本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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本と劇の思い出を記す。まずは、「スウイ―ニー・トッド」という劇のことである。悲惨話だ。全員が最後は死んでしまう。復讐劇だ。ミュージカルということで、雰囲気が明るい分、凄惨さが増すというものだ。しかし、床屋をしていて、客を殺して、パイにして、それが美味しいというのが、少し気持ちが悪い。復讐の結果が、哀れという感じもする。
大竹しのぶに歌がなかなかだった。彼女の「女教師は二度抱かれる」の演技の方が可愛くて好きだった。

『夢十夜』という本と劇についてだ。本もわけがわからないが、やはり映画もわけがわからない。それはそれで面白かったが、何が面白いのかはよく分からない。とにかく十夜を見た。十人の監督が、それぞれの解釈で1話づつ描いた物だ。

「マリーアントワネット」という劇についてだ。華麗なミュージカルであった。途中、眠たくなるほどの劇だった。面白かったが、今一つ歴史を描いていないような気がした。革命にオルレアン公が関わってるという筋だが、本当なのかな。調べなくていけないことだ。マリーの民衆に対する無理解が良く描けていた。貴族には民衆の気持ちは分からないのだろう。映画とはまた違う感じの話だった。女性が多い、いつもながら女子トイレが行列だった。木曜日ということでトークがあった。結構面白かったという印象だ。

『ドンキホーテのピアス11』を読む。その本から抜粋する。

「理解できないものにたいしてしゃべり続けることは、一番有効な拒否になる。」

「人は不安を抱えて生きているものだ。不安をなくすために何かにすがろうとするがやはり不安がなくなることはない。」不安を抱えて生きることがいきることなのだろうか。

「ヨーロッパ人はじゃんけんをしない。偶然に身をまかせる生き方をしない。まず主張から始まる。弁がたつ子、腕力がある子、説得力がある子が勝つ文化である。」
競争心と自己主張が欧米か?じゃんけんは三すくみでこれからの時代のキーワードになるという。

「基本イメージをつかむということ。反対は分析である」

「戦争が起こる理性的な理由はない。いまやらないとやられるという感情から始まるのだ。」

「結果と原因の関係をしっかりつかみ、見極めることが重要だ。少子化の原因は女性が子供を産まなくなったことではない。それは結果である。原因は別にあるのだ
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by qzr02421 | 2008-11-30 07:48 | 劇,映画その他
内定取り消しという現象がおきている。ありえないことだと思う。しかし、入社社ご会社が破綻すればそれはそれで大変なことだ。高校の授業では「大日本印刷事件」というのを扱う。この授業では口頭の内定は法的拘束力がないと教える。

それに対して、形式的なものでも試験などを経て、書面による内定は「労働契約」が成立したものとみなされると教えるのだ。このことが確立したのがこの「大日本印刷事件」なのだ。ある学生が内定取り消しを不当であるとして、最高裁まで争い、結局学生が勝訴してという事件だ。この判例以降は内定はある一定の地位を占めるようになったのだ。しかし判例では、内定を取り消すことが社会通念上致し方ないとをみなされる場合は許されるともしている。

現在の、「かつてない不況」という中での、内定取り消しは社会通念上どうかということになるのだろう。ちなみにこの大日本印刷事件の学生は、大日本印刷に就職、その後子会社に社長として出向したという話だ。そのことを確認しようとしたが、その記事が見つからない・・・この人は既に死亡しているということだ。(生きていたら御免なさい)このあたりは未確認情報!
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by qzr02421 | 2008-11-29 10:34 | 日常
男と女が暮らすということはある意味難しいことかもしれない。価値観の違う男女が、同じような価値観だと誤解して暮らすのが夫婦生活というものかもしれない。同じ価値観であるはずがないのだ、違う人間なのだから。違う価値観を認めるという生きかたを選択するのが賢い選択だと思う。人は人、我は我、されど仲良きということだ。

「恋愛上手のなるために」という映画のパンフに、恋愛上手の分岐点というチェックシートがあった。9問ある。次のセルフチェックで5つ以上チェックがついたら二人の関係がピンチということだ。
①忙しい朝の洗面所、優先権があるのは彼より私。
②エアコンの設定温度は、私優先。
③トイレを使いたいとき相手が使っていたら、急いでもらう。
④ベッドの消灯は彼の読書よりワタシの眠さ次第。
⑤相談もなく部屋を模様替えされたらイヤ!。
⑥ケンカしたら、先に謝るのは彼。
⑦愛してるなら、もっと大事にしてほしい。
⑧たまには距離をおいてほうがイイかも?
⑨最近、会話の飽きてきた。
という9問だ。

