本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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カテゴリ:歴史( 89 )

ヨーロッパの人はお風呂の入らないのでオーデコロンが必要という説がある。ヨーロッパの人がお風呂の入らなくなったのはペストの流行以降ということだから14世紀以後のことだろう。ペストの流行によってヨーロッパの人口の三分の一が減少したといわれている。それまではお風呂の入っていたのだ。古代ローマではお風呂が大切な社交場だったのだ。それはテルマロマイで明からだ。

しかし何のためにお風呂の入ったのだろうか。現代人は衛生、清潔ということのためにお風呂の入るのだ。しかし衛生という概念は病気は細菌で発祥するということが分かった19世紀末以降の減少だ。古代から中世前半の人は衛生・清潔のためのお風呂に入ったわけではないのだ。古代から中世半の清潔という概念は外から見ることができるところを見苦しくないようのするというのが基本だったそうだ。だから顔を手をきれいにするのが清潔だったのだ。

ペストと梅毒の流行によってお風呂の入ることがなくなったという。お風呂の入ると皮膚の穴が開いて、そこから悪いものが入っていくると信じたのだ。細菌とかウイルスという概念は存在しなのだが、それらしいものを想定していたのだろうか。何は皮膚から入って病気になると考えていたのだ。昔の人の直感というものは鋭いものがある。それでもその鋭さがその時代の人すべてに及ばないのが問題なのだろう。

古代から中世前半の人がお風呂に入った理由は男女の関係にあったらしい。シャワートイレにはビデというスイッチがあるのだが、それがその時代の風習のなごりということだ。あそこだけ清潔にすればよいという考えのようだ。幕末にヨーロッパに行ったサムライが、このビデというものに関心を持ったようだ。何に使用するのか分からなかったようだが、やがて隣の音を盗み聞きした結果分かったという。あそこをきれいにしてそれで・・・というわけなのだ。このような話は奥が深いものなのだ。
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by qzr02421 | 2013-02-14 20:03 | 歴史
ヨーロッパの中世とは、日本の中世を同じだろうが、多様がということが特徴だ。近代は中央集権的なのだ、理解がしやすい。しかす多様というのはバラバラということだから、理解は容易ではない。ヨーロッパ中世といっても4世紀、つまりゲルマン人の大移動からルネッサンス、つまり14世紀から16世紀までだから1000年以上の時代のことだ。1000年を同じような性格を持った時代だということはできない。

中世はゲルマン人の移動で混乱した時代、フランク王国の時代、フランクの分裂の時代、十字軍の時代。十字軍以後の王権が延びる時代、近代の始まりの時代と6つの時代の分けることができるのだが、この歴史観だが絶対王政の時代はどのような時代がよく分からなくない。中世は多様ということだから、一筋縄ではいかないこということでもある。

フランス革命において倒すべき対象はアンシャンレジームということになっているが。アンシャンレジームと中世はどのような関係にあるのだろうか。アンシャンレジームとは専制的な政治をしている人を意味していると思われる。中世は多様性という定義なのだから、いつからアンシャンレジームはできたのかという疑問が生じる。歴史というのは分かってるようで、実は何も分かったいない例でもある。

高校の世界史で習うことは、疑問を持てば、違う世界を見ることができるのだ。疑うことが大切なのだ。孔子は質問しないと答えてくれないのだ。歴史もそのようなものだと思えばそのような歴史が現れてくるのすぎないのだ。疑問を持った過去の対峙しなけらば、過去は姿を現してはくれないのだ。これは簡単そうで難しいことだ。疑問を持つということはとても難しいことなのだ。
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by qzr02421 | 2013-02-10 20:23 | 歴史
冬型の気圧配置で寒く、風も冷たく強い、歩いていても風で飛ばされそうだ。というのが大げさでないほど風が強く吹いている。風が強いと体感温度も下がるのでよけいに寒く感じる。年末から年始は今年一番の寒気が南下するそうだ。どのような寒さになるのか。ロシアは氷点下25度まで下がり、シベリアでは氷点下50度だそうだが、シベリアの氷点下50度の一部が日本にくるということか。

