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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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宗教や哲学はパテなのだ

寒い日が続くと思ったら、2日は名古屋市で雪が15センチも積もった。8年ぶりとのこと。朝、雪が降る中、一時間散歩した。雪の中歩くのは気持ちがよいものだ。雪が降っているときには雪がふわふわしているのですべることはない。晴れて雪が硬くなったときがすべるときだ。受験生はすべるというのは禁句だろうから、こけるとでもいうのだろうか。

東北など雪に慣れているところでも雪による被害が起きている。昨年は山陰で雪の障害による車が動けなくなるという事件があったが、今回は下北半島で同じような車が動けなくなる事件がおこった。雪の車が覆われると二酸化炭素中毒が起こる可能性があるので危険なのだ。昨年の事件の教訓があるのか、道沿いの公共施設を開放したとの報道があった。素晴らしい対応だと思う。情けは人のためならずということだ。

東北の温泉では表層雪崩があり岩盤浴をしている人が生き埋めになった事件がおこった。この岩盤浴の温泉は癌によいということで、癌などのなかなか治療が難しい患者さんが来ているそうだ。実に気の毒なことだ。人間は普通に生きていると、難しいことは考えないものだが、何かトラブルの巻き込まれると、どうしたらよいのか悩むものだ。岩盤浴が癌に効くかどうか分からないが、それにすがりたい気持ちは分かるのだ。

失恋しても、失業しても、そのストレスで悩みが生じる。マイナスの気持ちが出現したということだ。人間はそのマイナスを埋めようとするのだ。そのマイナスを生める作業として、「人がどうして生きるのか」という問いを考え始めるのだ。普通に生きていればそのような問を持つことはないのだ。何らかの悩みがあるのか、何かのよって心が傷ついたのでそのような問いを持つに至ったのだ。心の傷を埋める作業が必要なのだ。そこの宗教は哲学が入り込むのだ。宗教や哲学などはパテの役目という割りきりが大切だと思うのだ。
by qzr02421 | 2012-02-02 21:57 | 日常