映画は、夢か現実かが分からないというような展開だ。愛する二人でも、会話が滞り、相手が分からなくなるということがあるだろう。実は、相手は分からないということが真実なのだろうが、愛のために、相手を理解したと思うということが誤解の始まりのようなきがする。

理解しあえないから、二人の関係が面白いというように考えたほうが良いように思う。理解できないから、理解しようと努力するのだろうが、結論は、結局理解できないのだ。しかし、理解しようと努力するところに愛があるのだと思う。
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by qzr02421 | 2008-11-28 09:04 | 劇,映画その他
紅白歌合戦の出場歌手が決まったそうだ。新しい歌手がどのような人が分からない。名前を聞いたことがある人もいるが、全然知らない人もいる。世代間のギャップということだろうか。しかし、紅白歌合戦という天下の番組で、知らないということがあっていいものだろうか。

価値観の多様化が言われているが、まさに価値観が多様化しているということだ。紅白歌合戦というものの存在価値もそろそろ終わりということのような気がする。歴史を学べば、永遠に続くものなどはないということが分かる。栄えるものもいつかは滅びるのが世の常田。無常というのは日本人の感覚にはピッタリあうような気がするのだが、それでも今が永遠に続くという思いを人は持つもののようだ。

価値観が多様化するというなかで、テレビの番組作りは、また新聞の紙面作りはとても大変な状況になっているということだろう。かつてのように、家族が一つの番組を見る時代は過ぎ去ったということだ。テレビは、そういう現実の中で、クイズ番組と、トンデモ歴史番組になってしまっているということだろう。

ドラマはつまらない、歌番組もつまらない、テレビ番組は見るものがないというのが現実だろう。訳の分からない時代になってということだろうか。ニュースも同じようなことばかり放送している。トーク番組も、表面だけの会話でつまらない。本当の面白いという番組がないのだ。これも価値観の多様化ということで済ませてよいものだろうか。
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by qzr02421 | 2008-11-27 07:59 | 日常
自然と書いてどのように読むのか。江戸時代以前の人々は「じねん」と読んだ。「じねん」とは「自ずから」というような意味だ。「自然にそうなった」というようなときに使用する意味だ。明治時代にネイチャーという訳語を自然という文字にあてた。そして「しぜん」と読んだ。

「じねん」と「しぜん」どこが違うのだろう。ネイチャーには人と対立しているというイメージがある。人間は自然(ネイチャー)を征服していくということだ。ベルサイユ宮殿の庭は実に人工的だ。オーストリア宮殿の庭も人の手が加わっているということを強調している。それに対して、京都などの寺の庭は借景をし、人の手が加わっていることを隠そうとしているように見える。

日本は自然(じねん)と人は対立していないのだ。自然(じねん)の中に人が楽しく暮らすというのが日本のイメージだろう。自然の中に育まれているのが日本人ということだ。ヨーロッパで「個」(インディビデュアル)と社会が対になる概念だ。神が個と一対一で対応するというのがキリスト教の考え方のようだ。個の確立がヨーロッパの重要な課題だ。

それに対して、日本は個ではなく「我」という。仏教では「無我」を重要な教えとしている。我にこだわらないという生き方、我は煩悩ともいう。煩悩を捨てるということが仏教の教えだ。ヨーロッパの個とはだいぶん違う考えだ。自分探しは仏教では必要がないことなのではないだろうか。自然(じねん)に生きるというのが古来の日本人の生き方ように思える。

日本に来る前は「一切衆生 悉有仏性」で、「どんな人でも仏が宿っている」という教えが。日本では「草木国土 悉有仏性」つまり「どんなもの、自然と人間全てに仏が宿っている」という教えに変化した。これを天台本覚思想と呼んでいるようだ。この方が日本人の心にあっているということだろう。内山節さんの『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という本を読んで感じたことを記した。1965年を境に日本人はキツネにだまされなくなったという理由を説明しようとしている本だ。
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by qzr02421 | 2008-11-26 19:39 |
スイスのやさしい景色がとても心にしみる。話は目にしみるし、年を取ることも良いものだと思える映画だ。生きることは感動すること、生きることは意欲を持つことと言うことも実感できる。生きるということは素晴らしいことだ。そのことを教えてくれる映画だ。マルタの生き方は人間の人生そのものだと思う。

