がなくなるという感じだった。よほど途中で帰ろうと思ったが、最後まで音響のオペレートは出来た。外に出たら、体は震え、自転車の鍵穴に、鍵が入らない状態だった。これでここから家に帰ることが出来るか不安だった。

途中自転車の乗ったり、歩いたりして、ともかく家にたどり着き、薬を飲んで寝た。二日ほど大変な状況だった。最後の一人が長男だ。長男になるべく接しないようにした。それでも、一つ屋根の下だから、不安はあった。ついに30日夜に長男が、気持ちが悪いという状況になった。発熱はそんなにはしていないようだ。この風邪?は胃腸風邪のようだ。気持ちが悪くなるのだ。それでも31日は長男は出勤した。

長女が22日、妻が25日、私が27日、長男が30日という感染だ。夫婦の間が2日で子供との間隔3日ということだ。夫婦の方が一緒にいる時間が多いので発病の間隔が短いのだろうか。ともかく、年末一家で発病ということで、一年は終わろうとしている。しかし、長男は来年に引きずるようだ。

それにしても、無事一年が終わろうとしている。そして来年が来ようとしている。古い年に感謝し、新しい年を迎えよう。新しい年も、また、精一杯生きたいものだ。いや生きるのだ、それでいいのだ。
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by qzr02421 | 2008-12-31 20:39 | 日常
日本は、「外国は素晴らしく、日本は遅れ劣っている」と思うことが多い。これを「距離と時間のおかげで生まれた蜃気楼効果」と呼ぶ。外国も素晴らしいことばかりではなく、おぞましく劣っている部分が必ずあるということを理解しないのが日本人ということだ。つまる日本人は外国の一部分しか見ていないということでもある。

フランスの犬を行儀がよいらしいのだが、それはなぜか。行儀の悪い犬は淘汰されるからだという。つまり人が飼っている犬が、人に反抗することがあれば、殺してしまうということらしい。だから、その淘汰の過程で、行儀の悪い犬はいなくなり、残っているのは行儀がよい犬のみということになるのだ。凄まじい話だ。しかしこれが真実なのだ。

日本以外の国々は、外国文化への憧れが強くなく、どちらかいえば、外国は劣っていると思っていることが多いらしい。ヘレネスとバルバロイということだ。ウラジヴォストックという都市名は日本にとっては失礼な名前だが、ロシアは変えようとしない。この名称は
「東(日本)を征服せよ」という意味だ。ウラジェーチは征服するという意味で、その命令形がウラジェそして東のヴォストークが合体した名前なのだ。ウラジミールというのは「世界を征服せよ」という意味になる。

日本は征露丸(ロシアを征服する)を正露丸と改めたし、支那という名称も止めた。シナはワードでも漢字変換されないのだ。日本人は日本の中で、世間体を気にして生きている。それと同じで、外国に対しても気を遣うのだが、外国は自分は正しいという文化のようで、周りの国に気を遣うことが少ないというのが現実だろう。
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by qzr02421 | 2008-12-31 12:34 |
今日12月30日、家族4人が揃ったので今年最後の食事会をした。4人が全員揃うということが難しいようだ。仕事や遊びなどの予定がそれぞれあり、家族が揃うということも少なくなってきた。家族で共に食べるということが重要なことだと思う。来年最初の食事会を1月3日に決めた。元旦にはそれぞれ別な食事をするということになりそうだ。

その食事会の場での会話だが、相手が浮気をしたら、連れ合いはどうするかという話題になった。相手は男でも女でもよいのだ。もちろん連れ合いも男女を問わない。男が浮気をするというのは単純な思い込みだろう、という認識だ。

