本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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ここはシャドウか?

昨日御用水を自転車で通っていた。この御用水の道は、人と自転車しか通行できない。乳母車や犬の散歩をしている人も多い。自転車で疾走するのは憚られる道だ。しかし、この道をスゴイスピードで走る自転車もいる。

私は、人が歩くスピードより少々早いくらいのスピードで走るようにしている。チリンチリンと鳴らすのは法令違反ということで、「すいません」と声を掛けるようにしている。道を譲ってくれたら、「ありがとう」というようにしている。

「ありがとう」というと、「いやいや」と応える人は少ない。言葉をけちっているようだ。言葉はただだから、もっと使えば良いとおもう。使い始めると「ありがとう」などの言葉は使えるものだ。自分の感情を言葉に出すということは大切なことだと思う。

この道で、前からピザパイの配達するようなオートバイが来た。オートバイは通行禁止だ。え~と思っていたら、犬を散歩させているおじさんが、「ここはシャドウか?」とそのオートバイの青年に叫んだ、あるいは怒鳴った。

このお兄さんは何を言われているか理解できないようで、「日は照っています」と答えた。シャドウに対して、お日様という答えだった。シャドウは車道だろうが、このお兄さんは理解できなかったようだ。

結局は、お兄さんは誤り、一件落着だった。このおじさんも怒鳴らなくてもよいように思ったが、よほど腹が立ったのだろう。シャドウの答えがお日様ということで、笑いながら帰宅をしたのだ。
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by qzr02421 | 2008-06-30 20:14 | 日常
「なりたい大人」がまわりにいないと考えている中高生は約5割に上ることが、独立行政法人国立青少年教育振興機構が公表した2006年度調査で分かった。一方、「あの人のようになりたい」と思う大人がいるかとの質問に「いない」と答えた割合は、小5で33%だったが、中2で49%、高2で51%に達した。

「なりたい大人がいない」ということは大きな問題だ。大人が楽しそうに生きていないということが問題だと思う。高田純二?(字が分からない)というタレントがいる。彼は楽しそうだ。またいい加減の元祖ということだ。

人生はいい加減で適当だと思うが、高田純二を支持する人は少ないようだ。真面目に生きるというのがよいという徳目なのだろう。しかし真面目に一生懸命生きているという大人も少ないのかもしれない。

いい加減でもない、一生懸命でもない大人が増えているということだろう。そのどっちでも生き方はよい。ただ「楽しそうに生きる」ということが重要なことだと思う。楽しそうに生きている大人が減ったのが何故か?

人生を楽しむという徳目を設定する時期だろう。地球温暖化で人類は滅亡するか、持続可能な成長を遂げることが出来ないかもしれない。持続可能な成長が出来ないということは、生活水準が落ちるということだ。

所有の喜びではなく、今を楽しく生きることという時代に来たと思う。生きかたを変えるべき時代に来たということだ。大人から率先して、生きかたを変える時だということだ。

また、高校2年生の7割は将来仕事に就く条件に「正社員」を挙げ、安定的な雇用への意識の高さがうかがえる。この中で、なりたい職業が「ある」と答えた子供は、小5が82%、中2、高2はともに69%ということだ。

大人だけでなく、子どもも保守的な考えを持っているということだ。人生観を変えるべき時が来たということを理解することが重要だ。
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by qzr02421 | 2008-06-30 09:18 | 日常
『本能寺の真相』を読む。姉小路という人の作品だ。信長の本能寺の変は、光秀と家康と秀吉の三人の陰謀という説だ。その担保は天皇という。光秀は家康暗殺を信長から命令されていたが、裏切って信長を討ったということだ。光秀は比叡山で隠居し、光秀の子らが、家康の勢力の中に入っていったということだ。珍説だ。

それを史料を利用して論証していることがすごいことだ。史料を読み込めば、色々な説は論証できるとうことだ。たいしたものだ。でも、何か違和感を感じる。

歴史は失敗からしか学べない。成功は成功した人のパワーがあるはずだ。マネをする人にはそのパワーがないのだ。ダリウス大王の真似をしてもオリエント世界を統一することは出来ないのだ。しかし、失敗はパワーがないときに起こるはずだ。だから失敗談を学べば失敗を防ぐことが出来るかもしれない。可能性は大きいはずだ。

自然体がよいのだ。妙に成功しよう,受けようという感じが良くない。歴史を流れで理解しようという方針を再確認することから始めよう。難しいことではなく、基本を押さえた世界史というものを目標にしよう。
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by qzr02421 | 2008-06-29 20:06 | 歴史
人生に意味がないなら、高齢者が生きることにも意味はないということだ。意味を見つけるのはその人自身ということだ。自己責任ということだろう。人生の意味を見つけることが出来ない人は死ねということだろうか。

