本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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記憶はどのような構造なのか

大人の記憶はエピソード記憶と意味記憶を中心として構成されている。エピソード記憶とはその名と通り自分の人生上の事件を時系列の記憶しているものだ。人間の脳は言葉で記憶しようとするで、事件が言葉となって記憶されている。この記憶が自分のアイデンティティを構成しているのだ。このエピソード記憶が正しい歴史を示しているかどうかは疑わしい。都合の悪い事件は忘れ、都合のよい事件のみを、さらに都合よく記憶していることが多いようだ。

エピソード記憶が正しいかどうかは、小学校のクラス会でその記憶を披露することで証明できる可能性がある。自分が正しいと思っている記憶が、クラスミートの記憶とまるで違っていることが多いのだ。私は無口な小学生だったと記憶しているのだが、クラスメートの記憶ではどうも違うようだ。都合のよい記憶、時系列のエピソード記憶のよる人格の一致は幻のようだ。

意味記憶とは、一度も行ったことがない砂漠の暑さを、砂漠は暑いというように記憶してるものだ。経験をしなくても、その現象を理解することができるのはこの記憶のおかげだ。この二つ以外にも記憶が存在している。それが像記憶だ。言葉としての記憶ではなく、映像としての記憶のようだ。この像記憶があると、過去が再現しやすいし、それば文学のなるとのことだ。小林多喜二は自分の感じたことは心の中の映写機でカラカラと映写され、それを文章のすればよいのだと述べている。

この像記憶が得意な人としては寺田虎彦がいる。彼は自分の過去が映像としてみることができるのだ。視覚的映像としての像記憶というものは説明してもそれを見ることができない人には理解ができないはずだ。この記憶は言葉のよる記憶ではないので、細部まで説明することができるのが特徴なのだ。堀切直人著「寺田虎彦語録」を読みながら、考えたことを書いてみた。
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by qzr02421 | 2012-12-11 15:37 | 日常