そこで、選択肢としては①許す、しかし単純に許せるものではないだろう。きっと恨みが残ることだろう。許すというのはありえないだろう。しかし、そのような関係もあるのだろう。②許さない、許さないならどうする、分かれるのか?難しい問題だ。それ以上の進展がない。愛は永遠かという問もある。許さないなら結論は簡単だろう。③罰を与えて、それで考える。罰で一応浮気ということを確認し、それでそれ以降を決めるということだろう。まあ、一番ありそうな道だ。浮気をする相手なら、また浮気をするという可能性もあるだろう。私は納豆が嫌いなのだが、長男も嫌いらしい。納豆攻めなどという攻撃にあったらどうしようなどとは思った。

④浮気はありえない、そのようなことはない。というのが最後の選択肢だ。浮気の一歩手前で阻止するということだろうか?浮気をするような状況を作らないということだろうか。浮気をするというときは心にすきがあるということだ。男女の関係のすきを作らない関係をつくる努力をするということだ。

出来るかどうかはわからないが、④という選択肢をまず選ぶというのが重要なことだろう。愛は永遠ではないだろうが、永遠になるように、愛にエネルギーをいつもつぎ込む努力というのが大切なことだと思う。愛は風船のようなものだろう。空気がなくなる前に、愛の空気を入れることが重要なことだ。1月3日はどのような話で盛り上がるのか楽しみなことだ。
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by qzr02421 | 2008-12-30 21:11 | 日常
『中庸、ときどきラディカル』を読み終わる。小谷野敦著だ。名を挙げて教授を目指そうというのか、単なる成り行きか。こだわりの愛国者か?様々の刺激を受けた。
 
学者としての研究姿勢は好感が持てる。論争する時の態度は素晴らしい。新説を主張するのなら根拠を示せというのもその通りだ。議論の中で、これは分かるとか、こういうことなら理解できるといういい方もよい。
江戸時代を理想的に捉えるのはおかしいいう主張はそういうことかと思った。遊郭を悲惨なところと捉えるのだという。江戸時代は遊郭に行くのはこっそりといったらしい。どうどうといった訳ではないようだ。

密告の考えについて、最近の内部告発とのからみ、共同体を維持するという発想、どこかで聞いた話だ。間宮林蔵がシーボルト事件の発端だということで、かれが密告したことを非難するのおかしいというのはその通りだ思った。フェミニズムのいかがわしだも同感だ。愛国心というものを今一度考える必要を感じた。カルチャーセンターのテーマでもあるが、定説を疑うという姿勢を大切にしよう。思い込みはダメだ。

自分の専門以外は、どこまで覚えたらいいのかという基準がわからないようだ。もしくは専門だと覚える事の基準が甘くなるのかもしれない。彼は日本史で石器の種類まで覚える必要があるのかと問う。しかし日本史は教えているときには覚えることといっているのだ。このあたりの兼ね合いはどのように考えたら良いのだろうか。

 『中庸、ときどきラディカル』より抜粋する。
・中庸の重要性、両方の極端に走らないこと、右か左かではない、バランスを取る
・だれでも努力すれば国際人になれるという幻想
・外国で育てられる子どものIQが低いと両方の言語が習得できないということがある
・東夷は民族を示す言葉で地域を示す言葉ではない
・国民国家は諸悪の根源か?
・機会は平等ではない、努力すれば誰でも成績は良くなるのか、遺伝を無視するのか
・最近の大学生いろいろ
品詞の概念がない、自動詞と他動詞の区別がつかない、語彙が貧弱―王女お女王の区別がつかない、ぞんざいの意味、引く手あまたの意味、足下を見られる意味がわからない、共和政、君主制、世襲、桜田門外の変、アメリカに二大政党、リビアの最高指導者、韓国の大統領を知らない、川端康成の小説も読んでいない
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by qzr02421 | 2008-12-30 14:33 |
京都の町は平安遷都から1200年以上たっている。平安時代は怨霊などが信じられた.
早良親王、菅原道真など祟る人いるのだ。壷の霊で人が死ぬことがあるのだろうか。壷に見せられ、人生を変えてしまう人がいるのだろうか。

