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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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日本人は骨まで愛するのだ

鴻上さんの『ドンキホーテのピアス10』を読む。添いの寝のアルバイトというのがあるそうだ。寝ずにずーと話を聞くだけ。客が寝てもずーとみつめてるということだ。それで7万円だ。夜中ずーと起きているのが辛いだろうな。でもそれだけで一晩7万円だよ。面白いバイトがあるものだ。

『10年後の結婚しないかも知らない症候群』を読んだ。女性の生き方は多様になったということだろうか。男の社会から半独立していく過渡期だと思う。これからまた十年、どのような変化があるのか楽しみのような怖いような感じだ。

『葬祭の日本史』を読む。葬儀屋という仕事はいつ生まれたのだろうか。都市化がすすみ霊柩車が登場するまで、日本で葬式といえば「葬列」を指していたのだ。川上音二郎の葬列が例にとられてる。彼の葬列は帝国劇場から始まる。臨終の時、病院から帝劇に運ばれそこで息を引き取ったのだ。

 葬列に革命的演出を加えたのが大阪の鈴木勇太郎である。東京では「いろは大王」といわれた木村荘平がいた。現代は火葬場にも工夫が加えられている。800度くらいでないと遺骨が綺麗に残らないらしい。厚い本を副葬するとそのままの形残ってしまうという。副葬品もよく考えないと危ないらしい。特にペースメーカーは爆発する。地震等で大量に火葬する場合は大変らしい。かつては野辺のおくるで、野焼きをした。サンマイ太郎という地域がある。

 三昧聖の起源、行基が開祖? 葬儀と空也、一遍との関わり、踊念仏と葬儀、浄土真宗は葬儀にあまり関心がない、禅宗を民間普及させたのは葬送儀礼、湯灌サービスとエンバーミングなど。日本は骨まで愛するが西欧は遺体は抜け殻、魂は別にある。霊肉二元論か霊肉一元論か。
 
 葬儀はかつては地域で行なうものだったのだか、今は家単位になっている。家では葬儀方法が伝承されないので、葬儀屋頼みになる傾向がある。葬儀に形があるわけではないので死者を弔う気持ちがあればある程度のことは許されという。死んだということを家族が受け入れるところから葬儀は始まるのだ。火葬場で骨をとり、埋葬して一連の儀式が終了するのだ。
  
 葬式仏教と軽蔑した言い方する場合があるが、それでは死をどのようにしていけばよかったのか。死を仏教が引き受けたということを考える必要があるという観点で書かれた本のような気がした。いい視点であると思う。葬式仏教という言葉を改めて考え直すいい機会となった。
by qzr02421 | 2008-04-29 12:21 |