本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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人間の表現には、メッセージ性が強い部分と、メタメッセージ性が強い部分がある。メタメッセージというのは、フレームともいうが、メッセージの裏?に隠れた部分だ。メッセージに裏というに的確な表現だろうか?フレームこそが相手に伝えたいことかもしれない。

たとえば、「あなたの言うことは分かった」というメッセージがある。これはどういうメタメッセージ(フレーム)があるのか?文字通り「私に言うことが分かった」という単純な意味がある。二つ目には「あなたの言うことはいつも同じね。分かった、この話はおしまいにしましょうね」という意味か?あるいは「もういい、黙れ!」と言う意味かもしれない。

些細なことに注目するのが人間関係なのだろう。男性はこういう会話が苦手だ。女性は得意としているように感じる(それは私が男だからだろうか、女性から見ると、男の会話は単純ね、ということだろうか)が、女性がある種の女性共同体の中に存在しているからのように見える。

女性の会話に返事は興味深いものがある。すぐには肯定も否定もしないことが多いように感じる。「そうなんだ」「何々それどういうこと」「やっぱりね」・・・ともかく会話を一回受けて、次のステップにいくようだ。自分自身を理解するためにも、人の言っていることをしっかり聞くということが大切だろう。

ところで、女性との会話に最中に、突然ちがうことを考え、女性の会話をいい加減に聞くことがある。そのとき、女性は、私が「そうだよね」と返事をしているのに、「ちゃんと聞いてよ」と、話半分で聞いていることを指摘することが多い。なぜ分かるのだろうか?
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by qzr02421 | 2008-08-31 19:49 | 日常
ポスターと版画の違いはどこにあるのでしょかという問だが、この冊子では、「ポスターは基本的に何らかの情報を伝えるために製作される印刷物ですので、純粋な芸術作品として製作される版画とちがって、ほとんどの場合に、画面のなかに文字が現われます」とある。

つまり、「文字」あるなしということらしい。ここの展示は中村宏と夢野久作だ。中村宏というのは「ルポルタージュ絵画」運動の中心としてい活躍している前衛画家だ。また夢野久作は怪奇と幻想の探偵小説「ドクラ・マグラ」の作家だ。夢野のおどろおどろしい、作品は個人的に好きだ。

赤瀬川源平の千円冊を印刷した作品がよい、お札を印刷し芸術にする?偽札に印刷と同じと理解され、彼は有罪判決を受けた。その有罪判決を受けた証拠物件として、その作品が展示されている。作品にはその押収物件という札がはってある、生々しいものだ。

2階では「めっけ鳥」の挿絵が展示されている。物語も書かれていて、私より前にいた女性が、その物語をじ~と読んでいた。『「ねぇ、もしお前が僕を見捨てないなら、僕だってお前を見捨てたりしないよ」すると、めっけ鳥は言いました。「いつまでたっても、そんなこと、ありっこないよ」』でという有名なフレーズの話だ。
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by qzr02421 | 2008-08-31 08:07 | 劇,映画その他
名古屋市美術館で「版の誘惑展」をやっている。9月28日までだ。開館20周年記念のイベントのようだ。「版」というのは印刷用の板や原版という意味だが、この版を利用して製作された、絵画つまり版画などを展示してあるものだ。

版画には材料によって、木版画、銅板画、リトグラフ(石版画)、シルクスクリーン、そしてステンシル(合羽版)などがあるが、さらには、写真、印刷、コピー、スタンプなど多様なものがある。それらに表現から、何かを読み取ろうとする企画のようだ。

水曜日の午後、カルチャースクールが終わってから行ったが、ほとんど人がいなかった、人気がないのか、ちょうど少ない時間なのかは分からない、奈良大学の学生なので、もちろん学割に入場した。600円だ、一般は900円だから、300円安い、マックポークなら以前なら3つの値段だ、マックポークも今は120円になってしまった。

展示されているものとしては、北川民治、三岸好太郎、シャガール、ピカソ、赤瀬川源平、などだが、もっと人がいてもよいと思うが、何故か、数人しかいない、部屋に私一人ということもあった。まず入場する時に、冊子を渡される。この冊子に質問と解説が書かれている。

第一問は、山本鼎のブルトンヌは近代版画を代表する作品で、ここには二つの同じ題材を描いた作品が展示してあり、ひとつは水彩画、もうひとつは木版画だ、その水彩画から木版画にするとき、何をどのように、何故変えたのかというものだ。

このようにして、26問まで、冊子と作品を見ながら美術館をさまよっていくのだ。人間は問を与えられると、問を考えようと、さらに真剣に作品をみようとするということが分かった。

