ラブレターの返事は「な」の字でよいという
2008年 06月 23日
木曽義仲館に行った。中津川で高速を降りて、19号線を北上し、宮ノ越を過ぎたところで左折し、南に下ったところにそれはある。私たちしかいない、さびしい資料館だった。金曜日の昼過ぎということもあるのか?
館長さんが一人受け付けをしていた。地元の校長先生風の人だった。「そこらの資料を持っていっていいよ、テープの案内か、私の案内どっちがよい?」と聞かれた。テープでよいと思ったが、思わず「どちらでも」と言ってしまった。
テープが流れ始めたので、やれやれと思ったら、校長先生風の人が、登場し、説明を始めたのだ。説明は、内容的には詳しいのだが、説明がつまるのだ。人の名前が出てこないという感じだ。
木曽義仲と巴御前と家臣の等身大の人形の前での説明から始まった。貴種義仲と気丈な女性巴の出会いからだ。以仁王の令旨で挙兵し、北上、倶利伽羅峠戦いそして、京都入城、西への戦い、そして義経との戦いと説明は続いた。
比叡山へのラブレターの話しで、ラブレターの返事は「な」の字でよいという話しだったが「な」の字とは何かわからない。また「教養人だから知っていると思うが」という枕詞が説明の前に必ずあり、妙にその言葉が印象に残ってしまった。
色々な文書があるのだが、本物ではないだろうが、何の説明もなく、これでも博物館といえるのかという事を考えながら、見学した。木曽義仲の子孫は江戸時代まで生き延び、大名として領地を支配してるという系図があり、源頼朝系は滅びるのに、義仲系は生きのビるということに、なぜか感動してしまった。
その後、義仲の墓のある徳音寺を件が見学した。犬山城主の成瀬氏が寄進したという山門が立派だった。ここでバスのツアーに出合った。ツアー名は「木曽義仲と奈良井宿を巡る」というものだった。人が来るのだという感想を持った。
館長さんが一人受け付けをしていた。地元の校長先生風の人だった。「そこらの資料を持っていっていいよ、テープの案内か、私の案内どっちがよい?」と聞かれた。テープでよいと思ったが、思わず「どちらでも」と言ってしまった。
テープが流れ始めたので、やれやれと思ったら、校長先生風の人が、登場し、説明を始めたのだ。説明は、内容的には詳しいのだが、説明がつまるのだ。人の名前が出てこないという感じだ。
木曽義仲と巴御前と家臣の等身大の人形の前での説明から始まった。貴種義仲と気丈な女性巴の出会いからだ。以仁王の令旨で挙兵し、北上、倶利伽羅峠戦いそして、京都入城、西への戦い、そして義経との戦いと説明は続いた。
比叡山へのラブレターの話しで、ラブレターの返事は「な」の字でよいという話しだったが「な」の字とは何かわからない。また「教養人だから知っていると思うが」という枕詞が説明の前に必ずあり、妙にその言葉が印象に残ってしまった。
色々な文書があるのだが、本物ではないだろうが、何の説明もなく、これでも博物館といえるのかという事を考えながら、見学した。木曽義仲の子孫は江戸時代まで生き延び、大名として領地を支配してるという系図があり、源頼朝系は滅びるのに、義仲系は生きのビるということに、なぜか感動してしまった。
その後、義仲の墓のある徳音寺を件が見学した。犬山城主の成瀬氏が寄進したという山門が立派だった。ここでバスのツアーに出合った。ツアー名は「木曽義仲と奈良井宿を巡る」というものだった。人が来るのだという感想を持った。
by qzr02421
| 2008-06-23 15:10
| 旅行