その映画とは「マルタのやさしい刺繍」だ。スイスの小さな村、トループ村に住む80歳のマルタが主人公だ。彼女は、夫に先立たれ生きる気力をなくして毎日を生きているのだ。合唱団の旗の修理を頼まれ、村から町に買い物に行く。四人の仲間と一緒に。バス停でバスを待っていると(当たり前だ、バス停でバスを待つ意外に何をするのだ)、バスを待っていると、バスが行き過ぎるというのが楽しい。年よりはバスにも乗れないのかということか。

その都会で布地を買ったあと、ランジェリー・ショップに寄り道をして、かつての夢であるランジェリーショップをオープンすることを思い出す。しかし、話は簡単には進まない。マルタの夢はただ周りから冷笑され軽蔑されてしまうのだ(本当はマルタの下着を買いたいとうおもいは村の人にあることがわかるが、村の閉鎖性ではそれが表面に出すことができないということだろう)。それでもマルタは夢を現実のものとするために動き出すというのが素晴らしい。

変化を恐れる人も登場するし、変化を楽しむ人も登場する。それが人生というものだろう。変化を恐れる人を軽蔑することはできないのだ。しかし、変化を受け入れる人は、若さを手に入れるような気がする。変化を受け入れることができない人は、進化はできないだろうが、それはそれで人生だと思う。人それぞれの人生があると思う。

この映画では、今あることを、チャンスと受け止めて新しい一歩を踏み出し、成長していく人々の姿を描きだしたのだが、それはそれで、勇気と希望と元気を与えてくれるのだが、変化を受け入れることができない人にも暖かい視線を送っているようにも思った。
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by qzr02421 | 2008-11-25 22:54 | 劇,映画その他
古典を読まずに、その古典の内容を知りたいという人にはお勧めの本だ。あるいは、古典は難しくて近寄り難いというように思っている人のもお勧めの本だ。この古典は読んだが、要約するのは難しいと言いながら、要約してある本だ。

清水義範著の『世界文学必勝法』という本だ。なにが必勝かはよく分からない本だ。清水氏が古典を読んで、戸惑った部分、関心した部分、分からなかった部分などが正直に書かれた本だ。あらすじもきちっと書かれている。

『ギルガメッシュ叙事詩』から始まる。よく考えると今から5000年前に、このような話が出来上がっているのは不思議なことだ。この本にはノアの箱舟のような話もあり、旧約聖書にも影響を与えていることが分かるということだ。古代にはこの他『女の平和』『ルバイアート』『バーブルナーマ』などがとりあげられている。

中世以降は『ハムレット』『ドン・キホーテ』『ロビンソンクルーソー』『マノン・レスコーディーリア』などが説明されている。読んだことがある本でも、そういう読み方があるのかということで、目から鱗という感じがする。

19世紀文学では『自負と偏見』『ゴリオ爺さん』『緋文字』『居酒屋』『脂肪の塊』『ねじの回転』などがとりあげられている。20世紀では『桜の園』『変身』『魔の山』『壁』そして現代文学では『事件の核心』『蝿の王』『ロリータ』『鐘』『存在の耐えなれない軽さ』がとりあげられている。本の読み方を教えてもらったような気がする本だった。
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by qzr02421 | 2008-11-25 15:05 |
「差別に関する本」を読んだ。差別は古代から中世にかけては、畏れというものとの関連があるのだ。それが近代に入ると穢れと関係してくるというのだ。日本の場合は穢れは禊があればなくなるのというのが神道の考えだ。それでも穢れがなくならないので差別が生まれるのだろうか。差別いうのは世界中であるのだが、強固なものは日本にあるのだろうか。

政治家が選挙で当選すると禊が済んだという。それと同じか。日本人はケガレは水に流すことができると考えた民族ということだろう。水に流すことができないという民族の存在を予想することが重要なことだ。世界は日本人のような民族で構成されているわけではない。そのことが理解できないのが、日本人の特性のような気がする。ある意味で日本人は気がよい民族ということだろう。

ところで、インドのカーストがあるが、これをヴァルナと関連させるが、それは間違いだという。カーストは1つの共同体で、たくさんある共同体であるカーストの位置づけをしているのがカースト制度ということだ。位置づけるのが権力の役割というのだ。カーストの外のいるのが不可触賎民というわけだ。高校の世界史で教えていることは嘘ということかな。ヴァルナについては、バラモンは存在するがそれ以外はあればよいという理想とした階層なのだとという。バラモン以外はバラモンにようになりたくて、バラモンの生活を真似するそうだ。世の中には知らないことが多いものだ。

