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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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人間関係の不満は「お金」があると表面化し難い?

家族・家庭とは人にとってどのようなものか。それは時代の価値観によって変化するような気がする。また、人にとって家族は必要なものなのだろうか。心に負担をかけるような家族は不必要なのではないか。あるいは、一人で生きていくことが出きる人と、一人では生きていけない人がいるのだろうか。また、人が生きていく時に家族という形態をとらずに生きていくことは可能なのだろうか。

いわゆる、私たちは考えている「近代家族」というものは、高度成長期に生まれたものだ。夫が働き、妻が家庭を守るという家族のことだ。この形態は、夫婦と子供の人間関係が濃密になることが想像される。それに対して、それ以前の家族は大家族で、働けるものは全員働いたのだ。人間関係は、「近代家族」より希薄のような気がする。

7つの作品を通じて「近代家族」について考えたい。まず安岡章太郎の『愛玩』という作品だ。この作品の家族は夫婦と子供一人という家族だ。敗戦後の状況から家長制度が崩壊して家長の権威が喪失している。しかも戦争の影響で父は腑抜けのようになっている。それを子は嫌悪している。家族の生計は父が支える、母は家庭を守るという前近代の武士の家庭のようだ。

家庭をつくったのは夫婦である。夫婦は協力して家庭生活を維持する必要があるはずだ。維持する為には「お金」が必要だ。「お金」がなくなると家庭は崩壊する可能性があると思う。愛があれば大丈夫とは考えられない。金の切れ目が縁の切れ目ということわざは理がある。最近は、結婚は20代前後でする人と、30代後半でする人と二分化しているように感じる。

20代前後の結婚は離婚率が高いという。これは家庭を維持する為にはある程度の「お金」が必要であることを証明している。家族の人間関係の不満は「お金」があると表面化し難いと思う。家制度崩壊後の父の存在は「お金」で維持されているような気がする
by qzr02421 | 2008-06-02 11:53 |