本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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国語のテストの本質

テストが終わり採点をしなくてはという時期だ。学年末テストがどこの高校でも行なわれ、三年生は卒業する時期でもある。高校では成績が悪いと留年という制度がある。しかし、留年することは本人の負担も大きいので何とか留年しないような指導が行なわれるのが普通だ。高校生でも留年ということは精神的な負担が大きいのに、それを小学生で実施することはどういう意味を持つのだろうか。留年ということがないように教師のフォローが必要だと思う。

勉強しないと留年させるぞという脅しはあるのだろうが、そのような学習に意味があるとは思えない。何のために勉強するのかということをハッキリさせることからはじめないと、勉強が嫌いな生徒を生み出すだけのような気もする。何のためにテストをしているのかも問い直されないといけない。

ところで、国語がテストに採用されたのは昭和初期のことだという。最初に国語をテストに採用したのは東京大学だそうだ。国語というのは古文のことだったそうだ。現代文をテストに、つまり入試だろか、採用したのは地方の国立大学だったとのことで、国語をテストに採用した理由は思想統制の意味もあったらしい。テストに出て、それを答えるということは、テストの内容が正しいということだ。覚えたことがテストに出て、その覚えたことが正しいことでなければ、覚えることに意味がなくなってします。

国語のテストで「日本が戦争することは自衛のためだ」という文章が正解なら、日本の戦争を肯定する生徒が出現するのだ。戦後になって「民主主義は素晴らしいもの」だという文章を正解とするようなテストがあれば、民主主義は素晴らしいと思う国民を生み出すのだ。国語のテストは思想統制になるということはそのような意味なのだ。恐るべきはテストということだ。
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by qzr02421 | 2012-02-27 18:14 | 日常