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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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生きる意味を問うても意味がない

「余計なことをするのが人間だ」と内田樹さんは言っている。人生は一本道ではなく枝道が一杯あるということだろうか。「余計なコミュニケーションが人を育てる」とも言っている。人生は余分なことの連続ということだろう。「それがどのような役に立つのですか」という問は意味がないということだ。

高校生は「それを学んで何か役に立つのですか」と聞くことがある。学ぶ前から「役に立つか立たないか」分かるはずがないというのが内田さんの立場のようだ。「生きることにどのよう意味があるのか」という問いはありえない。あるときにはその問を持つ人はこの世にいないはずだ。この世に生きているならば、生きる意味を見つけたということだ。

勉強する目的も生きる目的と同じだ。そのような問い存在しないのだ。ブッダも「そのような問を持つことは意味がない。死のうとする時、生きる意味を問うても意味がない」のだ。問が存在しないということを考えたほうがよいのだろう。

問を立てることができるということは、その問題の答えが薄らぼんやり分かってきたということだろう。何も分からなければ、問も立てることができない。答えが分かっていれば、問を立てることもないだろう。問というのは分からないと分かるの間にあるということだ。
by qzr02421 | 2008-09-23 10:03 |