本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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カテゴリ:評論( 50 )

「子どもを誉めて育てろ」という教育論があり、それが主流になっている。昔はスパルタ教育という言葉もあった。子どもは誉めた方がよいのか、厳しくしつけたほうがよいのかという問題がある。ブッダではないが、誉めるのと、厳しいのという中間がよいのだろう。しかす、中間というのは相対的なもので、分かったようで分からない位置にある。

子どもが当たり前のこと、つまり、当然やるべきことをやったときには、誉めない方がよいだろう。その時、親は「ありがとう」という感謝の気持ちを述べるのが適当な言葉だ。当然のことをしたときに、誉めるのは変だ、しかし、ここで誉めると、子どもは、自分のやった行動に対して、誉められるというご褒美を要求するようのなるだろう。少子化で子どもを甘やかすと、あとで大変なことになるのだ。

最近の子どもは、誉められることになれているので、誉められないと、不満そうな顔をすることが多い。しかし、苦労したことは、誉められることは当然だが、苦労しないことに対しては、謝辞が適当ということだ。何事もバランスが大切だ。誉めるとおだてるということの違いを考えることが大切だろう。

最近の子どもは、叱られるとビックリして、それなりに反応して、自分の行為を反省することもある。それが人間らしい行動だと思う。叱られた、ハットするということを繰り返すことによって、自分の生き方を見つめ直すと思う。叱る、誉める、おだてる、それらのことが、バランスよく配分されることが大切なことだ。言うのは簡単だが、やるのは難しいことだろうが、やるしかないということでもある。
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by qzr02421 | 2009-05-27 18:22 | 評論
イランでアメリカのブッシュ大統領が靴を投げられたというニュースが話題となって、そのゲームもネットでは流されているということだ。ブッシュは1秒で投げられた靴を、実に上手に避けている。5メートルの距離だから、避け方は上手だ。子供のころリトルリーグのキャッチャーをしていたということだ。あの年で避けることが出来たのはビックリした。

靴を投げた記者は人気者になったらしい、結婚させたいという富豪が登場し、その富豪の娘も同意をしているということだ。あったこともない男との結婚を考える人もビックリだが、それを同意する娘にもビックリだ。また、投げた靴を8億8000万で買いたいという富豪もいるらしい。買った靴を博物館に展示したいということだ。

日本は不景気で、株がさがり、内定取り消し、正社員の整理が行なわれている今、8億8000万で買う人がいるというのは、世界は貧富の差が激しいということだろう。それにしても、ブッシュやアメリカの正義はイスラム社会では通用しないということを意味しているような気がする。グローバル経済というのは、アメリカ中心の経済のように見える。これからの世の中は、封建時代のように時代の戻るのだろうか。大量生産・大量消費という時代の終焉ということのように見える。

日本の人口も1億をきり、8000万ほどのなると予想されている。拡大する経済の時代は終わったのだろう。身の丈にあった生活をすることが求められていると思う。消費の時代は終わったということが、やがてハッキリするだろう。
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by qzr02421 | 2008-12-20 11:02 | 評論

私たちは出来る

気候が暖かかったり、涼しかったりで、風邪?をひいたのか、微熱があるようだ。長男も微熱があるようなことを言っていた。体調管理は重要な季節なのだろう。微熱も長く続くと心配なものだ。ところで大統領選挙も終わり、黒人の大統領が誕生するようだ。

アメリカという国は凄い国だ。日本やヨーロッパでは起きそうもないことが起きるのだ。暗殺される危険性も指摘されている。日本の人がオバマさんに期待するなどといっているのを聞くと、オバマさんはアメリカの国益を考えて行動するのであって、日本の利害のために行動するわけではないという思いがかけ巡る。

マッカーサーが来た時も、これで民主主義ということで、彼に期待したということなので、日本人は外圧に弱いし、外圧頼りということのように感じる。日本人が頼るべきは、また、要求すべきは麻生総理のはずだ。日本はアメリカの州ではない。独立国の日本ののだ。

