他人を、敵だという認識を持つ?
2008年 06月 27日
人間関係はフラットか段差があるのかということを考えよう。『平成人』という本では、平成生まれの若者は、人間関係に上下を感じなようだと分析している。人間関係に段差を感じないということをフラットと言うらしい。学校では先輩を下の名前で呼び捨てにするそうだ。教員に対しても素直な関係で接することが多いと思う。
生徒同士の会話は、教員には分からない。生徒は教員に対しては、一応敬意を表すふりをするものだ。あるいは敵対心を持って接するのだ。教師は敵は友達かどちらかという感じのようだ。基本的には、親や教師を友達感覚で接するという高校生は多いようだ。
他人を、敵だという認識を持つということがない。歴史を勉強すると、弱肉強食の人間関係というものがあるということが分かるはずだが、それは歴史の世界だけもモノという認識のようだ。他人を悪い人だと疑わないという素直さがあるのだが、それはある意味、危険なことだとも思う。
この感覚は、感覚なので、その人しか分からない。病気と同じで、病気になった人しか分からないことというのはあるのだろう。分からないものは分からないというのが基本だ。
平成の若者の性質は、昭和人には分からないということだ。
昭和の若者は(今現在は若者ではないが・・・)社会に不満(不安)をぶつけ、和解することで大人へと成長し、社会も若者の不満(不安)に応えることで進化したという分析だ。
平成人は物言わぬ少数派で、疑問や不安を大人にぶつけ挑むより、友だち同士でキズを舐めあうという形で不安解消をするというのだ。時代が変れば、人も変るというということか?
生徒同士の会話は、教員には分からない。生徒は教員に対しては、一応敬意を表すふりをするものだ。あるいは敵対心を持って接するのだ。教師は敵は友達かどちらかという感じのようだ。基本的には、親や教師を友達感覚で接するという高校生は多いようだ。
他人を、敵だという認識を持つということがない。歴史を勉強すると、弱肉強食の人間関係というものがあるということが分かるはずだが、それは歴史の世界だけもモノという認識のようだ。他人を悪い人だと疑わないという素直さがあるのだが、それはある意味、危険なことだとも思う。
この感覚は、感覚なので、その人しか分からない。病気と同じで、病気になった人しか分からないことというのはあるのだろう。分からないものは分からないというのが基本だ。
平成の若者の性質は、昭和人には分からないということだ。
昭和の若者は(今現在は若者ではないが・・・)社会に不満(不安)をぶつけ、和解することで大人へと成長し、社会も若者の不満(不安)に応えることで進化したという分析だ。
平成人は物言わぬ少数派で、疑問や不安を大人にぶつけ挑むより、友だち同士でキズを舐めあうという形で不安解消をするというのだ。時代が変れば、人も変るというということか?
by qzr02421
| 2008-06-27 07:49
| 本