6問目にポスターと版画の違いはどこにあるのでしょかという問があるが、答えは何でしょうかね・・・
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by qzr02421 | 2008-08-30 09:07 | 劇,映画その他
小学生が客という場合、劇団はどのようなことを考えて、演ずるのだろうか。ともかく静かに見るということが重要なのか、あるいはメッセージを伝えようとすればそれでよいのか。テンポがよいのが良いのか、話が子どもから見て身近なのが良いのか。

冒険舎の「ねがいごとパズル」という劇を見た。学童から来たのか、小学生が多かった。話は勉強が嫌いで、遊ぶのが大好きな小学生が主人公だ。夏休みも終わるのに、宿題をまだ終わっていないという小学生だ。自由に生きるという小学生という設定だ。

その小学生が絵本の中に吸い込まれ、冒険するという話だ。絵本の題名は「3つの願い」だったかな?ともかく仙人に会いにいって、母親が目が見えるようにして欲しいというお願いをするという設定だ。

しかしその絵本の主人公は、仙人の会う前に、三人の人物にあって、3つのお願いを頼まれるのだ。そのため母親の願いを止め、他の三人の願いをかないようということなるのだ。その絵本に、わがままな小学生が介入して、話がドタバタするということになる。話し自体は、頼まれて3つのお願いを解決すると、全部解決するという設定なのだが、わがままな小学生の出現でたいへんなことになるのだ。

人は自分たちの幸せだけでなく、他の人の幸せも考えると、みんなも幸せになり、自分たちも幸せになるという教訓めいた話だ。世の中、そのように他人の幸せが自分の幸せという人だけなら、よいのだろうが・・・それでは平和すぎて、つまらない世の中だろうか・・・
教訓めいた劇はあまり好きではない!その教訓めいた劇だった。
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by qzr02421 | 2008-08-29 17:54 | 劇,映画その他

それはサバン症候群?

写真のように記憶するということがある。テスト前の勉強で、教科書を写真を写すように記憶するということだ。私も一時期そういうことがあった。内田樹もそういうことがあったということだ。

そのことを養老孟司に言ったら、「それはサバン症候群」でしょうねと言われた。サバン症候群というのはレインマンで有名になった単語だ。他の記憶はともかく、日本中の駅の名は全部言うことが出来るということだ。

養老氏は内田氏に今そのようなことがなければ大丈夫と言っている。写真を写すような記憶の方法は病的ということのようだ。写真のような記憶は、危険な状況ということだろう。ところで、頭の回転にはブドウ糖が効くということだ。

砂糖はブドウ糖と果糖とからなるので、砂糖を取るということが、受験には重要なことのようだ。脳は栄養分をためることができないという。受験の前には十分なブドウ糖を摂取できるような環境を作ることが重要ということだ。
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by qzr02421 | 2008-08-28 08:18 |

まあ、いいか、次いこう

『逆立ち日本論』を読む。養老孟司と内田樹の対談だ。この二人の対談を楽しく読むことが出来る人は変?な人だろうか。なるほどと思いながら、読むことが出来た私は変なのだろうか?

ところで、二人とも「おばさん」的なメンタリティということだ。おばさんの思考はツリー状ではなくリゾーム状の構造をしているのだそうだ。リゾームというのは根茎のことだ。根っこのように論理が脈絡なくヨコに広がっているということだ。

ツリー状の思考は、論理の積み重ねがあり、論理の一貫性がある。それに対して、リゾーム状は論理がふらふらゆれ、話があっちにいったり、こっちにきたりするということだ。男性の思考はツリー状のことが多い。

ツリー状は論理が立ち往生すると、思考停止になる。それに対して、リゾーム状は論理が破綻したら、論理が破綻したことを笑って、違う話に持っていくことが出来るということだ。

論理の次元が変ることに対して、気にならないということでもある。「まあ、いいか、次いこう」ということが言えるかどうかということだ。論理が破綻したら、その論理の執着せずに、掘り出してしまえばよいのだろう。
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by qzr02421 | 2008-08-27 17:45 |
人の過去の記憶というのはどのようなものだろうか。小学校時代の記憶を人はなぜ持っているのだろうか。記憶は何回か何らかの理由で思い出さないと記憶されないはずだ。あるエピソードがあるから人はそのことを記憶していると考えることが出来る。

30年前の記憶を現在持っているということ自体不思議な話だ。何か記憶するという要素があるはずだ。内田樹が、「A君と友だちになるいきさつという話しがある。A君とタイマンの勝負をして引き分けて友達になったというのが公式の記憶になっているが、本当はA君の部下と勝負して、負けそうになって、A君が割って入って、えこひいきで友だちになったということだという記憶が本当のように思う」と言っている。

ともかくA君とは友だちにはなったが、そのいきさつがA君と内田氏とは違う記憶になっているということだ。事実は二人しかいないので、分からないというのだ。では部下に聞けばということになるが・・・