しかしオバマさんの演説は凄い。「私たちは出来る」、WEが主語となっている。Iではない。「アメリカ人の力を信じている、私たちはなしとげることが出来る」となる。オバマさんがリーダーではあるが、実行するのはオバマさんを含めたWEということだ。

自己責任、自己決定をよく口にする日本の政治家はYOUが主語になって、弱者を批判する傾向にあるように思う。日本の政治家も「WE」を主語にして、日本国民に語りかけて欲しいものだ。「あなたの努力が足りない」ではなくて「ともに豊かになりましょう」といって欲しい。
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by qzr02421 | 2008-11-06 16:47 | 評論

豊かな人生は・・・

「感動することが若さを生む」ということを茂木健一郎が言っている。「感動が脳を進化させる」とも言っている。アインシュタインは「感動することをやめた人は生きていなと同じことだ」と言っている。

感動すると若さと長生きを生むというのは面白い考え方だ。何かを知りたい、何処かに行きたいという思いを持つ人の方が若く長生きする可能性があるのは当然のような気がする。何もしたくないと家に引きこもる人が長生きするとは考えることができない。

世の中に知らないことがたくさんある、それを知ろうという欲望が若さと長生きを生むということだろう。あるいはその欲望を持った人の誰かが長生きをするということだ。知ろうとしなければ、分かるということはないのだ。

また、豊かな人生はパートナーの理解が不可欠だ。パートナーの理解は共感から始まるということだ。「自分の気持ちも上手くコントロールできないのに、他人の気持ちをコントロールできるはずかない」というのが原則なのだ。

相手をコントロールするのではなく、その人の心に添うということが大切なことだ。相手に共感するということは「思いやり」ということばで表すことができる。感動、共感、体験(知識)、意欲(欲望)が独創性と若さと長生きを生むということだろう。
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by qzr02421 | 2008-09-28 05:18 | 評論
何も努力しない人が独創的な業績を得ることはない。体験や知識が基礎になり創造性は生まれるのだろう。受験勉強をしていて、問題を読んで、答えが思い浮かばなければ、勉強をしたことにはならないと考えている。

問題の答えは考えて出てくるものではない。問題を読んだ瞬間に思い出すものだ。それを思いつきとよぶ。知識や経験が背景になって、答えを思い出すのだ。あるいは答えが浮かび上がってくるのだ。これを思い付きではなく、ひらめきといってもよいのだ。

ともかく、体験すること、問題演習をすることが重要なことのだ。体験や知識を得ることが独創性の基礎ということだ。もうひとつ独創性に重要なことは、意欲だ。意欲というのは欲望ということだろう。

それが知りたいという欲望だ。それを知ること価値があることだという思い込みが必要だ。根拠のない自信でもないよりはよい。ともかく始めることだ。始め、一歩を踏み出せば、新しい世界が開けてくるものだ。あるいは、踏み出した人の誰かが、何かを掴む可能性があるということだ。

成功するイメージを思い浮かべることも重要だ。ともかく、悩んでいないで、一歩踏み出すことから始めてみようではないか。
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by qzr02421 | 2008-09-27 07:53 | 評論
勉強しても仕方がない。勉強など意味がない。そのように言う人がいる。努力しても見返るがないということだろう。しかし、宝くじが当らないといって、宝くじを買わなければ、絶対当ることはない。

だから、無駄だと思われる努力をしないと、望む結果は得ることが出来ない。努力をしても報われるかどうかは分からない、しかし、努力した人の誰かが、その努力が報われるということは間違いない。宝くじを買った人の誰かが、何億円かを手に入れるとということと同じだ。

努力しても、成果が得られないなどという風潮が生まれたのが何時からだろうか。誰かの陰謀ではないだろうか。人間は努力し続けるしかないはずか。何か用意をした人だけが、何かを得る可能性があることは間違いないことだ。