一方では地中海では24度の気温だそうだ。これを異常気象とよんでいるのだが、短い人類の歴史で、人間が体験していることなどは、たいしたことがないのだろうが、大げさな言い方だ。人類が文明化してから気温が上がったり下がったりしている。下がったときには北方の人々が南下して混乱を招いた。ゲルマン民族移動や匈奴の南下も気温の低下が原因とされている。現在は国境があるので簡単に南下してこないが、南下したい気持ちはあるのだろうと思う。

気温が上がったときには農業生産が増大して、それとともに人口が増加する。人口が増加すると、その地域ではその人口を養うことができないので、増加した分は、また移動をすることとなる。気温が上昇しても下降しても、結局人間は移動するものだ。11世紀から12世紀にかけた気温が上昇して人口が増加してので人々の移動が激化したと考えられる。それが十字軍であり、日本の関東を中心とする鎌倉幕府の発展なのだろう。

14世紀になると寒冷化してくる、増加して人口が邪魔になって、人口を減らすために戦争が起こるようだ。これがヨーロッパでは百年戦争、日本では南北朝の動乱となっている。16世紀に入ると気候も安定化してくる、ヨーロッパでは絶対主義国家が、日本では江戸幕府が成立する。17世紀後半また寒くなるとまた戦争や一揆がおこることとなる。結局人間も動物なので、気温の影響されて安定したり不安定のなったりするようだ。
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by qzr02421 | 2012-12-26 16:21 | 歴史

今日は討ち入りの日だ

今日は赤穂浪士の討ち入りの日だ。47人が吉良邸へ、1703年の事件だから、関が原の戦いから100年以上立っている事件だ。2012年の百年ほど前、つまり1910年には何があったのかわからないのだから、赤穂浪士にとって関が原の戦いは歴史的事件となっているはずだ。つまり戦国時代が終了した100年ほどあとの事件なのだ。平和に酔いしれている江戸の人たちを驚かせた事件ということでもある。

浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に対して刃傷におよんだ理由がさっぱりわかっていないし、47人といいながら、泉岳寺に行ったのは46人だし、わからないことが多い事件だ。この事件が今に至るまで伝わっているのは、この事件を利用して主君に対する忠誠を宣伝したい勢力があるからだとしか思えない。明治時代に天皇に対する忠誠とともにこの事件が脚光を浴びたのだと思う。

幕府に対して、文句を言うなど考えることができない時代に、敵討ちをしたというのはすごいことだけれど、それが今に至るまで、日本人の記憶に残っていることのほうがもっとすごいことだと思う。井上ひさしは『不忠臣蔵』を書いている。忠臣蔵において中心にならなかった人物を二人とりあげ、忠臣蔵を裏から描いている。CDも出ているのだが、これを朗読しているのが先ほど亡くなった小沢昭一なのだ。

松の廊下の刃傷で内匠頭を抱き止め吉良への遺恨を果たさせなかったのは、侍として不人情ではないか、おまけにそれで五百石の加増とはといって生涯にわって非難された人物とその人物をつけねらう人物の葛藤を描いた話と赤穂浪士が本懐をとげ切腹したあと泉岳寺にあらわれた尼僧の話のふたつが昭一の語り口で聞くと臨場感があるのだ。あっという結末もまた楽しいCDだった。
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by qzr02421 | 2012-12-14 19:05 | 歴史
2月11日は「建国記念の日」であって「建国記念日」とはちがうのだ。「の」があるかないかだが、歴史的事実か神話かというちがいがある。建国の記念というのは神武天皇が即位したという神話なのだ。紀元前660年に神武天皇が即位したということになっているのだが、この時代はあきらかに縄文時代かあるいは弥生時代なのだ。昔は弥生時代は紀元前3世紀にはじまるとされていた。最近の考古学の成果では農耕が弥生時代の特徴とすれば、弥生の年代が古くなっているのだ。