そういうことではないだろうが、陶淵明は「人生は幻化に似ている、終にはまさに空無にきすべし」とうたった。人生は「無」だということは古来から言われていることだ。人生は「死」に向かって歩いていくことだ、それは事実だろう。だからと言って、人生の目的が「死」と言うわけではない。「死」は結果に過ぎないということだ。

「今を生きる」ということが大切なことで、またそれ以外に人に出来ることはないということだ。しかし「今を生きる」ということはどういうことだろうか。簡単に出来ることだろうか。しかし出来なくても、するつもりで臨むしかないことだろうと思う。

ところで、人生は飲む打つ買うといったのは昔のことだ、今は、サプリメントを飲み、パソコンを打ち、投資信託を買うとう時代だそうだ。嫌な時代になったものだ。
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by qzr02421 | 2008-06-29 19:20 | 日常
 生きているということは、何かしら事件に出会うということだ。その事件について書き記すことが重要なことだ。当たり前のことは書かないが、当たり前のことを書かないと、将来の参考にならない。

将来つまり未来の当たり前のことと、現代の当たり前のことが違っているということだ。また、その中には、共通の考えも存在する。このあたりが面白いのだ。つまり、当り前の出来事を書かないとダメということだ。

では、当たり前のことを書くことができるのだろうか。きっと書くことができないだろう。なぜか、それが当たり前のことだからだ。当たり前のことを書くということをよほど意識しないと、当たり前のことは歴史には残ることがないのだろう。

当り前のことは歴史のうずもれていくということだ。ということは、歴史というのは当たり前でないことの連続ということなのだ。だから紛争や戦争が多いのだろう。平和な時代は歴史にはふさわしくないということだ。
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by qzr02421 | 2008-06-29 06:43 | 日常
南山大学で毎年シリーズの講演会が開催されている。今年のテーマは「大学院の授業を聞きに行こう」だ。6月28日(土)が第3回目で「人間の言語について考える」という演題で、人間文化研究科言語科学専攻の有元教授の話だった。

無料ということもあるのだろうが、大教室がうまっている。年配の人が多い、団塊の世代よりは上のように感じる。女性はどこでも元気だ。90分の講義の後、質問の時間が30分ほほどある。

年配の人は質問もよくする。質問なのか自分の意見なのか分からない人も多い。何を質問しているのか分からない人もいる。それもまた楽しいことなのだ。「質問がシンプルにできないのはなぜか」ということをいつも考える。

質問より前口上が長いということはどういうことだろうか。理解が不十分ということか?質問する人がただ目立ちたがり屋ということか?質問をするということは本来はとても難しいことなのだ。

今日の問題意識は「ちがう点を探すより、共通点を探したほうがよい」というものだ。物事の共通点を探すほうが、学問の発展性があるということだろうか。これは重要な指摘だと思う。少し考えなければいけない課題だ!

言語ということがテーマだが、言語をもたない人間社会は発見されたことはないのだそうだ。また言語の中に、優劣はないとのことでもある。文化の違いは異質ということで、劣った文化というものは存在しないということだ。

エスノセントリズムではなく、マルティカルチャリズムということだ。自分の文化以外の文化を低いものという認識をもつのはヨーロッパ文化の特徴か?民俗学や文化人類学は滅びる文明を記録するという正確が強いように感じる。

ともかく、異質な点よりも共通な点を探す、発問することの重要性、語彙よりも文法の方が重要だなどということを学べる講義だった。
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by qzr02421 | 2008-06-28 21:47 | 評論
ネタバレということだが、映画の内容を聞きたくないという人と、聞いても気にならないという人がいるようだ。私は、内容や結末まで聞いても、とくに気にならないタイプだ。ということで、案外人に、推理小説の犯人をバラして、嫌われるタイプかもしれない。

気にならないものは気にならないということだが、気になる人は、映画の全てを聞きたくないのだろう。映画の内容も大事だが、俳優の持っている小物や、どのように撮影しているのかということが気にかかる。

ともかく、インディ・ジョーンズは、面白いが、ストーリが雑だという感想を持った。映像はスゴイ、ハラハラさせる。ディズニーシーのアトラクションとどのような関係にあるのかということも重要なのかもしれない。関係あるようなないような?

インディが結婚?インディに子どもが、原爆の実験からどのように逃げるのか?滝からの生還は?クリスタルスカルを戻したらどのようなことが起こるのか?など興味深いシーンが満載だ。

2時間ほどでは描ききれないようだ。もっと時間をとれば、詳しく描くことができるというように感じる映画だ。マジックアワーとどっちが面白いのだろうかなどと考えてしまった。それとも予告の「ドラゴン・キングダム」も面白そうだった!
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by qzr02421 | 2008-06-28 21:10 | 劇,映画その他

ネタバレありか?

