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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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おや、川にはいっちゃいけないたら

声を出すということは難しいことか?世間話をすることはできるが、語るということができないということだ。おしゃべりはできても、文学作品を語ることができないということだ。明治時代は、識字率の問題もあるだろうが、家庭でだんらんを過ごす時に、物語が音読で読まれたということらしい。つまり、読むという行為は、読み聞かせが普通だったということだ。

かつては、家にはたいして本はなく、借りてきた「八犬伝」などを毎晩、誰かかが、お父さんが多いらしいが、面白く読んで聞かせ、その語りの中で、お母さんは縫いものをしながら、お姉さんは編み物をしながら、家中で聞いていたのが、明治の家庭のようだ。

ところで、近代演劇は小山内薫は、演劇を「第四の壁」と位置づけた。四つ目の壁を外して、そこに観客席を据えて見るのが舞台ということだ。ジュリアン=ジャンなどが唱えた理論だ。この第四の壁の内部では内的な必然による生きた人間の関係が必要となるのだ。そこで、世界が完結することが必要となるのだ。

演劇では「はなす」、「かたる」、「うたう」という三つの要素があるのだ。この三つを使い分けることが大切ということのようだ。分かったようで分からないことだ。以上のことはしかたしんの『文学と演劇の間 語りの世界が拓くもの』を読んで、気になったことを記したものだ。最後に、『オツベルと象』の最後の部分に「おや、川にはいっちゃいけないたら」という文章がある。どういう意味か分からなかった。

牛飼いが、物語を語っているうちに、子どもが川に入ったという考えや、牛が川に入ってという考えも成立する。この本では、白象が自分の無力さに目をそむけて、彼岸に行こうとしたということも考えられるというのだ。やせた白象が死ぬということだろうか。いろいろな考えができるものだ。
by qzr02421 | 2009-02-06 13:49 |