それにしても紀元前660年に歴史的な時代があったということはない。日本には文字がなかったので、紀元前後の日本の歴史は中国の歴史書の記事しか存在しない。中国の歴史書によれば、紀元前一世紀の記事では「それ楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国を為る・・・」とある。とても大和朝廷の存在は確認することはできない。そのような神話的な史実で建国記念の日を定めることはよくないとしてこの日に「建国記念の日反対の集会」が開催されている。

日本という国の意識が確立したのは明治時代以降である。フランス革命で成立した国民国家というものが日本で出来たのが明治時代ということでもある。国というのはもともと地方というような意味だった。「お国なまり」などという時の「国」の使い方で分かるはずだ。国家というような言葉が使用されるのも明治以降ということだ。昔は国のことは皇国(みくに)と呼んでいたようだ。愛国心というものの当然明治以降の成立したものだ。

明治時代に国民国家が成立し、国民というものが登場した。この国民が自由民権運動で政治の世界に興味を持ち始めた。藩閥政府はそのような国民の動きについて警戒したようだ。国民というものは税金を納め、兵隊として戦争に行く存在としか考えていなかったようだ。議会で国民が権利を主張する事について危惧を権力者が持った。そのため国民を臣民とするために教育を重視したのだ。いわゆる皇民化教育というものだ。現在では教育より宣伝やコマーシャルが国民洗脳の道具として使用されているようだ。反対意見が許されないようなことがあればそれは洗脳ということなのだ。
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by qzr02421 | 2012-02-12 19:37 | 歴史
NHKで「平清盛」をやっているが、この画像が汚いということで神戸だか兵庫だかの政治家が、NHKに対して批判をしているというニュースがあったのだが、中世末期などという時代は混乱の時代だから、現代風の清潔さを求めるのは間違っているような気がするのだが、見ている立場からすれば、現代風の映像で見たいということだろう。時代考証をじっかりすればするほど現代とはかけ離れていくので、違和感が増大するに決まっている。

江戸以前の人の使用する言葉の中で、きっと使用しない言葉が存在するのだ。明治以降の出来た言葉があるということだ。真理、幸福、社会、芸術、愛などという言葉は明治以降に出来たということになっている。江戸時代の人が「この芸術は素晴らしい」とか「幸福になろう」などという言葉を使うことはないのだ。

現代のドラマなのだから、言葉の使用についてそれほど神経質になることはないと思う。現代の問題を過去の歴史的事実を利用して描いていると思えばよいのだ。過去あった通り描けば、きっとその映像を理解することが出来ないはずだ。清盛の不潔な感じはそれなりに面白いものだ。風呂の入る習慣などとことだって近代の風習に過ぎないはずだ。歴史上の人物は現代の浮浪者と同じ臭いがしていたに違いない。

清盛は悪いやつという印象が強いが、貴族政権の中で武士政権を造ろうとした人物なのだ。新しいことをしようとした人物は批判されることが多いが、誰もやったことがないことが出来たということだけでも素晴らしいと言うべきだと思う。頼朝より清盛の方が本当は素晴らしい人物だったに違いない。鎌倉幕府が出来たからこそ、清盛の評価は低いということでもある。新しい政権は古い政権を批判しないと正当性を言うことができないということなのだ。
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by qzr02421 | 2012-01-19 22:58 | 歴史
人間は節目で変わろうとする動物のようだ。正月、新しい年を迎えて今年の抱負を考え、それで一年を過ごそうとするものだが、12月にはその抱負が実現できないでガッカリすることが多いものだ。人間は変わろうとするのだが変われないものなのだろう。明治時代に入っても江戸文化がなくなったわけではないのだ。明治文化の基本は江戸文化由来の庶民文化つまり、浮世絵や歌舞伎が反映をしながら欧米の文化が都会で発達するというものだ。