それとは違って、京都弁は風情があるように感じる。「あほなこと言わんといて下さい」「帰さへんわ」「浅見さん、京の女は恐ろしおすえ」などだ。内田康夫の最新作『壷霊』はその京都が舞台だ。京の探索は「安井の金毘羅さん」から始まる。ここは縁結び、縁切り祈願の金毘羅さんなのだ。どちらかというと、縁切り祈願が主のようだ。その後八坂の塔、祇園、高瀬川、嵯峨、嵐山、蹴上、紫式部のお墓、老ノ坂などを廻りながら、事件を解決していくのだ。

もっとも、内田氏のストーリーは変化球というか暴投球というか、不思議なストーリー展開がなされているので、気をつけて読んでいかないといけない。ともかく、浅見光彦が「京のグルメレポート」を依頼されることから話は始まる。四条の高島屋の7階にある「ダイニングガーデン京回廊」にある16店舗食べあるて、記事を書くという実の単純な仕事の依頼だ。

話の中で、この店で食べる場面が登場するが、実に美味しそうだ。「つな八」の久蔵丼という天丼、3050円だが、車えびなど天ぷらが山盛りという記述がある。「東洋亭」の東洋亭風ハンバーグテーキもデミグラスソースがたっぷりかかって、これで1050円とある。

食べ物の話はこの他にも、精進料理、京の料亭の素晴らしさ、京の出前の弁当など、美味しそうな話が満載だ。ところで、事件は、失踪した女性と、紫式部という壷を探して欲しいと依頼されるところから始まる。失踪した女性は生きているのか、壷の行方は?そして殺人事件が・・・上下二巻だが、字が大きいのであっという間の読むことが出来る。京都と京都の食べ物の話を中心の読めば、楽しいだろう。光彦をめぐる女性もそれなりの面白い。京都弁の柔らかさが、この話の怖さを引き立てているような気がした。
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by qzr02421 | 2008-12-30 10:58 |

教師の存在の怖さ

「僕たちの好きだった革命」を以前見た。劇の感想を書きたくなった。全共闘世代の主人公が事故で意識を失い、30年後の意識を取り戻し、高校に再入学して、ひと騒動あるという話だ。最後は主人公が死んで終るのだが、その当時の高校生の影響を与えるという。

高校生に影響を与えるということは怖いことだ。高校生の人生の責任は持てない。教師の存在の怖さと同じだ。その高校生はPKOに参加するという。複雑な心境になる。それ以外は30年前に人物と当時に高校生の会話のギャップが面白い。むかつくという言葉は30年前気持ちが悪いという意味でしかなったということが分かる。

声は聞こえにくかった部分があったが楽しめる劇であった。全共闘世代の団塊の世代は愛国心があるということが分かる。愛する国の形が違うということのようだ。スライドを利用していたり、カーテンを利用した場面設定などがあった。また他者に対する愛が感じられる。クラスメートだから頑張ろう、運動は強制ではない、止めたい人は止めれば良い、それはその人の自由だ、裏切ったのも事情があるのだろう、参加したければ参加すればよい、運動をするのは未来を信じるからだ、未来に絶望するほうが疲れるだろうなどなど。立派に戦い立派に負けるのだ。未来を信じることが大切なことだ。いきるテーマは何か。子どもの為、それが生きるテーマになるのか、それでよいのか。ガリ版だ、アジびらだ、クラス討論を要求する、全校集会だ、みんなきっと来など当時の雰囲気を再確認した。

ビートルズが否定される時代に生きた人物、現代はビートルズは教科書の載っている。時代はある意味では進化しているのだろう。熱い男の話だ。席は満席ではなかった。名古屋の劇は満席にならないのか。キャラメルボックスが名古屋に来ないのも採算の問題か。劇も儲からないと来ないものだ。人が来なければ劇団の来ないよう事だ。中村雅俊の歌も良かったと思う
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by qzr02421 | 2008-12-29 12:08 | 劇,映画その他

演者の口元に注目する?