親が「勉強などしてもたいしたことがない」というメッセージを送ると、子も勉強しなくなるのは当然だろう。明治の親は「立身出世」「末は博士か大臣か」と言って教育を重視した。教育を重要と考えた社会の中から、世に出る人があらわれたのだ。

努力をして、学び、活動することは決して損なことではないということだ。努力している人の誰かが、何かを掴むということは間違いない。努力している人全員が何かを掴むことはないが、努力をしない人は絶対掴まないことは間違いがないことなのだ。人生はとりあえず努力することが重要なことだと思う。
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by qzr02421 | 2008-09-26 12:54 | 評論
リスクをヘッジするということはどういうことか?ヘッジというのは「予想される危険の備えること」だ。リスクのヘッジは個人ではできない。手段という単位でないとリスクは回避できないのが原則だろう。

東海大地震というリスクを回避するなら、まず、住んでいる家を耐震様式にするということは重要だ。しかし、個人で出来る努力は限界がある。子どもが二人いるなら、地震が想定されない地域に引っ越させるという手もある。

子どもが二人いるなら、一人は海外に、一人は沖縄に移住させるという手もある。親は移動しない。海外、沖縄、住んでいる所と3箇所あれば、誰かが生き残るだろう。そのようのするのがリスクをヘッジするということだ。リスクのヘッジは自己責任では回避できないということだ。

自己責任という言葉があるが、人は一人で生きているわけではない。集団を形成して生きているのが普通だ。一人の判断ミスが集団の絶滅を可能性もあるのだ。最近の人は自己責任という言葉が好きなようだが、それは誰かの騙されているのではないだろうか。

安倍さんや福田さんは辞任したが、安倍一族や福田一族は滅亡するわけにはいかないのだ。生き残りをかけて活動しているはずだ。自己責任という言葉を信じて滅亡するのは、案外、格差社会でいう下の階層ではないだろうか。

最近の現状は、何故か、下層の人に不利になるような政策を、下層の人が支持するという傾向がある。新自由主義を旗印にした小泉さんを支持したのも下層の人のようだ。新自由主義というのは「小さな政府」を目指すのだから、福祉や社会政策を切る捨てるということだ。福祉や社会政策を必要とする人が小泉さんを支持するという不思議な現象があるということだ。不思議な世の中だ。
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by qzr02421 | 2008-09-25 13:38 | 評論
「9月13日、愛知県岡崎市を震源とする大地震が起きる!」といううわさはブラジル人の自称予言者のものだ。もう少し詳しく書けば、マグニチュード8.6の地震で、600人以上の死者というのだ。麻生さんではないが、岡崎だから600人で、大都会の名古屋だったら大変ということになるのだろうか。

これがネットで流れて、防災用品などが売り切れ、品切れになってそうだ。オイルショックの時のトイレットペーパのようだ。自分だけまず助かろうということだろうが、備蓄がなかった神戸でも、餓死した人がいないようだから、そんなに心配しなくても良いようにも思うが・・・まあ、ないよりはあったほうがよいだろう
 
子供の間でも地震のうわさが拡大したらしい。ヤフーのニュースでは「友達と『部活を休んで逃げようか』『死ぬんだったら宿題しなくていい』という話で持ちきりだった」とある、また男子生徒は「信じてない子が多かったが、水や食料を買いだめした子もいると聞いた」。「家の中でも通学用のヘルメットをかぶっていた」「地震を避け、家族で長野県の親類の家に行った」との例もあったと書かれている。

ブラジル人の予言者は、地震が起きないことについて「ハッピーなことだ」とコメントしているそうだ。まあ、予言を言う人はそのようなものだろう。落語の「明日雨のような天気ではない」の類だ。「ような」の後に点を打つ場合と、一気に読むときの違いだ。これは「いやよして」も同じ遊びだ。「いや、よして」か「いやよ、して」の違いだ。

