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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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「いじめ」の傍観者になり易い母親像とは?

「私」というのはラッキョウの皮みたいなもので、むいてもむいても下から別の皮(つまり私)が現われるもので、どの皮(私)が本当の自分かということを考えても意味がない。本当の自分(私)というのは重層的な構造をしているということだ。

私を形成するときの模範となるのが「母親」の存在だ。残念ながら父には出番がないようだ。こどもは母親だけを他者として成長していくという。つまり母親以外のすがる人もいない。極端にいえば、母親の顔色を伺って、成長していくのだ。

親にムカついている子は「いじめ」の加担者や傍観者になり易く、親と良好な関係にある子は、「いじめ」をとめに入ることが多いという。これもそのような傾向にあるというだけで、絶対ではないようだ。

「いじめ」の傍観者になり易い母親像というものがあるそうだ。それは「得をしたいという欲望もないが、決して損な役回りを引く受けたくない。あくまでも守りの姿勢を崩さない。空気をよく読んで、損な言動は控える。無難で世間体はよければよい。わが子には夫のようになって欲しくないと考え、それでいて尊敬に値しない夫の庇護のもとで安穏と胡坐をかいている」というような像ということだ。
by qzr02421 | 2008-06-19 14:07 |