本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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格差社会の一面をあらわしているのか

景気が悪いと言っても、格差社会という言葉があるように、凄く悪くなった人たちと、それほどでもない人たち、さらには、よくなっている人たちもいるようだ。中流の崩壊で、皆が平等の生活というものがなくなっているように感じる。29800円の旅行を久しぶりに申し込み、参加した。九州4日でこの値段だ。飛行機代、ホテル三泊、バス代、どこの儲けがあるのか、あるいは普段は儲けすぎているのか、まったくよくわからない値段だ。

それはともかく、セントレア14時というとても中途半端な時間のフライトで福岡空港に向かった。セントレアもできたときには結構な人が押し寄せたのだが、最近は閑散としているように感じた。出発前に若鯱屋でカツ丼定食なるものを食べたが、それほど昼時なのに、混んではいなかった。もしくは行列はできていなかった。それでも食べている人がいるのだから、格差社会の一面をあらわしているのかもしれない。

福岡空港に到着、ホテルまでの送迎バスに乗る。福岡は曇りだった。天気予報は雨時々曇りだから、雨が降らなければラッキーだろう。今夜泊まるホテルは「唐津ロイヤルホテル」だ。17時頃到着、夕食が18時半ということで、「唐津城」を見学に行った。この時間だから外観を見るだけだ。ホテルから西に向かうと橋があり、そこからの唐津城は素敵なものだった。小笠原家の居城だ。実は、唐津城を築城したのは寺沢氏(寺沢氏は断絶した)で、次には播磨国明石城主大久保忠職が城主に、大久保氏が下総国佐倉城に転出し、松平乗久が入城し、松平氏が志摩国鳥羽城に転出し、土井利益が入城し、土井氏が下総国古河城に転出し、三河国岡崎城より水野忠任が入城し、その転出後、奥国棚倉城より小笠原長昌が入城し、その後明治維新まで小笠原氏の居城となったというわけだ。江戸幕府の転封の様子がよく分かる例だと思う。


あとから聞いた話では、5層くらいの城が復元されているのだが、実際は砦のような構造の城だそうだ。城というのは、砦にようなものだから、あの5層のものは天守閣と呼ぶのだろうが、唐津城は天守閣はなかったということだ(最初はあったという記録もあるそうだ)。橋から見ることができる天守閣は、町おこしの一貫として作られらたものなのだ。町の有力者の意見でつくられたらしい。小牧城と同じだ。小牧山の上に立つ天守閣も、歴史的にはおかしなものなのだ。
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by qzr02421 | 2009-03-03 08:24 | 旅行