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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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京都はおくが深い

新島襄記念館を北に行くと「京都市歴史資料館」がある。御所の寺町御門を出たところにある。この資料館は無料で、京都の歴史に関する資料の保存と展示をしているところだ。京都の歴史の相談や図書の閲覧もできるらしいが、ここに行ったのが土曜日だったので相談や閲覧はできなかった。相談とは何を相談するのだろうかなどと考えた。きっと京都の旧家が土蔵から出てきた古文書について、それがどのようなものかを聞くということなのだろうか。

地味な資料館だが、歴史の興味があるのなら面白いところだと思う。3月はテーマ展として「京都の町式目」を展示していた。江戸時代の京都、京都という名前が実は変わっている、京はみやこという意味だし、都もみやこという意味だ。京都というのはみやこみやこという意味でしかないのだ。東京という地名も変わっている、東のみやこという意味なのだ。それにひきかえ名古屋は実の個性がある名前ということになる。

江戸時代の京都の町では町独自の規範つまり規則を決めていた。これを「町定」「町法」「町式目」とよんでいる。結構面白いことを決めているので最近は、この町式目を利用して議論をすることがあるそうだ。たとえば「家を売るときには武士と芸人には売ってはいけない」とある。武士というのは牢人というような意味ということだ。無職の人のには家を売ってはいけないということのようだ。京都の町屋は結構お金を持っていたということでもある。売っていけない部類として「騒音を発生する、不潔である」というような職種もだめとある。

他町の人が町内の家屋敷を買うときには必ずその町内の家持を保証人とする、家を買ったときにはその町へ一種の手数料を納入すべし、火事のときにはみんなで消すこと、理由があって火事を消すということの参加できないときにはお金を払うことなど、当時の京都の町が独立して存在して、権力に対峙していたことが分かるのだ。本当に地味だが面白い資料館だった。
by qzr02421 | 2012-03-14 19:01 | 劇,映画その他