人前で話す場合は、笑顔で、大きな声で、はっきりと、落ち着いて、聞き手の反応を見ながら話すというのが基本原則だが、腹話術の場合はこれプラス口元をきれいにするというのがあるそうだ。腹話術の場合は観客が演者の口元に注目するからだそうだ。それはそうだろう、腹話術では、演者の口元が動いていないかを注目するだろう。

腹話術が上手になる方法は、「下手」と言われてもやってみること。「面白くない」と言われてもやってみること。さらに「唇が動いている」と言われてもやってみることだそうだ。ともかく「場数」を踏むことが重要のようだ。破裂音?まみむめも、ばびぶべぼ、ぱぴぷぺぽは、唇が動くので、違う言葉で言い換えることが基本だそうだ。考えてみればそうだろう。

「むすめさん」ではなく、「じょううさん」、「びんぼう」ではなく、「おかねのないひと」のように言い換えるのだそうだ。「ぼくと、ともだちになってね」ではなく、「わたしと、なかよしに、なってね」というように言い換えるのだそうだ。結構気を遣うのが腹話術のようだ。

『腹話術入門』花丘奈果著だ。上唇の変わりに上前歯で、下唇の変わりに舌を使って発生すると唇は動かないのだそうだ。舌の動かし方を試行錯誤しながらトレーニングするのだ。マスターするには相当の努力と根気が必要らしい。腹話術の発声練習は一日30分以内としないと、声をつぶすことがあるとのことだ。

人形が話すときには、人形に注目が集まるように、人形の動作を大げさにすることが基本だそうだ。ともかく、練習あるのみということのようだ。
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by qzr02421 | 2008-12-28 17:42 |
平日の昼、落語を聞くという楽しみがある。客層は年配だ。世間は派遣を解雇し、その解雇された派遣の人々がデモ行進をするというニュースが中心だ。しかし、落語を聴きに来る年配の人の存在もある。年金をもらい逃げ切りを図るお年寄りと、職がなくなり、住む所もなくなった若者と対比が現代の特徴のようだ。よい時代ではないのだろう。

ところで落語だが、「春風亭柳橋襲名披露公演」と題するものだ。春風亭拍枝という真打がこのたび柳橋を襲名し、その披露公演が東京から9月に始まり、12月に名古屋に来たということだ。歌舞伎も同じだが、襲名披露というのは大変なことのようだ。

5人の落語家と、1人の漫談師で3時間近く楽しむことができた。まず、春風亭べん橋が、「じゅげむ」を演じた。生まれた子供に名前をつけるというものだ。私の妻も演じている演目だ。名前を付けるのに相談に行く相手としては、和尚や家主などがあるが、今回は家主だった。初七日とお七夜の間違いが面白いところだ。演技する人は視線と姿勢が重要だということが分かる演じ方だった。

二人目は笑福亭鶴光による「時うどん」だった。関西に落語家さんなので「うどん」だ。また「けんだい」がある。関東なら「時そば」というものだ。関東と関西の落語に違いがわかるというものだ。3人目は春風亭小柳枝、ここで中入り、続いて襲名披露、そして三遊亭小遊三、漫談の新山真理、そして最後に柳橋による「芝浜」で終わった。

新山真理の漫談では、刑務所に若手が慰問に行くという話があった。刑務所は血液型がB型が多いそうだ。かっとなって殺人をするのはB型、次の多いのがAB型で、コソドロが中心だそうだ、さらにO型は親分肌なので、子分が捕まりその自供で捕まるということだ。おちは刑務所にはA型がいないということだ。なぜならA型はB型に殺されたというのだ。何かひどい話だが、なぜか面白いと感じてしまう、自分が嫌だった。
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by qzr02421 | 2008-12-27 12:07 | 劇,映画その他
いのうえひでのりが満をきしてシェークスピアを演出した作品「リチャード三世」を見た。劇の開演が2時だったので、午前中は通天閣周辺を散策した。一回じゃんじゃん横丁の串カツを食べて見たかったのだ。串カツの店がたくさんあって、どこに入ればよいのか迷ったが、この地域はほとんどの人が、朝から酒を飲み、串カツなどを食べている。平和なのか、退廃なのか、よく分からない町だ。