都会では欧米文化、つまり鹿鳴館や洋装が流行したり、精神的には自由、権利して人権などが流行するのだが、農村では江戸のままの文化が存続していたのだ。政府でも欧米文化をどの程度取り入れたらよいのかという対立もあった。森有礼などは日本語を廃止して英語にしようと画策したのだ。森有礼は暗殺されるので日本語が廃止され英語になることはなかったのだが、この欧米文化至上主義に対して、日本文化を守れという国権主義(国粋主義)も台頭してくるのだ。

神仏分離令があり、神社と寺院が分かれてしまった。神仏習合が日本の宗教の基本だったのだ、これが別れ別れになってしまったのだ。神の仏の同じものだったのに、神だけが特別扱いになった。その神と天皇制が結びついて近代天皇制が形成されたのだ。庶民が臣民つまり天皇の家来となったのだ。臣民としての男子は国のために戦い存在と規定された。古代の防人が日本を守ったとされ、日本人は古代から国を守った存在とされた。防人は税金の一種であり、当時の人々が積極的に国を守ることはなかったのだ。

臣民としての女子は夫や子を戦場に送る存在とされた。そのために神功皇后の三韓征伐が史実とされたのだ。学校で臣民教育が行なわれ、日本人は日本国民、日本臣民という意識を植え付けられ、そのことは国民国家成立の要件として重要なことなのだ。フランスでもドイツでも同じように国民意識を高めようとしたのだ。日本の場合はその臣民教育が特攻隊、つまり国のために命を捨てるというところまでいってしまったところが問題なのだ。
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by qzr02421 | 2012-01-12 21:21 | 歴史
カルチャースクールでアジアと日本という題で話した。日本はユーラシア大陸の東の果てだ。いろいろな人々そしていろいろな文化が訪れ、そこで融合され日本の文化が形成されたのだ。一方では西の果てはイギリスだ。東の果ての日本は鎖国をして海洋国家になることはなかった。信長や秀吉の時代には東南アジアまで貿易圏を広げたのだが、家康の時代には人々は土地の縛り付けるという時代となった。

どうして西の果てのイギリスと東の果ての日本とでは状況が変わってしまったのだろうか。それは食文化のあるのではないだろうか。縄文時代の、三内丸山遺跡の人々は豊かな食生活だったそうだ。現代の科学では骨を分析することによりどのような食生活をしていたのか分かるそうだ。それによるは縄文人は現代人と同じくらい豊富な魚を食べ、そして植物や動物を食べていたらしい。食生活が安定していると海外への関心も減少するということだ。

一方イギリスの小麦はまずいのだ。イギリスの食べ物はおいしくないということ常識だ。だからパンを焼いてバターをぬるのだ。フランスの小麦は美味しいので、その小麦で作ったフランスパンはおいしいのだ。フランスパンは焼かなくてもそのままでも美味しいのだ。食物が美味しくないイギリスは、美味しいものを求めて海外へ進出したに違いがないのだと思う。アジア諸国の豊かな食べ物があったので、腹ペコのヨーロッパの植民地となったのだと思う。

この縄文の豊かさの上に弥生文化という農耕文化が形成されたのだ。食べ物が豊かな日本だからこそ、いろいろな文化を吸収して日本独自の文化を作り出したのだ。その形成過程で中国経由の仏教を受け入れた。どうして仏壇や墓の花は生きている人に向いているのか。それは道教の影響で先祖信仰があるからあと考えられている。墓や仏壇に向っているのは、ご先祖様が私たちを見守っていてくれることを確認しているのだ。花を私たちは購入しているのだが、実は
ご先祖様が私たちの下さっているということなのだ。
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by qzr02421 | 2011-11-09 19:43 | 歴史
言葉の意味を調べるときに一番使ったのは、かつては辞書だった。現在では電子辞書が中心だが、電子辞書では足りない分はネットで調べている。電子辞書はその言葉を書いた人が署名入りで存在するのだが、ネットで調べたものは署名がないことが多い。どこまで信じたらよいのかという問題が残ってしまう。鎌倉時代は彫刻の時代と言われているのだが、なぜ彫刻の時代とよばれるのかを調べようとすると、ネットでも辞書でも壁が存在するのだ。

