人気ブログランキング | 話題のタグを見る

本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

考古学は侵略の根拠に使われたという

「縄文土器はなかった」という講義を南山大学で聴いた。一般の人対象のもので「大学院の授業を聞こう」などというテーマの講座だ。ところで、縄文土器というのは日本という枠組みの中での論議ということだそうだ。明治時代に大森貝塚を発見したモースは、日本には世界と同じように古い土器があるということいっただけということだ。縄文土器は日本固有ではなく、歴史時代以前のことで、それは世界中同じ現象があるということらしい。そのため、モースは縄文土器にあたるものを英語でコードネームと呼んだということだ。

モースはそのように考えたのだが、明治の日本人は日本という存在は古くからあり、歴史が継続している国と考えたかったということだ。文化は西から東に移るということも、同時に主張されたそうだ。つまり、日本の文化は西からきた、西に向かった領土拡大をすることは故郷に帰ることと同じだという論理になるとのことだ。

考古学は侵略の根拠に使われたという話だった。西から来た日本文化は、当然西を征服しても故郷に帰ると同じだということだ。おそろしい論理だと思う。同時に西日本が日本の中心として発展してきたという論理を組み立てたということだ。大和朝廷を中心とする地域が日本を支配して、アイヌ人や琉球の人を支配したという論理を組み立て主張したのだ。

縄文時代は大陸と関係のある文化が存在するということが言いたいらしい。その後弥生時代に入ると、東北の縄文文化と西日本の弥生文化が並存した時代があったということだろうか。弥生時代は、北のアイヌ文化、東北の縄文文化、西日本の弥生文化、九州南部の文化、そして琉球文化というのが並立していたと考えたほうが面白そうだ。何も天皇中心の歴史観を持つ必要もない。東アジアから見た日本という視点も重要だと思う。
by qzr02421 | 2008-12-02 18:57 | 歴史