新島襄記念館に行った
2012年 03月 09日
「キンシ正宗堀野記念館」を北に上がるとそこは京都御所だ。御所のぶつかったあと東に行き、御所沿いに北に上ると、そこには新島旧邸宅がある。新島とは新島襄のことだ。新島旧邸宅とは同志社の創立者である新島襄とその妻八重の私邸のことだ。調度と家具類を含めて京都から有形文化財に指定されている。この旧邸宅は公開日が限られているので、無料なのだが見ることができないことが多い。
1、2、8、12月以外の月の水、土、日に開館している。土日は開館しているのだから、容易に見ることができるような気がするのだが、8月は開館していないから見ることができないということもある。旧邸宅といっても、最初は同志社栄学校として使われていたので、学校らしい雰囲気もある。学校はのちに旧薩摩藩邸に移ることになり、新島襄は自宅としたのだ。
外観がコロニアル様式なのだが、壁は真壁作りであり、和洋折衷といいながら、和を重視しているような感じを受ける。実際に見学するとわかるのが、セントラルヒーティングとなっている。床も少し高くなっている。これは夏は涼しく冬は暖かくという工夫ということなのだ。入るとすぐに応接間がある、土間がないのが特徴となっている。
全ては洋風というのではなく、窓の上の障子欄間、部屋の間仕切りのふすま、箱階段などもある、洋風と和風が混在している。トイレは見ることができないのだが、パンフのよると洋式なのだそうだ。明治初期の洋式トイレというのはすごいと思う。台所は普通は土間なのだが、床板をいっぱいに張り、その上に流しを置いている、しかも井戸も室内にあるのだ。現在の台所と同じというもとで、新島襄の妻八重に対する愛情を感じる。気持ちがよい台所をつくるのは妻への愛情なのだと思う。
1、2、8、12月以外の月の水、土、日に開館している。土日は開館しているのだから、容易に見ることができるような気がするのだが、8月は開館していないから見ることができないということもある。旧邸宅といっても、最初は同志社栄学校として使われていたので、学校らしい雰囲気もある。学校はのちに旧薩摩藩邸に移ることになり、新島襄は自宅としたのだ。
外観がコロニアル様式なのだが、壁は真壁作りであり、和洋折衷といいながら、和を重視しているような感じを受ける。実際に見学するとわかるのが、セントラルヒーティングとなっている。床も少し高くなっている。これは夏は涼しく冬は暖かくという工夫ということなのだ。入るとすぐに応接間がある、土間がないのが特徴となっている。
全ては洋風というのではなく、窓の上の障子欄間、部屋の間仕切りのふすま、箱階段などもある、洋風と和風が混在している。トイレは見ることができないのだが、パンフのよると洋式なのだそうだ。明治初期の洋式トイレというのはすごいと思う。台所は普通は土間なのだが、床板をいっぱいに張り、その上に流しを置いている、しかも井戸も室内にあるのだ。現在の台所と同じというもとで、新島襄の妻八重に対する愛情を感じる。気持ちがよい台所をつくるのは妻への愛情なのだと思う。
by qzr02421
| 2012-03-09 19:39
| 旅行