 「インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国」を見た。第四作ということで時代は、第二次世界大戦後のアイクが大統領の時代のようだ。赤狩りという時代のインディはまた、教授職を追われる。何か何時も追われてるようの人物だ。

この時代の雰囲気を見せ、たとえば、テキサス?での原爆に実験や、赤狩りの様子、エルビスのようなリーゼント?、ケンカなどだ。その後ナスカの地上絵、そしてアマゾンへ・・・

テレビでは最後の終わり方の賛否がある。あれはあれでよいが、しかし賛否のある場面は、最後か、最後の前か、どれだ?宝というのは何か?財宝が宝か?それともそれ以外の宝があるのか?

前三作と同じように、味方が敵になったり、敵になった見方がまた味方になったり、悪役は最後まで死ななかったり、欲を持ち人が滅びたりする。第四作を予告するようなシーンもあるかな?

年配の人が多い感じの映画だった。若い人もいたようだ。しかし四作目を楽しみにしていた年配の人も多かったようだ。あるいは最近はどの映画も年配の人がいる。団塊の世代か?しかし女性が多い。男の団塊の世代はどこにいるのか?
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by qzr02421 | 2008-06-28 20:56 | 劇,映画その他
ネアンデルタール人とクロマニョン人の混血の骨が昨年、発掘された。混血ができるということは種が同じということだ。しかし、混血したものは絶滅したようだ。この混血は上手くいかなかったのだろう。混血というのは存在するのか?縄文人と弥生人の混血はあるのだろうか?

ネアンデルタール人たちは旧人と言われている。骨太でたくましい筋肉質の体で、大きな顔だった。特に鼻とあごが目立って大きい。大きな口のなかには旧式の大きな歯があった。寒冷地に適応した特徴をもち、手足の短い、肩幅の広い、がっちりした体形だった。

ネアンデルタール人が現代によみがえって、身だしなみを調えて、きちんとスーツを着れば、ニューヨークの地下鉄の中にいても異質な感じはないだろうと言われている。ネアンデルタール人の肌の色などは不明であるが・・・

彼らは短命であったらしい。その代わり、大人になるのは早かったようだ。かなり早い成長を示す子供の骨がいくつか発見されている。彼らの子供達は早熟傾向であったようだ。 
 
ネアンデルタール人はどのように絶滅したか?ホモ・サピエンス・サピエンス(クロマニョン人)たちによって滅ぼされたという説が有力だ。クロマニョン人がヨーロッパの地に進出すると、両者が対立した結果、競争力のないネアンデルタール人たちは山岳部や極寒地方に追いやられ、ついには絶滅したという説だ。

しかし、偶発的な性交渉によって、クロマニョン人の集団の中に、混血のネアンデルタール人の子供が紛れ込んだと仮定しよう。それは、母子家庭だろう。子供は食欲旺盛で短期間に成長し、早く大人になってしまう。十分な教育や訓練はできないし、集団の中で、いじめられ、集団から疎外されるだろう。

ネアンデルタール人の集団の中に、クロマニョン人の子供がいても、遅い成長と不十分な体格のため、体力的に取り残されてしまうだろう。頭のよいが、体力的に劣るので生き延びることは難しかっただろう。 

結論は混血によって新しい人類が出現するという可能性は少ないということだ。縄文人を駆逐して、弥生人の世界が出現したということだろう。
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by qzr02421 | 2008-06-28 19:14 | 歴史
本を三冊読んだ。読んだというより、ページをめくったといったほうがよいか。面白い本は、読んでいるというより、ページをめくっているというイメージが強い。

まず、『暁の密使』だ。この本は、日露戦争前の日本とチベットとの密約に絡んだ話だ。シルクロードのグレートゲームの話だ。本願寺の僧侶が苦労してチベット入りする。結局は日英同盟や八甲田山の遭難などあり、計画は無になる。著者は北森鴻だ。彼の今までにない作品だと思う。グレートゲームを知りたい人には必読の書だろう。

『二人写楽』は写楽の謎に北斎とお栄が取り組むという話だ。秋田まで旅をして謎を解く。結局写楽は秋田藩主であったという。吉原に通う為に絵を描いたという落ちだ。遊女の手のほくろの話が印象的だ。遊女が感じるのを防ぐ方法だ。北斎の魅力を感じる本だ。利根川忠著だ

お栄といえば、井上ひさしの「四千万歩の男(一)~(五)」にも登場する。伊能忠敬の妻?としてだったかな?この本も荒唐無稽で面白いと思う。5冊一気に読むことができる。

最後の『世界の歴史に学ぶ』はギリシア時代以来の戦争を説明した本だ。戦略は柔道の技と同じで、たくさんの技を知ってはいても、得意な技はある。その得意な戦術をいかにタイミングよく利用できるかがポイントだということだ。1秒の迷いが敗戦をもたらすという。相手を混乱させたほうが勝つというように感じだ。一秒かという感想を持った。
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by qzr02421 | 2008-06-27 20:35 |