ヤフーには「雑誌に載った10人の予言者の予言、計360件のうち、当たったのはたった4件だったという。予言の99%は外れている」と書かれている。また「天変地異の予言に関して言えば、過去、多くの占師や予言者がさまざまな警告を発してきたが、大災害の起きる年月日や場所を正確に当てた例は皆無だ。今回の予言者にしても、08年1月から9月の間に世界で起きるという大地震を20件予言したが、見事にすべて外している」とも書かれている。何を信じて、何を信じないのかは自分で判断して、まあ、適当な防災の準備をすることが肝心だろう。
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by qzr02421 | 2008-09-23 15:25 | 評論
福田首相が辞任を宣言した。安倍に続いて簡単にやめて欲しくない。近代国家の基本は誰が首相になってもあまり変らないというのが基本だ。誰がなっても安定した政治が行われるというのが基本ということだ。

強力なリーダーシップを持った人間が出現し、国をリードしていくというのは古代や中世の国家の形態ではないのか。古代の国家は有能な国王が出現をするとその国は極度の繁栄をするのだ。カエサル、トラヤヌス、アショカ王、カニシカ王、始皇帝、武帝、玄宗、クロムウェル、カールマルテル、カール大帝などが有名だ。

国民はリーダーシップを持つ政治家を希望するということは良くないことだと思う。リーダーシップがないということこそが現代の政治家の資質のように考える。そういう意味で福田首相が辞任するということは納得できない。

民主党が反対するから国会が混乱するから、辞任するというのも納得できない。ねじれているのだから、その中で、解決する方向を探るというのが筋ではないのか。国民という目線があれば、それで政治はできるのではないのか。坂本竜馬のように、前のめりで死ぬという生き方はできないのか。情けない政治だと思う。

自分の死をかけて政治をするということはできないのか、そういう意味で井伊大老は立派と思う。篤姫をNHKで放送されているが、日本のための、日本国民のための政治をするという意気込みを、今の政治家に感じることができない。
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by qzr02421 | 2008-09-01 21:52 | 評論
南山大学で毎年シリーズの講演会が開催されている。今年のテーマは「大学院の授業を聞きに行こう」だ。6月28日(土)が第3回目で「人間の言語について考える」という演題で、人間文化研究科言語科学専攻の有元教授の話だった。

無料ということもあるのだろうが、大教室がうまっている。年配の人が多い、団塊の世代よりは上のように感じる。女性はどこでも元気だ。90分の講義の後、質問の時間が30分ほほどある。

年配の人は質問もよくする。質問なのか自分の意見なのか分からない人も多い。何を質問しているのか分からない人もいる。それもまた楽しいことなのだ。「質問がシンプルにできないのはなぜか」ということをいつも考える。

質問より前口上が長いということはどういうことだろうか。理解が不十分ということか?質問する人がただ目立ちたがり屋ということか?質問をするということは本来はとても難しいことなのだ。

今日の問題意識は「ちがう点を探すより、共通点を探したほうがよい」というものだ。物事の共通点を探すほうが、学問の発展性があるということだろうか。これは重要な指摘だと思う。少し考えなければいけない課題だ!

言語ということがテーマだが、言語をもたない人間社会は発見されたことはないのだそうだ。また言語の中に、優劣はないとのことでもある。文化の違いは異質ということで、劣った文化というものは存在しないということだ。

エスノセントリズムではなく、マルティカルチャリズムということだ。自分の文化以外の文化を低いものという認識をもつのはヨーロッパ文化の特徴か?民俗学や文化人類学は滅びる文明を記録するという正確が強いように感じる。

ともかく、異質な点よりも共通な点を探す、発問することの重要性、語彙よりも文法の方が重要だなどということを学べる講義だった。
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by qzr02421 | 2008-06-28 21:47 | 評論