次に、「食生活とヨーロッパの歴史」という本を読んだ。日本人が西欧型と思っている肉中心の食生活は19世紀後半にできたものだという。それまでは野菜中心のものだったのだ。身長の伸びで証明できる。また中世は温暖であり、16世紀後半から寒冷化が進みという。小氷河期である。その危機を救ったのがコロンブスの交換である。とうもろこしとジャガイモの登場である。という内容の本であった
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by qzr02421 | 2008-11-24 20:41 |
変わった本だ。序章で「真実はおもしろい、だがデマはもっとおもしろう」ということばからはじまる。著者である長山康生氏はある秘密結社をやっていて、事件が起こると「あれは我々の犯行である」という犯行声明とするという遊びをする秘密結社ということだ。言葉だけの遊びをしていたという。

この遊びができないような事態が生じてきたという。そのはじめの事件が「阪神淡路大震災」であり、次が「オームによるサリン事件」ということだ。冗談にしていることが現実に起きてしまったということのようだ。オーム真理教はハルマゲドンつまり世界最終戦争などを教義としている。これはこの秘密結社が冗談で言ったものだという。冗談を現実にしようとしている団体の出現によって、このような冗談をいえない状況になってきたという。

この本は『偽史冒険世界カルトの百年』という本だ。「どうして義経はジンギスカンになったのか?」という話しから始まる。日本は海外侵略をするときに、侵略する地域はかつては日本とゆかりのある地域という伝説をつくることによって征服していくという考えが提出されているようだ。

第二章は「なぜ南は懐かしいのか」という題だ。モスラはどうして南の島から出て、日本を救ってくれるのか。ムー大陸と日本の関係は?ムー大陸は日本の祖先の地域だ。だから日本は太平洋を支配するのは当然であり、ジンギスカンは義経なのだから、アジアへの侵略は侵略ではなくて、もともと日本人の支配する地域という理解で侵略をするのが日本人の侵略観ということだという説明が丁寧になされている本だ。

この他「日本とユダヤ人は同じ祖先だ」「竹内文書」についての説明がなされている。トンデモ本の由来が分かる本だ。ギリシア人は黒人だったという『黒いアテナ』という本もある。歴史はどこまで本当かということを考えさせる本だ。似たような本で『日本霊能者列伝』というのがある。明治時代から世間をにぎわせた人たちが書かれている。超能力があるかどうかは分からないが、この本で最初の登場する「御船千鶴子」リングの貞子の母のモデルという人物だ。彼女は千里眼という能力を持っていたという。

超能力を疑う人が明治時代にもいたようで、実験をしようとしたらしい。彼女は「研究しても駄目です」という言葉とともに自殺をしてしまう。この他の人としては「宜保愛子」「府藤田小女姫」「竹内巨麿」などが説明されている。超能力はあるのかどうかを考えさせられる本だ。
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by qzr02421 | 2008-11-24 10:19 |
「君の心臓の鼓動が聞こえる場所」というキャラメルボックスの劇を見た。木曜日の加藤健一事務所の「詩人の恋」、金曜日の「リア王」と三連続の観劇だ。それぞれ傾向の違う劇で、それぞれ楽しいものだった。音楽劇、狂言風劇、そして、キャラメルの劇というわけだ。

「君の心臓の鼓動が聞こえる場所」という劇は、離婚してずーと会っていない子供(女の子)が、父を訪ねてくるということから話が始まる。何年か会っていないお父さんに娘が会いに来るのだ。お父さんにご飯を作るためにやってくるのだ。父と娘の関係が感動的に描かれている。心温まる話だ。

わたしが父という存在だから、心温まるのかもしれない。父と娘というのは、父と息子とはちがう関係なのだろう。私には娘と息子がいるが、それぞれ可愛いが、それぞれ成人して、働いているのだが、その子供に可愛いというのは変なようなきがするが、しかし、子供という存在には間違いがないものがある。

子供がそれぞれの人生を歩んでいるからこそ、それなりの関係を持つことができるような気もする。ところで、父を訪ねてきた娘は実は・・・ネタばれになるのでこれ以上書かないけれど、テンポがよい劇だ、2時間があっという間に過ぎた。客演で「黒川智花」が出演している。娘にぴったりの役だと思った。父役は「西川浩幸」だ。この父も軽い感じでよい。キャラメルの劇はテンポが良くて見ていて、心地がよいのだ。若さが感じられる劇団だ。
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by qzr02421 | 2008-11-23 18:55 | 劇,映画その他