部下はきっとその事実は記憶していないだろうということだ。いわゆる「藪の中」ということだ。人の記憶はあいまいということだ。自分の都合の良いように過去を変えているということがあるということだ。

フロイトはその人はその事実があった記憶しているのなら、実際はその事実がなかったとしても、その人にはあったと認識され、それが問題を起こしているのなら、その事実はあったと考えるしかないと言っているそうだ。

その人があったと記憶していることは、あったとして処理することが、精神分析では重要ということだ。あるいは、何故あったと記憶したのかを考えることが重要ということでもあるのだろう。「藪の中」というのは重要な概念かもしれない。
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by qzr02421 | 2008-08-26 20:08 | 劇,映画その他
何年かぶりの小学校のクラス会に出席した。じ~と見ていると、小学校時代の顔が浮んでくるのが不思議だ。また、名前を聞くとフルネームで名前が思い出されるのも不思議だった。しかし、名前を言われても思い出せない人もいるというのも、また不思議なことだ。

小学校時代のことを断片的に覚えている人もいて、嫌のことや嬉しかったことがあると、人はそのことが強く印象に残り、覚えているということが分かった。私の印象は、体を大きく背が高いというもののようだ。大きかったよね、でも今はそんなに大きく感じないと言われた。

昼、校庭で遊び、教室に帰るとき、よく負ぶってくれたと言われた。そんな記憶は私にはないが、それをおぼえている人がいるのだ。僕の倍くらい背が高いとかんじていた、大男と言う印象だったいう人もいた。

何十年前にタイムスリップしたようで、楽しい一時を過ごした。ある人が、「私は、担任の先生からひいきにされたことが、その当時は嬉しかったが、今考えると、みんなは嫌な思いをしていたのではないか、とず~と不安に思っていた」と言っていた。

みんなは「勉強の出来る子」という印象しかないのに、そのようなことを何十年か思っていたのかということを知って、ビックリしていた、もちろん私もビックリした。人は悩みを感じた、嫌な思いをしたことを何時までも覚えているということだろう。
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by qzr02421 | 2008-08-25 21:26 | 日常
井上ひさしの講演を続ける。赤ちゃんが生まれたときの脳の重さは360グラムで、これは爬虫類の脳ということだ。本能のまま動くということだろう。そして成人になると脳のの重さは1300から1400グラムのなるという。

これに対してチンパンジーは人間の赤ちゃんと同じくらいの脳の重さで生まれて、成人すると400グラムくらいしかならないのだ。この900グラムの差は何かということだ。答えは辺縁系と新皮質があるということなのだ。

辺縁系は環状を受け持ち、新皮質は理性を受け持つのだ。現在の教育は理性を尊重する。理性は知識を持ち、情報を受け取り、そして判断をするという機能がある。ここで問題なのは判断しかしないということだ。右がいいのか左がいいのか判断をする。どうも右がいいらしいというように・・・

しかし決断は出来ないという。決断するのは感情の機能ということだ。感情が豊でないと決断が出来ないという。現代の教育は理性ばかり尊重してきたので、判断しか出来ない人間を育てたのではないかという。

感情を豊にすることを通してするどい決断が出来る人間になるのだろう。「それはよくないよね」という評論家ばかりを育てたのだろう。それはよくない、だからやめようと行動する人間になるためには感情を豊にするということが大切ということだ。
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by qzr02421 | 2008-08-25 12:47 | 劇,映画その他
井上ひさしの講演を京都で聞いた。第一次世界大戦が終わったとき、その被害の悲惨さにデンマークの参謀総長が「戦争絶滅請負法案」と言うものを提案したそうだ。この法案の内容は、戦争が始まったら10日以内に最前線に次の人々を送るというものだ。

次の人というのは、まずは国家元首(男性のみ)、次は国家元首の親戚(10歳以上の男性のみ)、さらに国務大臣(男性のみ)、そして議員(戦争反対の議員を除く、男性のみ)最後にキリスト教の主教(戦争反対の主教は除く)というものだ。

戦争を始めただろう人がまず戦争の最前線にいくことにすれば、戦争はなくなると考えたようだ。この法案は成立したかどうかは言わなかったので、その結末は分からないが、今でも戦争はなくならないので、ダメだったのだろう。

近代戦争の特徴は軍人の死亡者が減少して、民間人の戦死者が増加したことだ。第一次大戦の軍人の死亡者は95%、第二次世界大戦は52%、朝鮮戦争は16%、ベトナム戦争は5%ということだ。

近代戦争は、軍人ではなく民間人が死ぬということを忘れてはならないのだ。井上ひさしは「平和とは何か?」それは「将来に希望がある社会のことだ」という。未来に希望がある社会を守ることが平和を守ることらしい。未来に希望を持つことが出来ない社会と感じたらどうなるのだろうか?
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by qzr02421 | 2008-08-24 19:03 | 劇,映画その他