続けてやっていれば、日の目が当たる?
2008年 06月 14日
沖縄観光の二日目の続きだ。「森のガラス館」見学だ。琉球ガラスの工房と販売の店だ。琉球ガラスは戦後盛んになったものだ。ガラスの製作技術は明治の終わりごろには伝ったようだが、クズ瓶を利用してコップなどを製作するのは第二次世界大戦後のことだ。
この製法をベトナムに持っていって、コップなど造り、沖縄で売っていることで、論争になっているようだ。琉球ガラスは製法なのか、沖縄という土地で作ることが重要なのかという対立だ。製法が土地かということだ。沖縄で作れてたコップなどには、丸いシールが貼られている。そのシールにはメイドインオキナワと記されてる。
オキナワは産業というものが少ない。観光で成り立っているのが現状だろう。そういう意味では、オキナワという土地を重視するのが本来のあり方のような気がする。琉球ガラスは色彩が鮮やかで、様々の創意工夫がなされているし、近年では美術工芸品としての価値も高まっている。
続けてやっていれば、日の目が当たることもあるということを意味している。真面目にやっている人が幸せになるのが一番励みになるということだ。このガラス館を後にして、今日最後の観光地「万博記念公園」向かった。
「万博記念公園」は現在は美み海水族館がメインになったようだ。その水族館を見た。黒潮が育んだ海がテーマだ。巨大水槽の中を、マンタ、ジンベイザメがゆうゆうと泳いでいる。何時間見ても飽きないものだ。水族館とか動物園は、人間の心を和ませるような雰囲気があると思う。
水族館を見た後、オキナワの民家が展示してあるコーナーに行った。説明をする女性がいた。年は80歳とのことだが、背筋がピンと伸び若々しい感じの女性だった。オキナワの家は玄関というものがないということが分かった。縁側ですぐに客間という作り方だ。
母屋の正面にあるヒンプン【中垣】は外部との目隠しになるとのことだった。このヒンプンが木戸になっていたので、この木戸は使いますかと係の人に聞いた。
この木戸は、お嫁に行く時に、この門を開けて行くということだった。嫁の行く人は、二度とこの家の入らないということでこの門を通るということだ。というわけで、死んだ人もこの門を通り外に行くそうだ。これも二度とこの家に帰ってこないということを意味しているとのことだった。
この製法をベトナムに持っていって、コップなど造り、沖縄で売っていることで、論争になっているようだ。琉球ガラスは製法なのか、沖縄という土地で作ることが重要なのかという対立だ。製法が土地かということだ。沖縄で作れてたコップなどには、丸いシールが貼られている。そのシールにはメイドインオキナワと記されてる。
オキナワは産業というものが少ない。観光で成り立っているのが現状だろう。そういう意味では、オキナワという土地を重視するのが本来のあり方のような気がする。琉球ガラスは色彩が鮮やかで、様々の創意工夫がなされているし、近年では美術工芸品としての価値も高まっている。
続けてやっていれば、日の目が当たることもあるということを意味している。真面目にやっている人が幸せになるのが一番励みになるということだ。このガラス館を後にして、今日最後の観光地「万博記念公園」向かった。
「万博記念公園」は現在は美み海水族館がメインになったようだ。その水族館を見た。黒潮が育んだ海がテーマだ。巨大水槽の中を、マンタ、ジンベイザメがゆうゆうと泳いでいる。何時間見ても飽きないものだ。水族館とか動物園は、人間の心を和ませるような雰囲気があると思う。
水族館を見た後、オキナワの民家が展示してあるコーナーに行った。説明をする女性がいた。年は80歳とのことだが、背筋がピンと伸び若々しい感じの女性だった。オキナワの家は玄関というものがないということが分かった。縁側ですぐに客間という作り方だ。
母屋の正面にあるヒンプン【中垣】は外部との目隠しになるとのことだった。このヒンプンが木戸になっていたので、この木戸は使いますかと係の人に聞いた。
この木戸は、お嫁に行く時に、この門を開けて行くということだった。嫁の行く人は、二度とこの家の入らないということでこの門を通るということだ。というわけで、死んだ人もこの門を通り外に行くそうだ。これも二度とこの家に帰ってこないということを意味しているとのことだった。
by qzr02421
| 2008-06-14 07:57
| 旅行