単純な言葉の意味は分かるのだが、ネットなどで調べることによって疑問が解決することが多くはない。自分の知識を再確認することもあるのだが、その再確認ができないことも多いのだ。自分の知っている知識の出典を知りたいのだが、それが分からないのが歯がゆいものだ。授業などで話すときは、出典の確認は重要なことなのだ。自分だけが言っているだけでは権威がないということだ。この説をとなえている人物を特定することが大切なのだ。

鎌倉時代にはどうして素晴らしい彫刻が存在するのかはよくは分からないのだ。教養がない武士の存在と関係があることはわかるのだが、教養がないことだけを理由にはできない。平安時代は抽象的な文化を理解できる貴族存在した。鎌倉時代の中心的存在の武士は教養がないので、具体的な彫刻を愛してという説を立てることが可能なのだが、それを証明することはきわめて困難なことなのだ。それにしても鎌倉時代だけが、ミケランジェロに匹敵するような彫刻が生まれたことはすごいことなのだ。すごいことなのだが、その理由が分からないのはもっとすごいことなのだ。

何も疑問を持たないで歴史を見ると、その程度の歴史しか見ることはできないのだ。歴史を見るときには、疑問を持つことが大切なのだ。当たり前と思っていることを疑うことから歴史研究は始まるのだ。当たり前のことを疑うことが実に難しいことなのだ。疑問を持つことが出来れば、歴史の扉は開かれている
思った間違いがないのだ。
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by qzr02421 | 2011-10-19 21:06 | 歴史
ギリシア神話ではガイアは女性神で最初の神だ。古事記の始まりも神は一人で、一人の神は一人ぼっちで消えていくのだ。男女の神が現われないと歴史にはならない。歴史は男と女が作っていくということを象徴しているのだ。古事記はイザナミとイザナギの男女の神の子作りから始まる。この二人は最終的には憎しみあい対立するのだが、これも男女の宿命を現しているよだ。鬼嫁という言葉があるが、それは歴史が証明しているようだ。

ギリシア神話ではガイアからガイアの夫のウラノスがうまれ、ウラノスがガイアに覆いかぶさり子作りをするのだ。この子どもをウラノスはガイアの下に隠してしまうのだ。子どもを隠すウラノスに対して、戦いを挑む子どもが登場する、それがクロノスだ。クロノスとは時間を支配している神だ。このクロノスがウラノスが大事な部分を切り取る話しは有名だ。このクロノスも自分の妻との子どもを全部食べてしまうのだ。男というか夫というのは仕方のない存在と描かれている。

食べられずの生き延びたクロノスの子どもがゼウスなのだ、このゼウスがクロノスを滅ぼしギリシア神話の中心的な話しがはじまるのだ。父を殺して子どもが成長するという話しのようだ。息子は父を殺して成長するというのはまるでフロイトだ、あるいはフロイトはギリシア神話から精神分析を考えたということだろう。古くからある事実の方が影響を与えたと考えるのが筋だろう。

このギリシアで哲学が始まる。万物の根源を何かを考えたのがターレスだ。ターレスは万物の根源は水と考えた。これでは火は生まれない。もともと火や土などがあるという一元論でない思想も生まれた。あるものはある、ないものはないという哲学も生まれる。数学が基本だというピタゴラスも出現する。ソフィスト、無知の知で有名なソクラテスが生まれる。二元論プラトン、学問の基礎のアリストテレスも生まれる。紀元前にこのような思想が現われたことがすごいことなのだ。
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by qzr02421 | 2011-09-24 17:48 | 歴史