名古屋の味噌串カツを想像したが、ここの串カツは上品な、揚げたてというものだった。この町とこの串カツのギャップが面白いと思った。串カツは美味しかった。さらに寿司も食べた。これも安くて美味しかった。この天王寺から大阪城公園に移動して、いよいよ「リチャード三世」だ。

古田新太がリチャード三世を演じる。悪役だ。ともかく人をだまして、王位につくのだ。そのだましかた、人の殺し方は悪逆非道で、かえって気持ちがよいくらいだ。しかし後半は人心を失い、つまり求心力を失い、失脚し、殺されるという運命をたどるのだ。知っている話でも、いのうえひでのりの斬新な演出は楽しむことができた。

それにしても、シェークスピアはやはり難しい。平家と源氏の戦いなら理解しやすが、ランカスター家とヨーク家、さらにはチュウダー家というのは、日本人には馴染みがないし、分かりにくいのではないかと感じた。やはりシェークスピアは難しいのだ。安田成美、榎本孝明、大森博史、三田和代など演技は見栄えがあった。二階だったので、時々セリフ聞こえにくかったのは残念なことだった。しかし最近の芝居は、有名な人を出さないと、劇場が満員にならないようだ。文化の問題なのだろう。これも残念なことだ。
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by qzr02421 | 2008-12-26 10:13 | 劇,映画その他

博物館の法則では・・・

日本人は印象派が好きなようだ。モネ、ルノワールなどは日本人の感覚にあっているのだろう。自然が、自然そのもののように描かれているように感じる絵が、日本人にピッタリと合うと思う。名古屋市美術館で「モネ、印象日の出展」を開催している。12月23日から2月の8日までだ。博物館の法則では、「あとに行くほど混んでくる」というものがある。

もっとも私が考えた法則だが、行かなくてはと思いながら1月の終わりになってしまうのが人情というもののようだ。というわけで、開催二日目に見に行ってきた。大学生なので、900円、割引券があったので、800円で入場した。成人は1300円、高いようにも思える。まずは、モネ以外の印象派の絵が迎えてくれる。法則はあっていて、程よい人が絵を見ていた。ある程度、人がいないとさびしいものだ。

吉原治良展に時は人がいなくて、さびしい思いをした。まる、まる、まるという印象の絵だった。印象派の絵は、海など自然が一杯だ。絵を見ていたら、年配の人が、「この絵には風が描かれている、すごい絵だ」と呟いていた。その声を改めて絵を見たら、確かに風が・・・描かれているように感じたように感じた。実は、よく分からなかった。タッチは確かに、風のように見えるが、それは印象ではないのだろうかとも思った。

「印象日の出」一階の大きなスペースで、たった一枚展示されていた。パリのマルモッタン美術館所蔵の絵で、日仏交流150年周年記念での展示で、日本では3回目の展示ということだ。まあ、図版ではよく見る絵だが、たった一枚展示されている姿は、孤高の絵という感じがした。

第一回印象派展に出品された時は、「子供じみた絵」「壁紙の方がまし」という評価で、それをよく評価したのがゾラだったということは有名な話だ。その絵が目の前にあるというのは、まあ、感動的なことだ。あまり感動はしなかったが・・・どうして感動しないのだろうか。光を切り取ったという感じはよく分かる。新しい技法ということも分かるのだが・・・自然に浸るには印象派の絵は素敵だ。今年中に行ったほうが、空いているのではないだろうか、もちろん土日を避けて、金曜日は夜8時まで(1月2日を除く)なので、それも狙い目だろう。ともかく日本人は印象派が好きなので、混むのではないだろか。」
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by qzr02421 | 2008-12-25 22:03 | 劇,映画その他